インマヌエル中目黒教会の歩み

インマヌエル教会とは

インマヌエル中目黒教会は、全国各地にあるインマヌエル総合伝道団の教会の一つです。私たちの属するインマヌエル教会総合伝道団は、戦後1945年蔦田二雄(つぎお)初代総理らによって創立されました。
(中目黒教会は、2003年、中目黒移転に伴い、教会名称を、主都中央教会から中目黒教会へ変更しました。)


蔦田 二雄 初代総理
(初代主任牧師)

 太平洋戦争中の宗教弾圧時に、幽囚の身となっていた蔦田二雄師は、幽閉中「神ともにいます(インマヌエル)」を深く感じ、聖書をまじめに信じ、メソジスト運動に基づく本当にきよい生活を送る人々の教会、海外まで福音を伝える教会をつくることを決意されました。

 戦後、自由の身となった二雄師は、1945年インマヌエル総合伝道団を創設し、次いで1946年船橋教会、そして1948年主都中央教会の前身である丸の内中央会館を設立されました。


インマヌエル教会の使命は、「聖」「宣」の2文字に表されています。

「聖」
とは(1)聖書を神様のことばとして固く信じる信仰を表します。聖書だけを信じて宗教改革を行ったマルチン・ルターから始まったプロテスタント教会に私たちは属しています。「聖」はまた(2)聖潔(きよめ)を表します。聖書に記され、英国メソジスト教会の流れを生み出した英国国教会牧師ジョン・ウェスレーによって強調された「きよい生活」を送ることを私たちの目標としています。

「宣」とは、全世界のすべての人々に福音をのべ伝えることです。

(インマヌエル教会は戦後50年以上に渡る活動を行っている正統なキリスト教会であり、エホバの証人・統一教会・モルモン教などの宗教団体とは一切関係がありません。)



丸の内時代(1948.4〜1973.11)

インマヌエル主都中央教会旧丸の内中央会館は、インマヌエル総合伝道団の教会として、船橋教会に次いで1948年4月18日に2番目に創設された教会です。初代主任牧師は、蔦田二雄初代総理でした。

その当時は、東京丸の内にあった養和会ビルの能楽堂を借りて行われ、第一回目の礼拝には250名に達する人々が参加しました。


この場所は継続的に借りることが困難だったので、すぐに、同じく丸の内にある交通協会ビル(左写真)の2階に場所を移し、1948年7月4日に第一回目の礼拝が50人の出席者と共に行われました。

この時代に、インマヌエル聖宣神学院が発足する一方、銀座で路傍伝道などが行われ、教会も大きく発展しました。


17年あまりが経過すると、交通協会ビルも取り壊されることになり、電気ビルに一時的に場を移し、さらに1967年3月交通協会ビルのあとにできた新国際ビルに場所を移しました。

同じ年、蔦田二雄初代総理・主任牧師(右写真)は、ビリー・グラハム国際大会において実行委員長として活躍され、多くの恵みが得られました。1968年には、神学院を浦和から藤が丘に移転し、日本福音同盟の発足にも労をとられました。

蔦田二雄初代総理・主任牧師は、多くの足跡を残し、1971年7月25日に召天されました。



講壇でメッセージを語る二雄師



広尾時代(1973.11〜2003.9)

新国際ビルでの定期集会では、教会学校の分級や組会別の集会に不便をおぼえたので、広尾にある当時神言修道院に用いられていた建物を購入し、1973年11月4日に第一回礼拝を広尾の地にて行いました。1976年には新礼拝堂が落成し、翌年には献堂式が行われました。

2代目の主任牧師は蔦田真実(まこと)師であり、1996年6月2日に召天されるまで、聖宣神学院院長、教団副総理、有楽町読売ホールで行われた10.17ゴスペルキャンペーンなど数々の伝道集会などの重責を果たされました。真実先生のメッセージは重厚かつ長大で、2時間を超すメッセージをされたこともあります。

蔦田真実主任牧師の召天後は、蔦田直毅主任牧師代行蔦田善子主任牧師代行による2年間の暫定的体制がとられました。

蔦田 真実
第2代主任牧師


1998年5月から竿代照夫師が第3代主任牧師として赴任されました。竿代主任牧師は、1967年から1976年まで主都中央教会の副牧師として在任の後、ケニヤにおいて宣教師として活躍されていました。礼拝メッセージも、アフリカ時代の逸話(野生動物の話やケニヤの文化など)を織り交ぜ、ユーモアたっぷりにお話ししてくれます。

広尾の土地が借地であったこと等の事由もあり、今後の会堂をどうすべきかを検討する会堂プロジェクトが発足しました。そして、新たな地に教会を建築する方向が示され、最終的に、中目黒に土地を購入し、新会堂を建築することが決定しました。新会堂建築期間中は、御茶ノ水OCCで礼拝がもたれました。



竿代 照夫
第3代主任牧師



        竿代 照夫・皓子 ご夫妻


中目黒時代(2003.9〜現在)

2003年9月、中目黒に新会堂が完成しました。また、広尾から中目黒への移転に伴い、教会名称を、主都中央教会から中目黒教会へ変更しました。9月21日には中目黒での第1回目の礼拝がもたれ、11月24日には新会堂の献堂式がもたれました。新会堂は、「オープン(開かれた教会)」というコンセプト(方針)のもと、1階の道路に面した2面をガラス張りの開放的なオアシス・ホール(気軽にくつろげる空間)としています。

新たな取り組み(集会や活動)として、現代的な讃美(音楽)を中心とした礼拝、近くの目黒川が桜の名所であることからお花見の季節に桜まつりコンサート、年代別の組会とは別の交わりであるスモールグループ活動、平日にやさしく聖書を学ぶコーヒーやティータイム・クラス、押し花や手芸・キルト製作・名曲を歌う会等の各教室がスタートしました。

2017年3月、竿代照夫師の転任に伴い、2017年4月、第4代主任牧師として梅田昇師が着任されました。梅田昇師は、17年間フィリピンで宣教師としてご奉仕をされ、2005年に帰国。聖書の真理をわかりやすく伝える、とても親しみやすい牧師です。



        梅田 昇・登志枝 ご夫妻