説教ノート(ある信徒の覚え書きより)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

97年6月15日

「武器はどれも役に立たない」

    井川 正一郎 牧師

イザヤ書54章1−17節

中心聖句:

  見よ。攻め寄せる者があっても、それはわたしから出た者ではない。あなたを攻める者は、あなたによって倒される。 見よ。炭火を吹きおこし武器を作り出す職人を創造したのはわたしである。それをこわしてしまう破壊者を創造したのもわたしである。

 あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。

また。さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。
−主の御告げ−

教訓:イエス・キリストの十字架に拠り頼む時,私たちを責める武器は役に立たない。


導入

 「慰めよ、慰めよ」とのメッセージの中に、神様の回復の御業、贖いの御業の約束がイザヤ書40章の中に記されています。それから48章までは、その回復の御業、贖いの御業が、父なる神様のご計画によるものであることが預言されています。また、49章から57章までは、その贖いの御業を実現するのは御子なるイエス・キリストであることが預言されています。この54章のところでは、その回復や贖いがいかなる内容のものであるかが記されています。1〜10節では神の民の増大が約束されています。11〜17節では神の民の安全、守りの保証が約束されています。いかなる戦いがあっても神の民は安全、守られるのは「敵が作る武器はどれも役に立たなくなる」からだと仰せられます。どうして役に立たなくなるのでしょう。それは神様がそうして下さるから、イエス・キリストの十字架があるからであります。
 敵の攻撃は社会の実際の戦争ということもありますが、私たちの日常生活においては、悪意をもった人々からの戦い、誘惑というものに直面せられることもあります。それらの戦いの中で、敵の武器が役に立たなくなるということを3つの角度から考えてみたいと思います。


1.武器を作る者の動機が悪いから

 15節に「わたしから出たものではない」と記されています。役に立たなくなるのは神様の御心から出たものではないからであります。悪しき動機を持つものの攻撃は神様の前で勝ち得るものではないのです。
 聖書の学者はこの15節について別の訳し方もあることを教えています。「人々があなたに対して戦おうとするなら、そうさせるがよい。それはわたしが認めたものではない。あなたに対して戦おうとするものはあなたの故に倒れるであろう。」
 私たち一人一人にとってしばしば激しい攻撃がなされます。なんの言われもない、責任がないにもかかわらず批判されることがあります。そしりやあざけりを受ける場合があります。本当に私たちの側に重たい責任がある場合には悔い改めや謝罪が必要ですが、ここで言われているのは、本当に悔い改めて主を心から信じて(自分の足りなさ、いたらなさを十分にわきまえて)いるものに対する攻撃があるということなのであります。悪意をもって、信仰生活から引きずり落としてやろうとの働きかけがなされる場合があります。しかし、それは決して勝利することはありません。それは、神様の御心から出たものではないからです。


2.相手の作った武器は限られた範囲のものでしかないから

 人間の作る武器は限られたものでしかありません。武器を作る者も、それを壊す者も創造したのは神様であると聖書には記されています。戦争を起こすものも、勝利するものも神様の御手の中にあると神様は仰せられます。鉄の武器はこの時代(イザヤ書が書かれた時代)の最新兵器であったことでしょう。ことにイスラエルの周りの国々が良くそれを用いたと言われています。それはイスラエルにとって脅威となっていたのです。しかし、そのような最新兵器も神様の前では意味がなくなってしまうのです。
 もっと身近なことで、私たちに向けられる武器とは何でしょうか。異性問題(性的問題)、金銭の問題、言葉の問題、私を認めない(無視される)、などが挙げられるでしょう。悪しき者がこれらの手段を用いて、信仰者を落としめようと働きます。私たちは、このような武器に負けてはいけないと思われるのですが、攻める者は激しく攻めてまいります。私たちはこの攻撃に対して負けてしまうのでしょうか。いえ、打ち負かされることはないのです。神様は常に勝利を約束して下さいます。
 どの武器も神様の枠を超えるものではありません。殊に、
イエス・キリストの十字架に打ち勝つものではありません。敵の武器はイエス・キリストの十字架に打ち砕かれてしまいます。今日、私たちは十字架を仰がせていただきたいと思います。十字架にすべての勝利が約束されています。


3.(その武器を作った結果)その武器が逆利用されるから

 武器を作った者にとってその武器が有害なものとなるからであります。役に立たないというだけではありません。それ以上に、作った武器が自分自身に向けられてしまうというのです。
 ゴリアテの剣の例を考えてみましょう。ダビデとの戦いにおいてゴリアテは投げ石によってうち倒されてしまいました。そしてダビデがとどめを刺したのはほかならぬゴリアテ自身の剣だったのです。
 「あなたを責めたてるどんな舌でもあなたはそれを罪に定める」(17節)と書かれてあります。武器を作る者の作った結果は、自分の身を滅ぼすことになってしまうのです。



私たちの実際生活の適用

(1)まず何よりも私たちの側でこのような武器を作らないことにしましょう。
 人をそしることをしないようにしましょう。 
 聖潔の恵みに立たせていただきましょう。

(2)一歩退きましょう。(遠ざかれ)
 恐れることから離れましょう。最後の勝利が約束されています。

(3)悪に悪で報いないように善をもって対処しましょう。
 「あなたは義によって堅く立ち」(14節)と書かれてあります。「義によって」というのは救いによってという意味です。「堅く立ち」というのは、あなたの持ち場を正しく保ちなさいということが含まれています。要は、救われた者らしい正しい心と姿勢をもって堅くその姿を保ち続けなさいということです。悪に悪で報いないように、善をもって勝利させていただきましょう。第一ペテロの手紙のテーマはそれであります。イエス・キリストもそのような姿をとられたことが示されています。「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せになりました。」と。第一ペテロの2章の中に「異邦人の中にあって立派にふるまいなさい」とも記されています。「そうすれば彼らは私たちのことを悪人呼ばわりしても、私たちの善い行いを見て神をほめたたえるようになる」、「善を行って愚かな人々の口を封じることができる」とも聖書に書かれています。


武器はどれも役に立たなくなる。恐れないで力強く歩ませていただきましょう。


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