説教ノート(ある信徒の覚え書きより)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

97年7月20日

「青銅の蛇の破壊」

    蔦田 直毅 牧師

列王記第2 18章1−8節

中心聖句:

 「彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。」(4節)

教訓:偶像礼拝をさけよ。


導入

 旧約聖書には、ユダヤの民が神への信仰をどの様に保ってきたかという事以外に、彼らが何度となく行ってきた不信仰についての記述がたくさん出て来ます。彼らは、補囚として連れて行かれたエジプトから、モーセの指導によって救出され、約束の地カナン(現在のイスラエルのある地帯)に、苦労の末ようやく到着し、豊かな国を神様から与えられました。彼らは、その土地で幾度となく繰り広げられた戦いに勝ち、やがて王国を築き上げます。そして、ダビデ王とソロモン王の時、栄華の絶頂を迎えます。

 しかし、その後彼らの主なる神への信仰は薄らぎ、やがてエジプトや土着の宗教を取り込んだ偶像崇拝へ走るようになります。これに伴い、紀元前1000年頃イスラエルは北と南に分離し、北(イスラエル)王国はまもなく強力なアッシリヤに征服され滅亡します(BC700年頃)。南(ユダ)王国は、王の血筋は保たれ、北王国よりも長く維持されますが、やがてアッシリヤの影響下に置かれ、最後にはアッシリヤに替わって覇権を握ったバビロンに滅ぼされ、ユダヤの民は補囚としてバビロンに連れて行かれます。

 冒頭の箇所は、南(ユダ)王国で3回起こった宗教改革(アサ・ヨシャパテ王、ヒゼキヤ王、ヨシア王)の2回目にあたる、ヒゼキヤ王の改革について書かれた場所です。

 ヒゼキヤ王は、BC726-697まで治世を行い、それまで南(ユダ)王国に蔓延していた偶像崇拝を打ち砕くべく、様々な改革を行いました。この頃はアッシリヤは隆盛をきわめており、ちょうど北(イスラエル)王国が滅びた頃でした。当然の事ながら、ヒゼキヤ王も何度かアッシリヤから攻撃を受けましたが、彼の信仰した主なる神がこれらの攻撃から王国を守られました。

 冒頭の箇所には、このヒゼキヤの改革の中で最も重要な出来事が記されています。それは、青銅でできた蛇の像を打ち壊したことです。今朝は、このことを中心に神様のメッセージを学んでみましょう。


ヒゼキヤ王は南王国の王の中でも最も優れた王の一人でした。その彼を貫いていたのは、次に示す3つの行動基盤でした。

(1)神に対する信頼(5節)

(2)神の臨在の証し

(3)神の心に適う行いに専念した(3節)

 彼はこれらの基礎の上に立って全ての行動を起こしましたが、それはダビデ王の行いに従ったものでした。彼の行ったことの中心的内容は、徹底的に偶像礼拝を否定することでした。しかも、場当たり的に問題に対処するのではなく、問題の根元を完全に破壊するやり方で行いました。


 彼の破壊したものには、「高き所」、「石の柱」、「アシェラ像」、「青銅の蛇」などがありました。「高き所」というのは、カナン人の土着宗教バアル・アシュタロテ信仰の祭壇であり、高い丘などの誰の目にも付くところに、宗教行事を行う祭壇を設けたことを指します。この宗教は、性的に不純な行為(売春などが宗教行為として行われていた)や、第一子を生け贄として捧げるなどの残虐な儀式を特徴とした、めちゃくちゃな宗教でした。石の柱やアシェラ像(木像)は、女神を象徴していました。これらの破壊は、ユダヤ民族がこれらの偶像崇拝に走ることを防ぐ意味で行われたのです。


 「青銅の蛇(ネフシュタン)」は以上のものと異なり、ユダヤの民独自の信仰の対象でした。青銅の蛇は、出エジプトの頃、荒野で為された神の仕置きに対する救済策として、ユダヤの民に与えられたものでした(民数記21章4〜9節)。彼らは荒野で、神に食物のことで不平を言い、その罰として神は毒蛇を送って民を死なせました。民はモーセに泣きついて許しを乞い、モーセは主の教えに従って燃える蛇を青銅でこしらえ、旗竿の先に付けたのです。民は毒蛇にかまれると、この青銅の蛇を仰ぎ見るようにと言われました。彼らはそのようにすると、死なずに済んだのです。

 この出来事は、イエス・キリストの福音となぞらえて捉えられている箇所で、実際イエスご自身もヨハネの福音書3章14節で自らそう語られています。

 従って、この「青銅の蛇」は、ユダヤ民族にとってもきわめて重要なものとして大切の保持され、この出来事が終わってからも民はその前で香をたいていたと書かれています(列王記第218章4節)。

 青銅の蛇は本来、神様に対して行われた罪を救済する神様から与えられた手段だったのですが、いつの間にかそれそのものが礼拝の対象となり、偶像崇拝の中心となってしまったのです。ヒゼキヤはこの歴史的に非常に重要な遺物を、偶像礼拝を完全に否定するために、打ち壊したのです。


 これらのことは何を意味しているのでしょうか?一つは、私たち人間がいかに目に見えるものを心の頼りにしたがるかと言うことでありましょう。何せ、偶像崇拝がいけないことだとさんざん言われているユダヤに人たちですら、このような有り様なのですから。話は少しずれますが、もしノアのは小舟だとか、失われた契約の箱(インディージョーンズに出てくるものはこれなのかな?−筆者コメント)がもし現実に目の前に置かれたら、多くの人がそれらを信仰の対象にしてしまうかも知れません。

 ここでもう一度注意しなければならないのは、私たちは神様御自身に信仰を向けているのであって、キリストの像や、十字架のペンダントを信仰しているのではないと言うことです。

 しかし、このようなわかりやすい偶像礼拝以外にも、もっと知らず知らずの内に陥りやすい偶像崇拝というものもあります。例えば、ある時頂いた聖書の言葉であり、誰かにサインしてもらった聖書であり、いつこれらのことを神様にしてもらったと言うようなことです。

 これらは、全て過去の恵みに心の支えを置いていることで、後ろ向きの信仰状態なのです。私は何も過去に神様にしていただいたことを軽く見なさいといっているわけではありません。ただ信仰というものは、現在その時点での神様との関わりが最も大切なことなのです。

 偶像崇拝は多くの人が大変陥りやすいものなので、まわりの人によって知らず知らずに影響されてしまっているかも知れません。実際ユダ王国でも王様こぞって偶像礼拝をしていました。しかしそのような中でも、しっかりと信仰を守った人は沢山いるのです。結局の所、周囲がどうであれ、我々一人一人がしっかりとした信仰を持つことが大切なことなのです。



生活への実践、適用

1.現在形での神様との関係を大切にしましょう。

2.神様を心の中心に据えた生活を、現在進行形で続けていきましょう。

 例えば集会出席であり、朝の密室であり、お金や時間の使い方と言ったことについてです。神様中心の行動基準を身につけましょう。

3.神様と私達の間にある偶像礼拝を根本から取り除きましょう。

 過去に頂いた恵みや御言葉にいつまでもすがりついていないで、前を向き新しい神様との関係に目を向けましょう。


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