説教ノート(ある信徒の覚え書きより)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

97年8月24日

「最後に討ち取るもの」

    井川 正一郎 牧師

列王記第二 9章14−29節

中心聖句:

 「ユダの王アハズヤはこれを見ると、ベテ・ハガンの道へ逃げた。エフーはそのあとを追いかけて、『あいつも打ち取れ。』と叫んだので、彼らはイブレアムのそばのグルの坂道で、車の上の彼に傷を負わせた。それでも彼はメギドに逃げたが、そこで死んだ。」(27節)

教訓:残された問題を片づけなさい。


導入

 今朝取り上げる箇所に登場するエフーという人物は、バアルへの偶像崇拝にふけるイスラエル王国のアハブ王家を、徹底的に粛正した気性の荒い軍人です。彼にまつわる記事は、これまで礼拝などで取り上げられることはあまりありませんでした。それは、彼の行ったことがあまりにも血生臭いことが多いからだと思われます。彼は、徹底的な粛正の後、自らイスラエル王国の第十番目の王となります。

 この当時ユダヤ民族国家は、北のイスラエルと、南のユダ王国に分断しており、北王国はアラムやシリヤから攻撃を頻繁に受けていました。これに対抗するために、アハブとイゼベルの子、北王国の王ヨラムは、南王国の王アハズヤと同盟関係を結び、これに対抗して戦っていました。ヨラム王はこの戦いで傷を受け、イズレエルに帰還して傷をいやしていました。

 ヨラム王の父アハブと母イゼベルは、パレスチナ土着の宗教であるバアル教に深く耽溺し、イスラエルの神への信仰を軽視した上に、イスラエルの民全体をバアル信仰へ導く愚挙を行っていました。この様なとき、預言者エリシャによって強烈な性格の持ち主、エフーが王として選び取られ、血生臭い大粛正が始めらました。冒頭の箇所は、ヨラム王とその親類にあたるアハズヤ王が同席しているところを、エフーがねらい打ちする所について記した箇所です。この事件をきっかけにイスラエル王国での大粛正が始められました。エフーはその功績を神様から認められ、その後4代にわたってイスラエルお受けを引き継ぐことが約束されました。

 今日はこの箇所を通じて、神様が私たちに願っておられること、つまり「討ち取るべきものを討つ」ことについて学ばさせていただきたいと思います。


 まずここで言う、「あいつも打て」という「あいつ」とはどんな意味が隠されているのでしょうか?3つの角度から取り上げてみましょう。

(1)どっちつかずのものである。

 冒頭の箇所は、エフーが当初ターゲットにしていた、イスラエル王ヨラムに対してではなく、ヨラムを見舞いに来ていたユダ王国の王アハズヤに対して向けられた言葉です。一見すると、エフーは彼の本来の目的(=北王国からアハブ家を除くこと)と無関係なユダ王国の王までも手に掛けたように見えますが、果たしてそうだったのでしょうか?

 実は、ユダの王アハズヤは、ヨラム王の親類関係(8節26章)にありました。ユダ王国は、血統としては正当なユダヤ民族の継承国であり、イスラエルの神への信仰をしっかり保つことが期待されていたのですが、このアハズヤ王はどうやらバアルやその習慣に対して少なからず関心を抱いており、北王国の考えに近いものを持っていたと言われています。

 従ってアハズヤ王は、イスラエルの神と、バアル信仰の両方に二股をかけ、結果的に悪からきちんと距離を置くことをしなかったのです。この様などっちつかずの姿勢をとるものを、神様は許されないのです。きちんと罪や悪から身を離しておかないと、やがてはあなたがについても「あいつも打て」と言うことになりかねないことを、肝に銘じておく必要があります。


 (2)最後に残されている問題である。

 エフーは、イズレエルで目的のヨラム王を討ち取りました。アハズヤ王は、その後でついでのような形で討ち取られています。このことは次のようなことを意味しています。

 私たちが解決すべき罪の問題について考えるとき、問題の本質は最後に残された根っこの問題であることが多いものです。先日、行政改革の様々な省庁が将来再編成を受けることが決まりましたが、問題の本質である省庁が手つかずである、と言う批判がマスコミなどから出ております。多くの場合、問題はある一点のポイントに集約されますが、そこを避けて通っていては問題の解決はあくまで表面的なものにとどまってしまうのです。

 アハズヤ王は、こういう最後に残された問題の象徴です。神様は最後の最後に残された、本質的な心の問題を解決されることを願っておられるのです。これはある人にとっては、プライドの問題かも知れませんし、自己卑下やどうしても止められない悪い習慣かも知れません。要は、こう言った問題の根源を絶たないといけない、と言うことなのです。


(3)目の前にある問題である。

 これまでは、冒頭の箇所の消極的な部分を見て参りましたが、この箇所には積極的なメッセージも含まれています。それは、目の前にある問題に積極的に取り組め、と言うものです。

 エフーは、ヨラム王を討った後、さらに目の前にいたアハズヤ王も討ち取りました。私は、今日のメッセージ題に「討つ」と言う漢字を使いました。聖書には「打つ」と言うもっと一般的な漢字が用いられています。「討つ」と言う言葉には「積極的に勝ち取る」と言う意味が含まれています。神様は今日私たちにエフーのような積極的な姿勢を望まれているのです。

 私たちの日常を考えてみて、なお取るべきものが残されていませんでしょうか、思いめぐらせてみて下さい。例えば、聖潔がまだの人、救いがまだの人は聖潔や救いを追い求めてみて下さい。社会での仕事などでも、何かもう一つ出来そうなことはありませんでしょうか?こういうことを自ら一歩進んでつかみ取っていくことが、重要です。この様な姿勢の者に、神様は不可能を可能とするような追い風を私たちに与えて下さるのです。+αの何かを今週一つでもつかみ取りましょう。


最後に実生活への今日のメッセージの適用をまとめてみましょう。

1)まず解決を目指して問題を追求しましょう

聖潔にしても、救いにしても、徹底的に求め、また祈り求める姿勢が重要です。

2)討ち取るべきものを徹底的に破壊しましょう

問題となっている悪の部分などを、中途半端ではなく徹底的に取り除きましょう。

3)破壊したら、地道に建設しましょう

問題を取り除いたら、その後に良いものを地道に作り上げることが非常に需要です。エフーは壊すことは特異でしたが、その後作ることが出来ず、結局北王国は滅びました。今週一つだけでも何かを作り上げましょう。


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