説教ノート(ある信徒の覚え書きより)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

97年9月14日

「一切の民を集め学ばしむべし」

    蔦田 直毅 牧師

申命記31章1ー13節

中心聖句:

 イスラエルの全ての人々が、主の選ぶ場所で、あなたの神、主の御顔を拝するために来るとき、あなたは、イスラエルの全ての人々の前で、このみおしえを読んで聞かせなければならない。

 民を、男も、女も、子供も、あなたの町囲みの中にいる在留外国人も、集めなさい。彼らがこれを聞いて学びあなたがたの神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばを守り行うためである。

(11〜12節)

教訓:教会の長老に与えられた役割とは何か?


導入

 今日は第二十回目の愛老聖日で、教会の長老の方々に感謝の意を表す日です。今日は、モーセが最後に民を集めて伝えたことばから、教会の長老の方々に神様が期待されていることについて、メッセージを頂きたいと思います。

 冒頭の箇所は、出エジプト後やっとの思いで約束の地カナンを目前にしたところまでやってきたユダヤの民に、指導者モーゼがその生涯の最後を前にして語った場面です。モーセはこの当時120歳でした。

 (モーセは40歳の時から荒野で40年間さまよい、その後ユダヤの民を率いてエジプトを出、民を約束の地カナンに導きました。最初に約束の地に到達したときに、カナンの地へ放ったスパイが、人々を恐れさせる情報をもたらしたため、ユダヤの民は臆病のあまり、神様がお示しになった現在のイスラエルのあるカナンの地を、拒んでしまいました。そのために、彼らはその後38年間荒野で放浪することになり、エジプトから脱出した20歳以上の60万の民のうち、生きて最後にカナンに到達したのはヨシュアとカレブのたったの2人でした。)

 モーセは1節で自分は「出入りが出来ない」と語っていますが、これは気力は十分あっても、もう体が言うことがきかず、指導者として民の前に立って群を指導することが出来ないと言っているのです。つまり、自分の使命が終局を迎えつつあることを意識して、民に後継者について宣言をしようとしていたわけです。

 (モーセは非常に信仰が厚い人で、神様にも愛された人でしたが、荒野で放浪しているとき、たった一度過ちをおかしました。それは、民が水が欲しいと言ったときに、モーセが神様に祈ると、岩から水を出すと神様から約束があったのですが、モーセは水を出す際に、しなくても良いのに杖で岩をたたき、それによって水が出たようにしてしまったのでした[民数記20:11]。このことは神様に栄光を帰すべき事を、自分に帰すという過ちで、神の前に民を指導する者として許されない行為でした。これにより、モーセは生きて約束の地カナンに入れないと神様から宣告されてしまいます。冒頭の場面では、約束の地カナンを前にして、自分の使命が終わりを迎えようとしていることをモーセは意識し、その中で民に次の指導者について語ったのです。)

 この箇所の中でモーセは、民の中で長老と呼ばれる人たちに何を為すべきかを語っています。今朝、この部分から教会へのメッセージを捉えさせていただきたいと思います。


モーセは何を語ったのか、次の3つの観点から見てみましょう。

(1)新しい指導者への引継

 モーセは既に述べたとおり、カナンの地を前にして新しい指導者に群を委ねなければなりませんでした。この時点で、エジプトを出た時に20歳以上の人間は、彼と後継者ヨシュアを含む3人だけでしたので、彼ら以外の人間はせいぜい60歳がいいところの比較的若い世代のみだったわけです。120歳のモーセにしてみれば、孫か曾孫ぐらいの人間にいきなり任せる状況になったわけです。

 神様は群の指導者として、わずかに生きながらえたヨシュアをお選びになりました。彼は最初にカナンの地に偵察に言ったスパイのうち、進むべきだと進言した数少ない人間(後一人はカレブ)で、その後モーセを良くサポートした信仰の人でした。

 冒頭の箇所で、モーセは民を集め自分の後継者はヨシュアであることを告げました。そしてまず民全体に

「強くあれ、雄々しくあれ、...あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。」(6節)

と宣言して、民を勇気づけました。このことは、新しき地に進む民たちの不安をかき消し、大きな希望と勇気を与えたのです。

 ここから捉えられるメッセージとしては、教会の長老の方々にもこのように神様の臨在を証ししていただきたい、ということです。それは、決して自分の人生一代記を語るのではなく、「神様が我々とともにいてくださり、歩いてくださる」ということを、次に続く世代に証ししていただきたいのです。このことはきっと次ぎなる世代を勇気づけ、正しい方向に導くことになるでしょう。

 


(2)先祖たちに与えられた約束を確認する

 冒頭の箇所で、モーセは民の前にヨシュアを立たせ、彼の使命が約束の地カナンへ民全体を導くことであることを宣言し、確認しました。そして、後継者ヨシュア個人に対し、

「強くあれ、雄々しくあれ、...それを彼らに受け継がせるのもあなたである。」(7節)

と語ったのです。これは民に対して安心を与えるとともに、ヨシュア自身にも大きな希望と勇気を与えることでした。このようにモーセがしたことは実に深い神様の知恵があったと思われます。


(3)民の中の長老に対するメッセージ

 引き続き、モーセは民の中の指導的地位にいる長老たちにメッセージを告げました。それは、今日の中心聖句になっている箇所に記されていることですが、要約すると、民に与えられた神の御教えを、継続的に伝えて行きなさい、ということです。

 故渡辺勧士は「語り継げばや」ということば通り、お年を取られてからも、どんどん若い方に身を持って良い証をされました。このように、教会の長老の方には、何度となく神様がお与えになった恵みを、次の世代に証しすることがつとめがあるのです。

 神の御教えを定期的に民に教えよというモーセの命令の内容には、律法・歴史・預言・教訓が含まれていると書かれています。これらは実に聖書の内容とオーバーラップしているものです。つまり、神様の恵みを聖書的に説き明かして証しすることが期待されているのです。

 また、ここで書かれている「学ばせる」というもとのことばには、「むち」などの懲らしめるものを手に持って教えるという意味が含まれています。若い者を時にはしかって、正しい方向に向かわせることも必要でしょう。


 さてこれまで、モーセが民に伝えたメッセージの内容を見て参りました。モーセは後継者を指名し、後継者に与えられた使命を確認し、長老たちに後継者への指導を命じました。

 これらのことは、ヨシュアの時代までは守られましたが、その後守られなくなってしまいました。そのために、ユダヤの民は明確な指導者を長い間失い、師士の時代という混迷した時代に突入することになります。

 私たちの教会はどうでしょうか?ヨシュアの時代の恵みを得ることが出来るでしょうか、それとも師士時代の混乱を招くのでしょうか?

 今朝、愛老聖日の日、教会の長老と呼ばれる方に、是非主の生涯を輝いて証ししていただきたいのです。それは多くの次ぎなる世代の者が必要としていることなのです。


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