説教ノート(ある信徒の覚え書きより)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

97年9月21日

「聖書と私たちの生き方」

  ウェスレー・ビブリカル・セミナリー

Paul・田代 博士

テモテへの第2の手紙3章10ー16節

中心聖句:

 聖書はすべて、神の霊感によりもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

(16節)

教訓:「聖書=神の真実なことば」は聖潔(きよめ)を教える。


Paul・田代博士の紹介:

Paul・田代博士は、米国ウェスレー・ビブリカル・セミナリーで、旧約聖書学の責任を担っておられる方です。この度、東京女子大学より招聘を受け、日本古代文明とシュメール文明の比較などについてご講演される一方、サバティカルの期間を論文執筆でお過ごしになるため来日されました。今日は来日まず初めに、当教会にて礼拝の説教のご奉仕をしていただくことになりました。Paul Tanaka博士ご夫妻は、長らくケンタッキー州で牧者としてもご奉仕されておられました。

(筆者注:出来るだけ正確に説教の内容をお伝えしたつもりですが、かなり内容が多く、多岐に渡っておりますので、所々記載が不正確になっている箇所がある可能性があります。その点をお許し頂きたくお願い申しあげます。)


 今日取り上げさせていただく聖書の箇所は、聖書が神の真実なことばであることを示しています。私たちが信仰生活を送る際に、実は分水嶺とも言うべき最も大切な点は、この「聖書が真実である」ということを認めるか否かというところにあるのです。聖書が間違っているとお考えになる人がいましたら、もうそこでその方は私たちと違う山の反対側に流れていってしまうことになるのです。私は聖書は神のことばであるという立場で、旧約聖書を研究しています。


博士、自らの背景を語る

 私は旧約聖書を研究しているものですが、どうして旧約聖書を学び始めたかと言いますと、そのきっかけは留学しておりましたアズベリーの神学院で、キリスト教を研究するのに、まずユダヤ教の大学に行って勉強してみてはと勧められたからです。

 旧約聖書は多くはヘブル語とアラム語で書かれています。これらの言語のおおもとはセム語・アッカド語であり、これらの言語のさらにおおもとをたどりますと、そこにはシュメール語があるわけです。アッカド語とシュメール語の関係はちょうど日本語と中国語の関係に似ており、文字のなかったアッカド語を表記するため、シュメールの楔形文字が利用されました。旧約聖書はさらに、バビロニア語・ペルシャ語・エラム語・アラビヤ語・コプト語・ヒッタイト語などの様々な言語の背景がありますので、さらに私はユダヤの学校でこれらの言語を学んだのです。

 私の研究は、こういう旧約聖書の言語的背景を追っていくことです。例えば、旧約で言うところの「契約」は、「書く」ではなく「切る」という動詞が用いられています。これはアブラハムの頃、契約は犠牲に用いた動物を切り、その間を契約書が渡ったことに由来しているのです。

 また、バビロニア、ユーフラテス川のほとりウルでは、粘土板に文字どおり楔形文字を切り込まれた契約書が多数出土しました。この文字は、インクで紙に記されたものとは異なり、長い年月を経ても風化されることなく残ったのです。聖書の内容はこのような形で正確に記録され続けたわけですから、間違いのない当時の事実であるのです。

 世の中にはクリスチャンといえども、聖書が神のことばではない、間違えだらけのものだと言ってはばからない人がいるものです。例えば、私の所属していますアメリカの合同メソジスト教会では、いわゆるリベラル派の人間が多く、多くの人が聖書は神のことばではないと言っています。私はそのような人間に対し、聖書は神のことばである、と説いているのです。


献身にまつわるエピソード

 次ぎに、私がどの様にして献身に至ったかをお話ししましょう。私は戦争中は霞ヶ浦の訓練所で特攻隊になるべく訓練を受けておりました。終戦後は新宿の○×組という組織でパンパンのスーパーバイザーをやっていたのです。そういう私でも神様は救ってくださり、ホーリネス教会に行っておりました。ある集会に出席しておりますと、先生が非常に情熱的に献身について説いておられました。こう言うのも何ですが、私はその時その場の勢いで前に進み出て、献身を申し出たのです。

 ところが当時教会の牧師でやっていくというのは、本当に大変なことでした。何せ地方の教会などは数人しか教会員がおらず、経済状態は最悪で、5年間も米を食べたことのない牧師などはざらでした。このような大変な状況で、私はとても生きていけないとおもいまして、神様に「私は牧師になりましたが、それは間違えでした。どうか神様私をどこかのビジネスマンにしてくださいますように。」と、冗談ではなく真剣に祈ったものでした。

 私はその後実際にビジネスマンになり、牧師ではなくなりました。しかし、暫くしますと、今度は結核にかかり、両肺をやられてしまいました。私は慶応病院に入院することになり、しかもその中でも最も重い患者が入る部屋に入れられたのです。実際、その部屋にいた4人のうち3人までが死にました。生き残ったのは私だけだったのです。私はこの時、自分は牧師にならなければならないのだ、と思わされ、病気が治りますとそれ以降は献身に励むことになったのです。

 終戦後当時、アメリカから多くの宣教師が日本に来ておりました。ホーリネス教会に来ている宣教師は皆アズベリーセミナリー出身でしたので、私はこの人たちはアメリカでどんなことを学んできたのだろうと思っていました。といいますのも、当時アメリカはとても豊かな国でして、そういう豊かな国から、何で極東の戦争直後の混乱しきった国に好き好んでやってくるのか、と思ったからです。

 そこで私はアメリカに渡り、アズベリー大学に入ろうとしました。その時にはもう奨学金の時期が過ぎており、これからは無理だから1年後にしなさいといわれました。私は「神様は今年入れと言っています。」といいましたが、向こうは「私の神様は来年にしなさいと言っています。」といってなかなか認めてくれませんでした。最終的には何とか認めてもらい、その年に入学することが出来たのです。そして、宣教師たちが安楽なアメリカでの生活を捨てて、外国に宣教に出る理由が、「聖書が神のことばである」という一点にあることを知りました。  


メッセージ

 さて今日の御言葉に目を向けさせていただきましょう。今日は冒頭の箇所から、聖書のことばと聖潔についてメッセージをお伝えしたいと思います。

 聖潔のことばとして有名な、

「私がきよいから、あなた方もきよくなければならない。」

ということばの訳は実はあまり良くありません。実際に用いられていることばを直訳すると、

「私はきよい。だからあなた方はきよくなるのは当然である。」

となります。前者ではなんだか聖潔を得るためには何かしないといけないようで、本来の聖潔とかけ離れたイメージをあたえがちです。

 もう時間が経っていることですからお話ししても良いでしょうが、私のいたホーリネス教会のある先生は、聖潔の証についてこう説教されていました。

 「私は実に聖潔を求め、きよめられなければならないと思い、奥多摩に入って断食を始めました。そのうちに天から聖霊が下り、私は聖潔を得たのです。」

 私はこの話を聞いて、早速奥多摩に行きました。そして3日間、飲まず食わずで過ごしました。しかし、聖霊は天から下りませんでした。そのかわり、絶食と脱水でふらふらになり、近くを通った木こりの方に助けられ、救急車で運ばれることになってしまいました。

 この話で間違っていた点は、聖潔というのは、人間が修行して得られる類のものではないと言うことです。修行してある境地に達するという考え方は、実に日本的な考え方です。


 実際に聖書に書いてあるのは、イエスを信じ、十字架を受け入れることは、神様と契約を結ぶことであり、それは

神様=きよい  −−>  私=きよい

という図式で示されるように、必然的にその後きよい生活に入っていく、ということなのです。つまり、救いに入った直後から、聖潔はある意味で始まっており、そしてその実がある時に結ぶのです。

 本当にイエスキリストを受け入れたとき、こういうきよい生活が自然と出てこないといけないはずなのです。そうでないときは、神様と私たちの間のチャンネルがずれてはずれてしまっているのです。

 ここで、冒頭のテモテのことばに戻りますが、ここでは「聖書が神の霊感によって書かれた真実のことばである」と書かれています。またその目的が、「良き働きをするために整えられるため」、とも書かれています。つまり私たちの聖潔のために書かれているという事です。


 私は今日ここで、すぐにでもきよめられる秘訣(奥多摩の山へ行くと言うのではありませんよ) を、皆様にお教えいたしたいと思います。

1)聖潔は神の恵みであり、神様が与えられるものであることを知りなさい。

自分の努力でなんとか得られると言うものではないのです。

2)きよめられたいという願望を持ちなさい。

ケンタッキー州は競走馬がたくさんいるところですが、調教手はその馬たちに水を飲ませようと川に連れていくことは出来ます。しかし、馬に飲む気がなければ決して水を飲ますことは出来ないのです。

3)聖書を良く読みなさい。

聖書を良く読むことは実に大切なことで、聖書が覚えられないとか、読めないと言う人はすぐに悔い改めなさい!

4)最後に自分が頼りにしているものから手を離しなさい。

 霞ヶ浦の軍隊の訓練所で、私たちは水泳を学んだことがあります。その時の訓練は、まず取っ手が壁についているプールに放り込まれ、そこに掴まって練習し、次ぎにそれを離して練習し、最後にもっと深いプールに放り込まれるというものでした。これで大抵の者は泳げるようになるのですが、私の仲間でついに3年たっても泳げない者がいたのです。

 その男がどうして泳げるようにならなかったと言いますと、その男はついに最後まで、プールの壁につている取ってから手を離すことが出来なかったのです。

 このように、最後まで自分がすがりついているものを離さなければ、決して聖潔を得ることは出来ません。

 私も、結核で死の床にはいるまで、立身出世の野心というものにすがりついていました。牧師を辞めたのも、生活が大変だったという以外に、牧師なんかやっていたら一生うだつが上がらない、と思っていたからでした。ここにいらっしゃる牧師の方、ごめんなさい。

 ところが結核で入院した慶応病院のベッドで、私はこの取ってから手を離したのです。この時、プールで水の中に浮遊するかのような自由な感覚になることが出来ました。それは自分の体が、神様のものであることを知り、自分のすべてを神様に委ねてしまったからです。この時私は、神様の愛(アガペー)で満ちあふれました

 私は、この愛の充満を知った者は、何処にも掴まることなく、奉仕をすることが出来ると信じています。

「教わったことにとどまっていなさい」

ということばがありますが、神様に本当に従うとき、私たちに与えられた神様の愛に留まることは大切なことです。マタイ伝にありますように、義を追い求める者は、満たされるのです。


 聖潔とは私たちの努力で得られるものではなく、神様によって達成されるものです。また、本当に神様のことばである聖書を信じ従って行くなら、私たちは宣教の実を得ることが出来るのです。伝道はこのような実をいただかなければ、行うことが出来ません。初心に帰って、聖潔の実を毎日結ぶことが出来るようにさせていただきましょう。


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