礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

98年3月15日

「良くなりたいか」

井川 正一郎 牧師

ヨハネの福音書 5章1〜15節

中心聖句

 「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか。』」

6節

教訓:イエスさまによる癒しとは


導入

今日は新約聖書からのメッセ−ジです。ベテスダと呼ばれる池に、38年間もの間病気にかかっている人が、イエスさまによって癒されたという回復、刷新、癒しの御業の記事です。

この「よくなりたいか」という聖書の個所から何度も説教を聞いているという方もおられるでしょうが、ほんとうに自分の生活に回復、癒しの御業が実現されているでしょうか?年度末でもある今日、日頃の仕事や人間関係などの現状に問題を抱き、それらを打破して、回復、刷新を必要としている方もおられることでしょう。今日、このメッセージから、イエスさまの回復、癒しの御業というものが、各人の心の中に届けられるものと確信しております。

イエスさまは38年間病気の人に「よくなりたいか」と聞きました。よくなりたいに決まっています。今日は、敢えてその質問をした理由を思いめぐらし、神さまからのメッセージに心を留めたいと思います。

なぜイエスさまは「よくなりたいか」と訊ねたのか、その理由を5つの点から学ばせていただきたく思います。


1)現状を考えての理由

長い間、そのままの状態(すなわち、38年間病気にかかって、直っていない)であるから、というのがその理由です。長い間その状態にあると、人間はあきらめ、安住し、変わりたくないという思いに陥り易いものです。ある説教者は言いました。「1つのことを祈っていても、10日間以上経つと、前と同じように熱心には祈れなくなるものだ。」

現代の私たちも、世の常識、枠の中で生活しています。「ほんとうにそんなことになるのだろうか?」と考えてしまいます。これが現代の人間の姿です。自分で神さまの御力を制限してしまうのです。だからこそ、イエスさまは言ったのです。「ほんとうに直りたいですか?38年の生活のスタイルを変えたいと思っているのですか?」と。

2)方法を考えての理由

自分の考えに基づく解決方法を手放させたいがための質問であった、と言うことが出来ます。お手持ちの聖書の欄外に、4節として「水が動かされたあとで最初にはいった者がいやされる」と記されているものがありますが、彼は「池の中には入ること」が唯一の解決方法だと考えていました。

イエスの方法は、8節にあるように「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」というものでした。イエスは、「あなたの理解している方法とは、全く違う解決方法を採るんですよ。あなたは私に身を委ねることが出来ますか?」と言っています。聖書は、今までとは全く違う十字架のイエスさまという解決方法があると言っています。

3)結果を考えての理由

「よくなる」ということが、その人にとってはまさに1番願っていた結果であるから、というのが理由です。神さまの御旨に反しない限り、願いは、必ずかなえられると信じています。

4)信仰を考えての理由

これは、イエスさまを信じることが出来ますか、依りかかることが出来ますか、ということです。時として、願いごとも、その人にとっては望んでいないもの、イヤな結果になることがあります。たとえ願っていないことが起こっても、これも神さまの御旨であり、最善の結果である、として信仰で受けることです。

私たちは、それでは、いったいどうしたら信仰で受けることが出来るのでしょうか?それには、条件が2つあります。

条件1:悔改め

良くないことをしていたら、それを悔改める必要があります。日々、刷新と立直しが必要です。そのためにも毎週礼拝があります。車の運転でも、真っ直ぐに進むためには、常にハンドルを調整しなければなりません。

条件2:イエスさまの言葉に従う

イエスさまの言葉に従って動き出すこと(実践)が必要です。身を委ね、イエスさまに従って歩んで行かなければなりません。

5)今後、これからのことを考えての理由

14節に「もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」とあります。回復、刷新は、その時一時のものだけではありません。今後、これからのことが大切です。罪から離れなさい。そして、罪とけがれのない生活をし、一生涯、証ししていく生活をしなさい。


「よくなりたいか」という言葉で救われた1人を知っています。私の家内の弟です。彼は、まだ救われていない時、自殺を実行し、幸い命はとりとめられました。その際、久芳先生が見舞いに来られ、ベッドのそばで、最後にかけた「よくなりたいですか」の言葉に、本人もあきらめていた今までのゆがんだ心が変貌し、救われたのです。

あきらめている人はいませんか。今日のメッセージは「よくなりたいか」です。イエスさまはそうしてあげると言っています。それでは、日々の適用を考えてみましょう。

1)あきらめないように

あきらめは絶望へと、絶望は不信仰へとつながります。

2)主の解決方法に望みをかけましょう

イエスさまにすべての望みをかけ、委ねましょう。その際、悔改めが必要ならほんとうに悔改めましょう。ほんとうの悔改めは、イエスを知る時、自らくずれてしまうものです。

 written on 980315  by N. Sakakibara