礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

98年6月21日

「聖霊に満たされた良き人、ピリポ」

竿代 照夫 牧師

使徒の働き 8章26〜40節

中心聖句

 35ピリポは口を開き、この聖句から初めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。

35節

教訓:聖霊に満たされると言うこと、ピリポに学ぶ


導入

先週より聖霊に満たされた人々について取り上げております。先週はバルナバについてお話しいたしましたが、今日は、ピリポについて取り上げて参りたいと思います。

ピリポという名前は、直訳いたしますと「馬愛でる人」と言うもので、日本的に言いますと「馬の助」さんと言うところでしょうか。今日はこのピリポの証人としての働きを中心に見て参りたいと思います。

ピリポは、エルサレム初代教会の7人(ステパノ、ピリポ、プロコロなど)の執事に選出された人物です(使徒6章)。サウロなどによるキリスト教とへの迫害で、初代教会を形成していたキリスト教徒は、イスラエル各地に散らされ、サマリヤなどの地で大きな宣教活動をするようになりました。特にピリポはサマリヤで一大宣教活動を行い、この地の人々に大きな喜びをもたらしたと記されています。

ところが、8章26節ではピリポは聖霊から「エルサレムからガザに向かえ」と言う指示を受けます。この時ガザは荒れ果てていた、と書かれています。自分が起こしたリバイブルの中心である都市から、荒れ果てて人もいないような土地へ向かえというのですから、成功したサラリーマンが、ある日突然人里離れた地へ派遣されるようなものです。

しかし、一見すると厳しい指示に彼が従ったおかげで、彼はエチオピアの大蔵大臣に会うことが出来、彼をキリストに導くことが出来たのです。そして、この働きが1世紀から現在に至るまでエチオピアで活動を続けるコプト教会を生み出したのです。もしピリポがいやだと言ってこの指示に従わなかったら、このような活動がエチオピアに伝わることはなかったでしょう。

40節に入りますと、彼はその後ガザからアゾトに渡り、その後カイザリヤに移動してそこに定住した事が記されています。使徒の働き21章8〜9節には、ピリポがその後どうなったが書かれています。ここでは、第三次伝道旅行を終えたパウロの一行が見たことが書かれており、ピリポが4人の未婚で預言者の娘を持っていたことが記されています。「預言者」というのは、今で言うところの説教者ということですので、ピリポはかの地においても地道に伝道活動をしていたことがうかがえます。


以上簡単にピリポに関する背景をまとめてみました。それでは今日のメッセージに移りたいと思います。

本日は、35節に書かれております、ピリポの「聖霊に満たされたあかし」を中心に4つのことをお話しさせていただきます。


1)聖霊に導かれた時、それに従う

ピリポがサマリヤから別の地に行くように聖霊に示されたことは、後になってエチオピアの大蔵大臣への伝道という意味があったと言うことが判ります。

私たちは、誰に対しても証をする必要がありますが、時としてある特定のグループや人に対して証をすることが大切になることがあります。このピリポの働きはそう言うことを教えているんです。

それがどういう人でありグループであるかを知るためには、私たちは「主よ導きをお与え下さい」と真剣に祈り、聖言を求める必要があります。この時も主の御心にかなう道を歩んでいるのでしたら、皆さんの心に平安が与えられているはずです。

このような状態を保ち続けますと、あかしをするのに必要な知恵や方法が示されていくのです。


2)物怖じしないで福音をのべ伝えていく

ピリポは聖霊に満たされてあかしをするときに、決して物怖じすることがありませんでした。彼はエチオピアの大蔵大臣に会ったとき、おそらくそれほど言い身なりはしていなかったはずです。この大臣は馬車に乗っていたようですが、その馬車はおそらく今だったら、有名な外車と言うところではなかったかと推測できます。普通でしたら、みすぼらしい格好の人間が、それほど立派な身分の人間に出会って、物怖じせずに堂々と自分の言いたいことを言うのは大変なことです。

ピリポは、何故物怖じせずにあかしする事が出来たのでしょううか?それは、第2コリントにも書かれていますように、私たちクリスチャンが「キリストの大使」であるからです。

私がケニヤにおりました頃、大使という称号のついた方と会う機会がありましたが、この大使というのは実に「たいした」存在です。大使は、英語では”your excellency”(「大使閣下」)と呼ばれるほどで、本当に尊敬される偉い立場の人間です。私たちは、こういう大使であり、しかもなにより「イエス・キリスト」の大使なのです。

ですから、私たちはある意味でどんなみすぼらしい格好をしていても、「キリストの大使」なのですから、不遜や傲慢になってはいけけませんが、何も物怖じすることなく堂々と福音をのべ伝えてかまわないのです。


3)聖霊が与えて下さる知恵を信じる

冒頭の箇所周辺を読んでみますと、ピリポがエチオピアの大蔵大臣に取ったアプローチの仕方が、いかに適切であったかが判ります。

福音を伝えると言いますと、下手をしますと、いきなりキリスト教の難しい内容を長々と話し始め、「あなたはだから罪人です」などとその内容を相手に押しつけてしまうことがあります。

ピリポはそういうアプローチをせず、まず相手の話を良く聞くことから始めました。そして、そこから相手の心を開いていったのです。このように、福音を伝えると言うときには、まず相手の立場に立ち、同じ視点から話をしていくことが大切です。例えば相手がサッカーが好きな人なら、そこから話を始めても良いでしょう。でも、最後までワールドカップの話ではいけませんよ。

そして、相手の心が開かれていったら、そこで徐々にイエス様の世界に話が移っていくようにするのです。こういう意味での知恵は、聖霊が与えて下さるもので、私たちは一人よがりにならず、その知恵を信じて相手に接して行くべきなのです。

大臣が洗礼についてピリポに尋ねた後のことが、聖書にはない37節に書かれています。欄外を見ますと、異本には失われた37節があり、ここでピリポが「心底から信じるなら良いのです」と大臣に聞き、そして大臣が「信じます」と答えたとあります。このようにあくまでも、相手の自主的な判断に委ねる事が大切で、自分から考えを押しつけてはなりません。


4)結果を聖霊に委ねる信仰を持つ

個人伝道で自分が救いに導いた人を、良く「私のたましい」と言うような言い方をして、特別な思い入れを持つ方がいらっしゃいます。これはその方をしっかりとフォローしようと言うことの現れなのでしょう。

しかし、本来は一度キリストに導いた人は、すべて聖霊ご自身がお育てになり、成長させてくださるということをしっかりと把握していなければなりません。

実際この場所では、洗礼を受けた大臣はピリポを見ることがなかったと書かれています。つまり、ピリポのフォローは全くなかったのですが、その後しっかり聖霊がこの大臣の信仰を育てられた結果、エチオピアにコプト教会が出来るまでになったのです。

一度信仰に導いた方を覚えて祈ることは結構ですが、このようにその信仰の成長の結果は聖霊に委ね、その成功を信じることが大切なことです。


最後に個人伝道に関して、この場所から3つのことを学んでメッセージを締めくくりたいと思います。

1)ピリポは平信徒でありました。しかし、彼はすばらしい個人伝道者でした。人を主イエス様に導くことは、私たち一人一人誰でも出来ることなのです。

2)一人一人が、状況に応じてあかしをすることが大切です。あかしは一人一人異なるものですので、自分のあかしを他人のものと比較して、卑下したりしてはいけません。自信を持って状況に応じて説明することが、一番大切です。

3)今週どなたかに福音をあかしする機会をもてるように、祈りましょう。


Editied and written by K. Ohta on 980623