礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

98年6月28日

「酒ぶねの中から」

井川 正一郎 牧師

士師記 6章11〜18節

中心聖句

 11さて、の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。

 12の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。があなたといっしょにおられる。」

 14すると、は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

11〜12,14節

教訓:苦境を打ち破ることが出来る信仰の人とは?


導入

神はそのご計画を人を用いて達成されます。これは、聖書の時代から現在までを通じてみられる、歴史的法則です。神は、その目的に適った人を捜し出され、その人に仕事をさせて、自らの目的を果たされるのです。

今日取り上げます「ギデオン」と言う人物も、神に用いられた器です。その名は先週この教会を訪問された「ギデオン協会」の由来になっているものです。

今朝はこのギデオンを中心に、苦しい状況に立ち向かうことの出来る人物とはどの様なものか、またその状況を打ち破ることの出来る神に用いられる人物とはどの様なものかについて学んで参りたいと思います。

現在の日本は、バブル崩壊の後遺症が続き、不良債権処理問題や貸し渋り、不況や失業などの様々な経済的問題をはじめ、教育現場や家庭の荒廃、凶悪犯罪の増加、環境問題、少子化と高齢化、職場でのストレスなどの心理的問題の増加、など極めて困難な局面にあります。教会に集う方々も、社会の一端をになう上で、これらの問題を避けて通ることはでいないでしょう。そして、何とかしてこの状況を打ち破りたい、と考えておられる方が多いと思います。今日のメッセージは、ギデオンの一節からその問題を解決できる人はどの様な人間かと言うことを取り扱いたいと思います。


ギデオンが登場したこの時代は、今から約3200年前、紀元前1200年ころのことで、士師の時代といわれていました。この時代のイスラエルは、約束の地に入ってからかなりの時間もたちある程度の安定を得ていましたが、依然として周辺の民族との抗争は続いていました。

特に問題だったのは、ヨシュアなき後確固とした指導者が不在であり、リーダーシップが不在だったことです。そのため、問題解決には、その問題ごとに裁き司(士師)が与えられると言う状況でした。

この時代にはあるパターンが見られます。つまり、民衆は罪を犯し、その罪に対して神の罰が下り、その苦悩の中から民の叫びがわき上がり、それに応じて個々の問題を解決するために、裁き司(士師)が登場してきた、というものです。ここで取り上げるギデオンもそのような士師の一人です。

士師とはこのように個別の問題に対応して登場してきた人物で、政治的リーダーと言うよりも、ある戦いを乗り切るための軍事的なリーダーというようなものです。サッカーや野球チームの監督のようなものといっても良いかも知れません。

さて、そろそろメッセージに移りたいと思います。今日は何故ギデオンが神に選ばれたのかと言うことについてお話しいたします。


1)彼が平常心を保ち、as usualの営みが出来ている人物であったから

ここで登場しているイスラエルの敵、ミデヤン人というのは、死海の東側のアラビヤ砂漠にいた遊牧民族のことです。6章の3〜5節では、彼らがイスラエルの民族が作物を植え、収穫しようとする度にイナゴの群のように現れて、それらを奪い取っていったことが記されています。イスラエルの民は、そのミデヤン人に対し為すすべもなく、逃げまどうだけだったようです。

ここで登場するギデオンもご多分に漏れず、酒ぶねの中に隠れていたようです。酒ぶねとは、葡萄の実を足で踏んで、果汁を搾り取る大きな箱です。深さが約60cm、面積が2平方メートルのものだそうです。

ギデオンはその本来の目的ではなく、ミデアン人の目を逃れながら、数日分の食料に必要な小麦を打っていたようです。このことについては、彼が臆病な人物だったという解釈と、彼がそれなりの信仰を持っていた人物だったという二通りの解釈があります。

今日私は、後者の立場でお話をいたします。何故かともうしますと、もし彼が臆病者で隠れていたのなら、小麦を打つことすら出来ないほど心が乱れていたのではないかと考えたからであります。私はむしろ彼は、環境に屈しない、意志の強固な人だったのではないかと考えております。

これは例えますと、ローマ帝国の迫害の元で信仰を守った、カタコンベのクリスチャンたちのようなものです。彼らは決して臆病者ではありませんでいた。しかし信仰を守り続けるためには、地下墳墓に入って信仰を守らなければならなかったのです。彼らは、苦しい困難な状況でいつも通りの信仰を保ち続けました。ギデオンもそういう人物であったのです。


2)徹底した謙遜の器であったから

13節から15節では、神様から使命を受けたギデオンが、本当に自分のような弱い者でよいのかと言うようなことを主に質問しています。こう言うことは、自己卑下や不信仰によるものかと言いますと、そうではなく彼は本当に謙遜で、心砕かれた人物であった事からでているのです。こういうことは、本当に自分の立場を知っている者のもっともな問いかけではないでしょうか。

もし彼が本当に不信仰で不服従な人物であったら、主は彼を用いることはせず、彼の不信仰を罰したに違いありません。第一コリント1章で、「主はこの世の愚かで弱い者をお選びになりました」と言うことが記されていますが、神様は常に心底謙遜でへりくだった者のみをお用いになられるのです。


3)信仰の器であったから

これまで話して参りました二つのポイントのみでしたら、世間の人間の中にも条件を満たした人はいるでしょう。しかし、周囲するべき事は、神が用いられる人物は「信仰を持った人間」であると言うことです。

13〜16節で書かれていることを注意深く見て参りますと、ギデオンが彼なりの信仰を持っていたことが判ります。普通ですと、主から命令がでた場合、即刻その命令に応じて行くのが信仰者の常ですが、彼は先程も述べたような質問を主にぶつけています。

その内容は要約しますと、まず神がイスラエルとともにいるなら何故このような苦境に陥らなければならなかったのかと言う質問、もう一つはもし私がミデヤン人を討ち取れるというのならその印を見せて下さい、と言うものでした。

こういう質問は、普通ですと不服従や不信仰の現れと捉えられます。しかし、先程も述べましたが、神様がこれらの質問を受けて答えられていることから、この質問が不信仰でないことが判ります。

主の答えをまとめてみますと、3つのポイントがあります。まず第一は、罪がこのような結果、すなわちイスラエル民族の苦境をもたらしたのであるということ、次いで永遠という尺度で見ると神様は公平な方であると言うことです。そして最後は、ギデオンあなた自身が答えだ、と言うものです。

つまり、これらのことに答えられながら、この問題を解決するのがあくまでもギデオンであると言うこと、そしてその解決策は主ご自身が与えられると言うことを示されたのです。このことは、ギデオンが彼なりの信仰を持ち、その信仰に応じて神が彼を選ばれたと言うことを示しています。

その結果、ギデオンは一変されました。6章34節には、「主の霊が彼を覆った」と書かれていますが、これは使徒の働きで登場する最初の殉教者ステパノにも同じように起こったことです。これは一言で言うと、ギデオンの働きが、神の働きそのものになっていったことを意味しています。

14節では主がギデオンに、酒ぶねをでて、あなたのそのままの力で行き、ミデアン人をうち破れ、と語っておられます。こういう召しに答えて、「酒ぶね」を出て、神の仕事に信仰を持って着手すると言うことが大切なことです。


最後に実生活への具体的な適用についてまとめてみましょう。

1)本当に謙遜な人になりましょう。砕かれた心を持つことが、神に用いられて問題解決をする人には必要なことです。

2)神様の「私」に対する期待を感じ取りましょう。

3)信仰を持って立ち上がり、困難に立ち向かいましょう。酒ぶねを出よと言われたら、信仰を持って現在の問題に果敢に立ち向かっていくことで、もう問題解決の糸口は得られたに等しいのです。

さあ、勇気を持って困難に立ち向かいましょう。


Editied and written by K. Ohta on 980623