礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

98年12月6日

クリスマス講壇(2)

『「インマヌエル」による励まし』

竿代 照夫 牧師

イザヤ書7章1〜17節

中心聖句

 14それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名付ける。

(14節)

教訓: 「インマヌエル」をこのクリスマスにあなたのものに


導入

先週日曜日の礼拝の後に、教会学校懇談会というものを行い、教会学校の今後のあり方について、皆様にいろいろなご意見を伺いました。この時私は、教会学校の生徒の皆さんにも「教会学校はおもしろいですか?」と聞きましたが、あわせて「礼拝はどう思いますか?」という質問もしてみました。

子供さんは正直なもので「つまらない」「眠い」といった、実に正直な意見を聞くことができました。あるお子さんは「先生の礼拝説教は内容的にはよいのであるが、ポイントが捉えにくい。もう少しポイントを絞って、わかりやすく話して欲しい。」と言う意見がありました(笑)。ですから、今日はポイントをわかりやすくお話しいたします。

今日は、イザヤ書の7章の14節を中心に、3つのことについてお話しいたします。この箇所のことばは、預言者イザヤが主イエス・キリストの誕生(クリスマス)を預言したうちの一つです。今日はこの預言が1)いつ行われ、2)何を意味し、3)どうしてされたのか、その理由についてお話いたします。


1)どの様な時期にこの預言がされたのか?

まず、この預言がなされた時期についてみて参りましょう。どうもわかりにくいと言うことですので、要点をこのようにOHPに書いてみました。少しは、わかりやすくなったでしょうか?

この預言は紀元前730年頃行われました。このころユダヤ民族は、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂しており(王家のまとめ参照)、今のイラクに当たるアッシリヤが世界覇権を狙って、イスラエル王国とその隣にあったアラム王国を盛んに攻撃を仕掛けておりました。

アッシリヤの攻撃に対抗するため、アラム王国の王レツィンは、イスラエルのペカ王に反アッシリヤ同盟を提唱し、両国は軍事同盟関係に入ります。彼らはさらに、南のユダ王国とも同盟を図りますが、南の王アハズがこれに反対したため、軍隊を送ってこれを制圧し、ユダ王国に傀儡政権を作ろうといたします。

アハズ王は、これに抵抗するため、逆にアッシリアに密書を送ってイスラエル・アラム両国の背後を襲うようにし向けました。しかし、このような権謀術数を取ることによって、ユダ王国は次第にアッシリヤの影響力の支配下におかれ、やがて属国化していくことになります。

この記事は、信仰に立つべきユダヤ民族が、人間的なあさはかな策略に頼りすぎた結果、最終的により大きな試練を受けなければならなくなったという教訓を示しているのです。

つまり、ここでのイザヤの預言は、「神を先ず信頼して独立を保て」と言う政治的な色彩を持つ預言であったわけです。例えば4節には「恐れてはなりません。あなたは、これらの二つの木切れの煙る燃えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子との燃える怒りに、心を弱らせてはなりません。」と励ましていますし、9節では「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない。」と戒めてもいます。一言でまとめると、「アハズ王よ、周りの意見にグラグラ惑わされずに、しかっり神を信じよ」と言ったわけです。


2)預言の意味

次にこの預言の意味を見て参りましょう。14節では、「主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。」と書かれています。このしるしとは、「神様がなしてくださったと思わざるを得ないような不思議な出来事」を意味する言葉です。

そのしるしの内容は「見よ。処女が身ごもっている。」と言うことになります。この「処女」ということばはヘブル語で「アルマー」というもので、未婚の婦人を指すことばであると言われています。したがって、この箇所は必ずしもマリヤによる主イエスの処女降誕を意味しているのではない、と考える人もいるようです。

「身ごもっている」ということばは、「乙女が身ごもった状態で子供を産む」と言うことを示す形容詞であると、私はとらえております。

そしてその子供の名前が「インマヌエル」と言うものになる、と預言されているのです。この「インマヌエル」ということばは私たちの教会の名称にも用いられていることばですが、このことばは日本人には言いにくいのか、通りがかりの人の中には「犬まえる(イヌマエル)って犬のいる教会かね?」とか、「インマヌエルって言うのは、インマヌエル・カントから取ってるんでしょ」と言うような誤解を持つ方もおられるようです。

ここで念のため正確な意味を説明しますと、「インマ」とは、「ともに」と言う意味であり、「」とは「私たち」、「エル」とは「神様」を意味しているのです。つまり、「インマヌエル」とは「神様が私たちとともにいます」と言うことを表したことばなのです。イザヤの預言では、この「インマヌエル」と言う名の子供が産まれる前に、例のイスラエル・アラムの同盟は崩れるというものなのです。

ある聖書学者はこの場所を主イエス・キリストの誕生を預言するものではなく、これから生まれるアハズ王の子供について記しているのだと主張しています。しかし、アハズの子供でるヒゼキヤ王はすでにこの時9才であり、これは当たりません。

また、これを同時代の名もない子供であるとする説もありますが、それがはたして「しるし」となるでしょうか?

いろいろと説はありますが、やはりここは率直に考えまして、その後誕生する主イエス・キリストのことを預言していると見るべきでしょう。実際、主イエスの誕生までには、イスラエルもアラムも滅ぼされ、二国間の同盟などもなくなっておりました。


3)この預言はどうしてなされたのか?

この預言がどうしてなされたか、その理由は一言で言いますと、イザヤが同時代の人間の信仰を励ますためであった、と言うことになります。

この当時は比較的ましな南のユダ王国ですら、信仰というものが形骸化し、実生活と信仰が分離しがちな状態でした。実際の問題解決には、信仰はさておいて、先ず人間的な知恵や策略で解決しよう、と言う気運が優性であったのです。そのため、アハズ王も、先ず神へ助けを求めることなく、イスラエル・アラム同盟に対抗するため、アッシリヤへ密書を送るというような権謀術数に走ったのです。

こういう時代にあって、イザヤは、「神様は私たちとともにいらっしゃる。我々の日常生活全てについてともにいてくださるのだ。」と言うことを強調したかったのです。

イザヤは実に700年も後の出来事を預言して、それよりずっと前に生きている人々へ、正しい信仰の姿勢とはなにかを説いたことになります。

思えば、主イエスがこの世に人間の姿をとってお生まれになったこと(クリスマス)が、この「インマヌエル=神我とともにいます」を象徴・具現化しているのです。神様は、遠くから私たちを眺めておられるのではなく、いつもすぐ近くにおられて、私たちと一緒に悩み、苦しみ、そして助け船を出されるのです。主イエスは、当時人々から嫌われていた「主税人」や「遊女」の友達と呼ばれておりました。これは主イエスが、私達と同じ罪人の立場に立ってくださったことの現れなのです。

さらにこの預言は現在的な意味も持っています。それは、「インマヌエル=神我とともにいます」と言うことは、現在を生きる私たちの心の中にも起こり得ることだからです。

9節の「信じなければ、長く立つことはできない」ということばには、「信じれば、立つことができる」と言う積極的意味が含まれています。「立つ」ということばは「アマール」という「アーメン」と同じ語源の動詞が用いられています。これは「たしかな動かないものに身を委ねる」と言う意味を持った動詞です。喩えて言いますと、セメントを練った上に柱を立てようとするとき、しっかりと固定して動かないようにすれば、堅くしっかりとその柱は立ちますが、ああでもないこうでもないとグラグラ動かしていては決して立つことはない、と言うような感じです。

このクリスマスの時、是非皆さんにはこの堅い「インマヌエル」の信仰をうち立てていただきたいと思います。それでは最後にその具体的方法についてみて参りましょう。


1)まだクリスチャンでない人は。。。

このクリスマスの機会に、心に主イエスをお迎えし、「インマヌエル」の生活を始める決断をしましょう。

2)クリスチャンの人は。。。

こころの「インマヌエル」を確認しましょう。具体的には朝ごとに神様と向き合う時間(密室の時)をとります。そして、神様を崇め、信仰の確認をするとともに、その日に行うことを列挙し、その全てを神様のために行うと告白し、その導きを求めて祈ることです。

3)まず神の前に祈る

何事も自分の知恵で解決するのでなく、神様を信じ、それに応じて示される道を選択するようにすることが大切です。このことは、危機に陥ったときに特に大切です。現代の信仰者にも様々な危機が訪れるものですが、その時自分の浅はかな考えで不正な手段に訴えたりすることなく、神の示す正しい方法を選択することが必要なのです。それは、結果的に正しい道を選ぶことになり、しばらくしてその選択の合理性が見えてくるものです。

最後に、詩篇46編の1節をお示しして終わりたいと思います。

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある力。

この最後の「そこにある力」ということばは英語では「very present help」と書かれています。この「インマヌエル」のお方を信頼して進みましょう。

Editied and written by K. Ohta on 981208