礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

98年12月6日

クリスマス講壇(3)

『その名をイエスと』

竿代 照夫 牧師

マタイの福音書1章18〜25節

中心聖句

 20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

 21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスと付けなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

(20〜21節)

教訓: 「イエス」をこのクリスマスにあなたのものに


導入

先週は「インマヌエル」と言う、主イエス・キリストの預言的なお名前についてお話しいたしました。今朝は、もう一つの名前である「イエス」についてその意味をお話ししたいと思います。

冒頭の箇所では、イエスのこの世の父であるヨセフが、マリヤの受胎に絡んで彼女のことを心配していた時、主の使いが来て「その胎の子は主の子供であり、恐れずにマリヤを迎えなさい」と言うメッセージを伝えらた場面になっています。ここで御使いは、その産まれてくる子供に「イエス」と言う名を付けなさいと、ヨセフに語りました。

名前というものは、その人一人一人を表すものであり、皆さんが大切にしているものです。名前を間違えられると、気分を悪くされる方もいるのはその為です。

聖書に見られる名前も、その人の「個性」を表すものとして重要な意味を持ちます。例えば「アブラハム」は「多くの国民の父」、「ヤコブ」は「かかと=おしのける者」と言う意味を持っています。

特に、神様そのものの名前に関して言いますと、神様というものを自己紹介的する意義を持っているものです。これは言い換えますと、名前を通じて神の何たるかを、私たちに向けて啓示していることになります。例えば、旧約聖書の「主=ヤハウェ」は「私は在る 、(またはあらしめる)」という神の性質を表わす大切な名前であり、ユダヤ人たちに神聖視されていました。

神様の名前は、人が神を捉え、呼び求めるときの大切な鍵でもあります。つまり、その名を呼ぶことで、神様からの恵みを引き出すことができるのです。それゆえ、旧約聖書には「むやみにその名を唱えてはならない」と書かれているのです。


新訳聖書に書かれている神様の名前は、先週お話しした「インマヌエル」以外に、「イエス」と「キリスト」があります。それらの意味は以下の表(OHP)の通りです。

名前 意味 名前の属性
インマヌエル 神、私達とともに 預言的名前
イエス 主(ヤハウェ)は救い 個人名
キリスト 油注がれた者 職名

今日はこの中の「イエス」について、1)その意味と、2)私たちがその名を呼ぶことはどういうことなのかについて焦点を当ててみたいと思います。


1)「イエス」と言う名前の意味

イエスの語源は、ヘブル語のイェホシュア(一般的に日本では「ヨシュア」と呼ばれる)、すなわち「主は救い」と言う意味を持つことばです。これはギリシャ語では「イエスース」、英語では「ジーザス」(ユダヤ人クリスチャンは「イェシュア」と呼ぶ)、またスワヒリ 語では「イェス」、そして日本語では「イエス」と呼ばれているものです。(こうしてみますと、英語の発音が最も元の発音から遠いものであることがわかります。)つまり、私たちの主イエスは、「救い主」という意味の個人名をもっておられるお方なのです。

しかし、私たちの主イエスは、単にそのような名前を持っておられただけではありません。主イエスは、実にその名にふさわしい生涯を送られました 。さらに言いますと、生涯を通して「救い主」としての使命を全うせられた方なのです。

その「救い主」としての働きはどの様なものだったでしょうか?大きく分けて3つの点が強調できます。

i) 「その民」を救われた:

イスラエルを始めとして、全人類の救いを全うされ ました。

ii) 人間を「罪から」救われた:

」とは人間の中に潜む最も大きい問題であり、これが人間に苦難や苦しみを与える最も大きな原因です。主イエスの来臨目的は、自らをいけにえとして捧げることで、人間のこの大きな罪をあがなうことでした。「世の罪を除く神の子羊」、これこそが私たちが信じるイエスその人なのです。

ヘブル書5章7節に、

キリストは、人とし てこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び 声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました 。

キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び 、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者とな り、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。

と記されております。

主イエス・キリストは「救い主」として誕生したからと言って、自動的にその救いを達成されたわけではありません。ここに書かれているとおり、人間の体をとって私たちと同じように大きな叫び 声と涙とをもって苦しみや悩みを経験され、33年の生涯を掛けて他人の救いのために働き、そして最後に十字架に架かってそれを成就されたのです。

更に十字架の上では、「他の人を救っ たが自分は救えまい」という痛烈な皮肉を受けながら、「そうだその通りだ。自分を救 おうとしない態度こそが救い主なんだ。」と証しされました。実にイエスは、33年の生涯で、他 人を救って自分を救わないという態度を貫かれたのです。

iii)その徹底的な献身の結果、全ての人が「イエスは主」と告白するに至った:

ピリピ人への手紙2章6節〜8節に書かれていますように、主イエスは徹底的に自分を捨て、民のためにへりくだったので、死から蘇って全ての名に勝る「救い主」を与えられるまでにまで高められたのです。またそれゆえ、10節に書かれているように、すべてのひとが膝を屈めて「イエス・キリストは主で ある」と告白するに至ったのです。


2)イエスの名を呼ぶ素晴しさ

神の名前を呼ぶと言うことはどの様な意味があるのでしょう。神の名前と言うものは一般的に言って、重いドアについているノブのようなものです。すなわち、神の国につながる扉を捉えやすく、また開けやすくしているのが「神の名」ということなのです。したがって、神の名前 を呼ぶとは、神ご自身を捉える事です。あまり神秘的、魔術的に捉えてはいけませんが、その聖名に篭められた力があることは事実なのです。神の名には私たちの求める全てが約束され、含まれているのです。


イエスの聖名を信じて呼ぶときに、その力と救いが私達のものとなります。ローマ人への手紙10章13節に書かれているとおり、

主の御名を呼び求める者は、だれでも救わ れる

のです。これはヨハネの福音書1章12節のことば、

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、そ の名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった

にも書かれております。

よく、救われていない人が、どうすればクリスチャンのように救われるのですか?と質問されることがあります。その答えは実に簡単なことです。「イエスさま」とその名を信じ、呼び求めさえすればよいのです。使徒の働き4章12節には

この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには 、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないから です。

と書かれています。ピリポがエチオピアの高官を信仰に導いたときも、高官が「主イエスを信じました」と答えると、何の問題もなく洗礼を授けておりました。救いを必要とする人は、単純に「イエス様」と(彼の救いの業を信じて)呼 び求めればよいのです。また、それだけが救いの道なのです。

つまり、「イエス」の名前とは、神の国へ通じる「パスワード」や「合い言葉」のようなものであり、これを呼び求めることで神の国の大きな扉が開かれるのです。

「イエス」の名を呼び求める、この単純な信仰を持たせていただきましょう。


主イエスの名を呼ぶこと、それは大きな業をも可能とします。たとえばルカの福音書10章17節ではこう記録しています。

さて 、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。『主よ。あなたの御名を使うと、悪霊ど もでさえ、私たちに服従します。』

またパウロも使徒の働き16章18節で、こう言っています。

幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、『イエス・ キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。』と言った。すると即座に、 霊は出て行った。

このように、主の名を呼ぶことで、悪霊さえ怖じけずいて立ち去っていくのです。

主の名を呼ぶことはさらに 、癒しをも可能とします。使徒の働き4章10節では、

皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、 よく知ってください。この人が治って、あなたがたの前に立っているのは、あなたが たが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御 名によるのです。

私も、悪霊に憑かれた回教徒の家で、キリストの聖名の力強さを 経験したことがあります。このように主の名前というのは、実に大きな力を持っているものです。


このようなことがわかって参りますと、冗談や反逆的な気持ちで主の聖名を使うことは主への冒涜であることはおわかりになるでしょう。

使徒の働き19章13節で、

ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、『パウロ の宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。』と言ってみた。

と言う記事が出て参ります。これをしたのは祭司長の息子でしたが、これに対して悪霊たちはかれに逆に襲いかかったのです。ここにおいて、旧約聖書の十戒でも書かれている「聖名をみだり に呼ぶ」ことの重要性を考えて見る必要があります。



最後にその具体的方法についてみて参りましょう。

1.救いを必要としている人は、聖名を信じる信仰をイエス様に対して告白しよう。

2.罪の誘惑、サタンの力を感じる時は、主の聖名によって撃退しよう。

3.その他あらゆる生活の状況、場面で、あらゆる仕事の局面で、主の聖名を呼び求 める信仰を告白しよう。

みなさんも、全て主の名を呼び求める者とさせていただこうではありませんか。

Editied and written by K. Ohta on 981213