礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

99年1月31日

『 この谷には水があふれる』

井川 正一郎 牧師

第U列王記3章5〜20節

中心聖句

14エリシャは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられる。もし私がユダの王ヨシャパテのためにするのでなかったなら、私は決してあなたに目を留めず、あなたに会うこともしなかったでしょう。

16彼は次のように言った。「主はこう仰せられる。『この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。』

17主がこう仰せられるからだ。『風も見ず、大雨も見ないのに、この谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、獣もこれを飲む。』

(14,16〜17節)

教訓:徹底した信仰と神様の御業


導入

第二列王記の3章の14,16,17節をもう1度繰り返してお読み致します。 今日は特にこの17節「この谷には水があふれる」、この御聖言を頂戴したいと思っております。

この3章の内容は読んですぐおわかりの通りです。すなわち、今まで貢ぎ物を納めておりましたモアブの王が、イスラエルのアハブ王が死んだことをきっかけとして背きました。そのためアハブの子のヨラム王が、ヨシャパテを味方としてモアブを攻めるため出陣したのですが、7日間も回り道をしたため水がなくなってしまった。そこでエリシャによって水が満たされたという記事であります。

「水を満たす」(20節)ということが神様の御業によってなされたわけでありますが、なぜなされたのでしょうか。なぜかといいますと、14節に書いてありますように「王ヨシャパテのためにする」からであります。今日は特にこの「ヨシャパテのためにする」に心を向けたいと思います。なぜヨシャパテのためなのでしょう。

この理由を考える前に、ヨシャパテとはどういう人物なのか見てみます。

歴代誌U17〜20を参照していただきたく思いますが、南王国ユダの3代目の父アサの後を継ぎ35歳で王となり、25年間、60歳までユダを治めました。その特徴は、ダビデの道を歩んだ人で、「善王」と評価された王です。富と兵力が増加した反面、息子にアハブの娘を娶らせ、同盟関係を結びました。それによりバアル宗教が入ってしまったのです。

ヨシャパテという人物をまとめますと、善王であり、神様にそれなりに心を向けていましたが、煮えきれない、徹底していない、中途半端な信仰者であったと言えます。

今日は、14,16,17節を中心として、大きく次の2つのことを学びたいと思います。

 ・ヨシャパテの信仰の特徴

 ・ヨシャパテの信仰を神さまはどう扱いなさるか


ヨシャパテの信仰の特徴は何か

1)世と妥協した信仰

アハブと同盟関係を結んだ結果、バアル宗教が入ってしまい、ユダの純粋な信仰がおかしくなってしまいました。この「アハブとの同盟関係」は、言い換えれば「この世との妥協」と言えます。「世との妥協」という場合、表裏2つの面があり、1つは「自分の意志でこの世を取り込む」ということと、もう1つは「この世の流れに従う」ということです。

「世との妥協」という場合、口でいうほど簡単な問題でないことは、皆さんも経験し、十分おわかりのことと思います。私たちも、世の中にあって、現実的には、仕事を円滑に進めるため、職場での人間関係・付き合いは大切であり、よい人間関係を築かなければならないことはもっともです。具体的にはどうすればよいのでしょう。

要は、クリスチャンとして、お互い、最後の一線だけはきちんと守るということを心掛けなければなりません。アルコールは口にしない、悪に染まるような付き合いは避けさせていただく、しかしながら、仕事・人間関係は、暖かく、誠実を尽くしていくことで、必ずや証し立てられることを私たちは経験するものであり、神様が力付けて下さることと信じております。

脱線しますが、内村鑑三は、旧制一高野球部でピッチャーをする息子(後にプロ野球のコミッショナーにもなった)に対して「安息日厳守、禁酒・禁煙」を強くと言ったため、土・日曜日に実施される試合にも、内村投手だけは、土曜日にしか出場せず、そして安息日はきちんと守ったそうです。

2)困った時の神頼みの信仰

ヨシャパテは、通常の日常生活の中では、神により頼むということが確立していませんでした。しかし、水がないという危機的状況に際しては、「ここには主のみこころを求めることのできる主の預言者はいないのですか。」(11節)と神により頼むことを知っていました。

3)良い点もいくつか見られた信仰

「しかし、あなたには、良いことも幾つか見られます。」(歴代誌U19:3)。まさにヨシャパテの信仰の特徴を表している言葉です。先の「困った時の神頼み」であるにせよ、危機的状況に際しては、自分の知恵・経験で何とかしようとせず、神様にすべてを委ねることを知っていました。そしてそのように行ったのです。これはヨシャパテの良い点であり、見込みがあるというものです。

エリシャ、否、神様は、このようなヨシャパテを何とかしてあげたい、神様の御業を見せて、その信仰を扱っておられるのです。そして、ほんとうの信仰にしようとしておられるのです。


ヨシャパテの信仰を神さまはどう扱いなさるか(ヨシャパテのために)

神様は、信頼者の信仰を徹底的に扱おうとしなさります。そして、多くの場合、"谷底"で扱おうとしなさります。"谷底"から神様の御業が始まるのです。3つ申し上げます。

1)徹底的謙遜

ヨシャパテの自我を砕き、人間として遜る者とせらせました。もはや自分にはどうすることも出来ず、神様しか解決の道はないことを彼は知ったのです。

2)徹底的服従(実践)

「この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。」(16節)。どれだけの長さ、深さ、時間を掘ったかは記されていませんが、神様にとっては、みぞの大きさは問題ではありません。たとえみぞがなくても水を満たすことは出来るのです。要は、神様の御言葉に従って、やってみること、服従することなのです。「愚かだなあ」と思っても、実践してみるのです。なぜなら、神様がおっしゃられるからです。素直に従うこと、その大切さを教えられるのです。そして、その時、神の御業(水の満たし)が現れるのです。

3)徹底的祈り

「ここには主のみこころを求めることのできる主の預言者はいないのですか。」(11節)。これは、深い淵からの叫び、祈りです。「お頼りする方はあなただけです」、「全面的にお委ね致します」という時、神様の御業というものはなされるのです。


この谷には水があふれる(結び)

今日お互い、家庭において、職場において、人間関係において、心の中が"谷底"であるという方、いらしゃいますでしょうか。たとえそのようであったとしても、神様の御業がなされ、「この谷には水があふれる」ようになるのであります。

どうして?「ヨシャパテのために」否「あなたのためにするんだよ」という神様の熱い御思いを、今日、感じさせていただきたいと思います。

このメッセージを今週1週間、どのようにあてはめていけばよいでしょうか。1つだけ申し上げて終ります。それは「徹底しましょう」ということです。窮屈という意味ではなくて、霊的なこと正しいことに関して、譲れないところは譲れない、徹底すべきことをもう1歩徹底しましょうということです。そしてその時「この谷には水があふれる」、それが神様の約束なのです。ご一緒にお祈り致しましょう。

Editied and written by N. Sakakibara on 990131