礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
99年5月30日
『彼らを身近に置き』
井川 正一郎 牧師
マルコの福音書3章7〜19節
13さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。 14そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、 15悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 (13-15節) |
アウトライン:主イエスは私たちをその身近に引き寄せ、身近に置いて顔と顔をつきあわせて交流してくださるお方。これは私たちの大きな特権。私たちはこれにより、主イエスの品性を身につけ、イエスに似た者と変えられていくことができる。その目的は、主の働きを拡大する目的で、主が我々にその権威を委譲し、それを行使するため新たな局面に派遣するためだ。この行為はしかし、自らが主役になっては何の意味もなくなってしまう。我々はあくまで主を引き立てる脇役であるべきだ。これらのことを覚えつつ、主の働きの拡大の奉仕をさせていただこう。 |
導入
ペンテコステの幸いな聖日を越えました。この時期良い意味で聖霊に心を向けることができることは、大変感謝なことです。
聖霊というお方は、三位一体の神様として時代を超えて個人個人の心に働きかけ、救いの業をなし、きよめを行い、或いは一人一人を伝道の働きに導くお方です。
聖霊というお方の特徴は、「主イエスを引き立てる」働きをすると言うことです。聖霊の最大の働きとは、これであると言っても過言ではありません。これは言い換えると、「主を拡大する」と言うことになります。
第二コリント3章18節の有名なおことば、
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
これは聖霊が私たちを主イエスと同じかたちに変貌させてくださると言うことを意味していると同時に、常に聖霊が主イエスをあらわしていくことがその働きの中心であることをも意味しております。聖霊はこのように大変謙遜なお方であり、主を拡大することに満足しているといえます。
冒頭の聖句「身近に置き」ということばを元に、私たちクリスチャンが何のために生きているのかについて、いくつかの点から、今一度思いめぐらせてみたいと思います。
1.特権
「身近に置き」ということばには、身近に置かれる我々が特権を有していることを意味しています。身近に呼ばれる者は、主イエスによって選ばれた者だからです。
クリスチャンの奉仕については、主イエスはこの仕事にはこの仕事、と言うようにそれぞれに最適な仕事をお与えくださるものです。これは特別な仕事に任命すると言うことです。
私たちはこのような特権に浴する者であり、それは大きな恵みであるといえるのです。このことをしっかり確認させていただきましょう。
2.交わりと反映
主の身近で主と交わりを行うことによって、主の考えておられること・御旨を理解することができるようになります。また、交わり(交流と言うべき双方向生のもの)を通して主イエスの持っておられる品性に触れそれに感化され、主イエスに近づくチャンスが得られるのです。
詩篇73編27-28節では、
それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。
しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。
と書かれています。これは、主との交流を保つには、主の近くにいなければならないことを意味しているのです。主との距離感を確認しましょう。
昨日5月29日は、その語呂から「こんにゃくの日」となっているそうです。こんにゃくは身体の汚れを除く食品として古くから知られていました。主イエスはこんにゃくではありませんが、私たちの心の汚れをすっきりと洗い流してくださるお方なのです。
主イエスの近くに置いてくださる特権と恵み、これを求めたいものです。そして、主イエスのような品性を持つように変えられ、主イエスに似た者とされていくことを求めましょう。
3.委譲と派遣
主は我々を「身近に置いて」くださいますが、いつまでもその身近に留めて置かれる方ではありません。主イエスご自身の権威(「唯一・最終的(道徳的)決定」を意味する)を近くにいる者に譲り渡され(委譲)、その者をその働きを必要としている者のところへ派遣されるのです。
すなわち、主のための働きさせるために私たちを身元に呼び寄せ、その権威を委譲し、新たな働きをするために適当な場所に派遣なさるというわけです。
4.脇役(主の拡大をはかること)
権威を与えられると言うことは何を意味するのでしょうか?それは主の福音を伝えるために遣わされ、主のように働くことではありますが、これは「主人のように振る舞うこと」を意味しているのではありません。
それはむしろその働きを通じて主の御栄光が明らかにされるような、「脇役」の働きなのです。つまり働きのすべてが「主イエス様をあらわす」ことにつながることを意味しているのです。あくまでも脇役に徹することが必要です。
脇役に徹すると言うことに関して、3つのことに目を向けましょう。
i) 主役(=主イエス)を盛り上げ、引き立てていく役割である。
ii) 自分自身の重要な役割(なくてならない役割)を持っている。
iii) 脇役の役割に心底満足している。主役がもり立てられることに最高の喜びを感じる者である。
ヨハネの福音書3章26〜30節で、バプテスマのヨハネが自らを「私はキリストではなく、その前に遣わされた者」と呼び、「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません。」と「脇役」のあり方をよく示していることに注意いたしましょう。
実生活への適用
1.常に主イエスの身近に置かれていることの恵み・特権を覚えましょう。
顔と顔を合わせて主イエスと交流し、その品性を反映させて頂くことの特権を確認し、さらにそれを求めようではありませんか。
2.主イエスが崇められていることを最上の喜びとしましょう。
これは、誰か別な人が主から認められていることについても、心の底から喜びとすると言うことを含んでいます。あの人ばかり恵まれてと言うような、嫉妬心があってはなりません。自分のことだけでなく、他人の奉仕についても自分のことのように喜びをもてるようになりましょう。
今週一週、主の働きが広められ、崇められるように、皆さんお互いに励まし合っていただきたいと思います。
ご一緒にお祈りを致しましょう。
Editied and written by K. Ohta on 990530