礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2000年2月13日

ガラテヤ書連講(2)

「復活したキリストとの出会い」

竿代 照夫 牧師

ガラテヤ人への手紙1章11-24節

中心聖句

1:11私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。

1:12私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。

(1章11-12節)

アウトライン:

パウロのクリスチャンとしての原点は、ダマスコでイエス様にお会いしたという彼が何度となく証言した回心の体験にある。

これと全く同じ体験は我々には出来ないが、主イエス様と相まみえる体験は、本質的には私たちが求めるときいつでも許されることである。

心を開いて、今日イエス様にお会いしよう。

教訓: 心を開いてイエス様と会う


導入

先週からガラテヤ書の連講に入りました。今日はまず、先週の復習として1-2節をまず読んでみたいと思います。

1:1使徒となったパウロ-私が使徒となったのは、人間から出たことではなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。-

1:2および私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。

昨週はガラテヤ書についての序論について、とくにそのガラテヤ書の挨拶部分の講解をお話しいたしました。まず、パウロがこの手紙の差出人であり、宛先はガラテヤの諸教会であることをお話ししました。そして、パウロがガラテヤの諸教会に当初説いてきた「キリストを信じることで救われる」と言う単純な信仰の原理が、その後のユダヤ主義者によって「行い(特に割礼)が救われるために必要である」と言う考えに次第に置き換わりつつあり、そのことがこの手紙が書かれた背景にあったことを解説いたしました。

この新たな律法主義は、たとえて言いますと電車の中で気がせく余り、電車を中から進行方向に向かって押しているようなもので、実は全く意味がないことであります。さらに具合の悪いことに、このような律法主義が入り込むことで、せっかく信仰が根付き始めたガラテヤのクリスチャンに、不要な混乱をもたらすことになったのです。

パウロはそのような迷いの中にあるガラテヤのクリスチャンに向けて、再び単純な信仰に戻るように諭す手紙を書いたのです。

さらにパウロは、パウロ自身の権威をおとしめるようなガラテヤ教会内での噂(つまり「パウロは本当の使徒ではない」というもの)を否定するために、自分の使徒としての権威が人間から出たものでなく、出所・手段・方法のどれにおいても神様から直接与えられたものであると主張したのです。

今日はその続きで、どのようにしてパウロがキリストの弟子となったか、その証しについてみて参りましょう。



まず、その前に背景となる
主な出来事をおさらいしたいと思います。先週のプリントの裏側(PDFファイル)をご覧ください。お忘れになった方はこのOHPをご覧ください。

年代 パウロの生涯中の出来事 ガラテヤ書 使徒の働き
34年 回心 1:12 9:3
34年 アラビアでの瞑想 1:17  
37年 エルサレム訪問 1:18 9:28
37年 シリヤ・キリキヤで伝道 1:21 9:30
44年 アンテオケ教会の働きに加わる   11:25
45年 飢饉救済の為エルサレム訪問   11:30
46-48年 第一次伝道旅行(南ガラテヤ中心)   13,14章
48年 エルサレム会議(異邦人への割礼問題) 2:1 15章
48-49年 南」説によるガラテヤ書執筆    

ここで注意していただきたいのは、34年という年代からパウロのキリスト者としての人生が始める点です。これは、パウロは十字架に架かる前の主イエスの姿を、意識的には見たことがないと言うことを意味しております。

ここの記述で〜年後という記述が何度か出て参りますが、これは「回心から〜年後」といたしますと実状によくマッチするようになります。最もこのような細かいことは、気にならない人は気にする必要はないかも知れません。私はそこら辺がしっくりこないと、どうも気が済まないたちですので、いろいろ調べては納得していくようにしています。

さて、このような回心後の経験をしたパウロですが、なぜガラテヤの教会員に向けて、その回心の経験を証ししなければならなかったについて、次に見て参りましょう。


I. 証をする理由:

まず、パウロが受けた福音の啓示は直接キリストからのものである、という主張を実際の物語で客観的に証明すると言う目的がありました。

11-12節には

「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」

と記されております。つまり、神学校で勉強するなどの人間的な方法によって、パウロがその真理に至ったのではく、直接的に主イエスから福音の啓示を得たと言っているのです。さらに言い換えますと、活ける主キリストが福音を示してサウロを救いに導くのみならず、彼を福音の伝達者として立たせようと、ご自分をパウロに示されたのです。

こう言いますと神学校に行かなくても、教職者になれるのかと思う人がいるかも知れませんが、そう言う風に考えないでください。この場合あくまでもキリスト教の初めにあたって、パウロという特別の器に対して、特別な啓示がされたのであり、今日の誰もが同じ様な啓示を受けるというようなことはないのです。

これはまた、「私はパウロと同じ形の経験をしていない」と言って、その経験は本物でないといった卑下をする必要はないことを意味しています。


パウロはこの回心の経験を何度となく繰り返し説いています。彼のダマスコ経験をよく理解するために、多少ご面倒でもそれを皆様に見て頂きたいと思います。

使徒の働き9:1-19 (18節に出てくる「目から鱗(うろこ)のようなものがとれて」というのは「目から鱗」の語源となったところです)

使徒の働き22:3-16 (ここにはまたガマリエルの門下生であるという話が出て参ります。「ガマリエルというのはカエルの一種か?」なんて言わないで下さい。このガマリエルというのは当時最高峰であった学者で、その門下生と言えば今で言うところのハーバード大学やオクスフォード大学の学生みたいなところです。)

使徒の働き26:4-18

第一コリント15:8-9 

ピリピ3:4-6

第一テモテ1:13

これらの箇所では、いずれもパウロが今にも反論しようとしている人たちの前で弁明し、かつ証をしようとしているのです。それはパウロが自分の回心の事実を客観的に証明しようとしているからなのです。どこどこの教祖様のように主観的に啓示を受けたと言っているのでないことに注意してください。また、これだけパウロが証言を繰り返したことから見ても、この回心が彼にとっていかに重要な経験であったかを読みとることができるでしょう。

では、次に回心を経験する以前のパウロの姿についてみて参りましょう。


II. 救われる前のパウロ(サウロ)

教会の迫害

以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。」(13節)

とありますように、サウロ(後のパウロ)の教会迫害は、尋常なものではなく、個人的な憾みがあるかに見えるほど、残酷・執拗・異常なものでありました。そのため、彼は教会を、そのグループとしても、また個人としても「滅ぼしてしまう(原語ではeporthoun=waste荒廃させる)」程だったのです。

ユダヤ教への熱心さ

ユダヤ民族は旧約聖書に書かれているとおり、「神は唯一である」と言うことを、長い歴史の中でイヤと言うほど思い知らされてきた民です。ただ、「唯一の神」と言うある一面にこだわりすぎていたために、救い主としてせっかく世に来られたイエス・キリストをも否定してしまったのです。

サウロ(後のパウロ)のキリスト教会に対する迫害は、彼の純粋さ、そしてこのユダヤ教への熱心さから来ておりました。

14また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。

実際彼は、ユダヤ教の中でも律法とそれを更に細かく定めた細則とを厳格に守るパリサイ派に属し、その中でも超保守派である熱心党というグループにいたのです。つまり彼は中途半端なユダヤ人ではなかったわけで、ウルトラまじめ、「超マジメ人間だったのです。私の友達であるユダヤ人は、ハムを食べたり、安息日に旅行に出かけたりするようなのいわば「生ぬるいユダヤ教徒」であるが、サウロは違っていたのです。

しかしその反面、正義感に加えて人を虐待することにある種の喜びを感じていて、人を痛めつけることが逆に目的になりつつあったふしもあり、パウロはそのことを大変悔いていたようです。

さて、パウロはここで何が言いたいのでしょうか。それは、「私はキリスト教とは最も遠い存在で、人間的な繋がりや影響でクリスチャンになった訳ではない、クリスチャンになったとすれば、それは神の超自然的な干渉による以外には考えられなかった」と言おうとしているのです。

と同時に、「行いによって救われると言うのが正しいのなら、昔の自分をおいてほかにそのような人物はいないが、そのような自分が『救いは行いによるのでなく、信仰によっている』と言うのだから間違えはないのだ」、ということも言いたかったのでしょう。トコトンやった人が言っているのですから、説得力があるわけです。


III. キリストとの出会い

そして、その神の干渉がダマスコへ向かう道でパウロに起きました。この出来事は並行的に使徒9:1−18,22:4−16,26:9−18で証しされております。このダマスコの回心こそ、パウロの信仰の原点なのです。この時の経験は、彼にキリスト=神・救い主であり、自分の罪を背負って十字架に架かられたと言うことを信じさせたのです。そして、人間的な行いによって救われるのではなく、人間の罪を背負って十字架に架かられた主イエスを信じることによってのみ、救いが得られることを身をもって知ったのです。

13節から17節で、パウロが復活の主にはっきりと出会ったことが書かれております。

15節では、「けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が」、と言って、そこに至る神の遠大なご計画を認めております。彼は、その出来事は何の予定も計画もない神のいわば気まぐれでおきたのではなく、彼の出生以前からの定によっていたと感じていたようです。


その啓示はキリストご自身の個人的現われであった

16節では、御子を私のうちに啓示することをよしとされたときと言って、神のご計画の時が満ちたこと、そして、ダマスコ経験の中心は、活けるキリストとの出会いであった事を強調しております。

それも、幻的な現れではなく、復活のキリストがペテロ、ヨハネ達に現れたと同様な可視的・可聴的現れであったのです。彼はここで、「私のうちに啓示」つまりは「内側に見た」と言う表現を用いております。これは、主イエス・キリストが外見的なことでなく、パウロの心の内側に入られたことを意味しております。この二つの表現は矛盾するように見えますが、「キリストは我が内に」といった内面的経験は目に見えるものではありません。しかしパウロはキリストを目で見、耳で聞き、心に焼き付けたのです。

後の2章20節でパウロはこの体験を「キリストとともに十字架に張り付けられた」と表しておりますが、彼のクリスチャン生涯はその瞬間からスタートを切ったわけです。

彼が啓示を受けた理由が、さらにその後に書かれています(16節a「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために」)。つまり、その目的は異邦人への福音伝達であったのです。繰り返して言うようですが、このダマスコ経験は、彼の救いの為と言うだけではなく、彼の使徒としての召しの為であったのです。言い換えますと、福音の真理を同時代および後の世代に伝達する特殊な使命をもっての啓示であったと言えます。


IV. アラビアでの瞑想

エルサレムに上らず

16節c、17節aで、「私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず」と書かれております。

使徒業伝などを読みますと、パウロはダマスコ体験の後、すぐに伝道活動に移ったように書かれております。しかし、実際はここでも記されているとおり(17節b「アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。」)、3年間荒野のアラビヤに滞在してから、キリスト教会の指導者に会ったのです。

パウロはどうやらこの時、意図的に教会指導者との接触を避けたようです。

アラビヤでの瞑想

パウロはアラビヤで何をしていたのでしょう?おそらくは、彼が受けた啓示の意味を人間的な解釈でなく、キリスト自身の助けを得て咀嚼するため、砂漠のような孤立した場所でキリストとの出会いの意味を深く思い巡らしていたのではないでしょうか。

その期間は三年でありました。三年も、誰ともしゃべらず、一人神の前に出て思いめぐらし、祈り、聖言を学びつつ、彼はキリストの福音の真理を追究したのです。

しかし、もしパウロがこの瞑想で得られた真理だけでキリスト教を名乗ったのなら、二つのキリスト教がこの時誕生していたかも知れません。彼はそのようなことをせず、3年間の黙想の後、ペテロなどのエルサレムの指導者に会って、彼自身が示された真理が正しいこと、すなわち主イエスの復活に立ち会った人々の持つ真理と同じであることを確認したのです。


結論

今日の締めくくりに入りましょう。パウロの経験は私たちにも繰り返し得るものでしょうか?答えは「Yes and No」です。

まず「No」とは、 パウロのような直接的な啓示と回心の体験は、彼に与えられた使命の特殊性故のものでした。パウロに対して現れた様な形態や状況で、主イエス・キリストは再び我らに現れなさることはまずないでありましょう。しかし、それはそれで良いのです。

また一方で「Yes」という答えは、主イエス・キリストはパウロにされたと同じように、我らに活けるお方として(パウロに対して衝撃的な方法と状況で現れなさったようにではなかったにせよ)内的顕現をなさるお方だという事です。彼は最もふさわしくないパウロのような人物にも出会って下さり、そして私達の人生もパウロのように全く変えて下さると言う点で、パウロの経験と私たちのそれは同じだといえます。


昨日まで私は、脇町という四国・吉野川の上流の田舎町の聖会に出席し、その当務の一端を担っておりました。それは私の伯父・岩井恭三の召天三十周年聖会で、彼の子供五名、甥・姪四名の伝道者・宣教師達が当務する集会でした。

伯父はクリスチャンの家庭に育ち、陸軍幼年学校から職業軍人の道を歩んでおりましたが、神からは全く遠く、自堕落な生活を送っていました。しかし憐れみに富み給う神は、ある教会の新年聖会を通して彼と出会い、彼の生涯を全く作り替えたのです。彼は罪を徹底的に悔い改め、神の愛を徹底的に信じ、それを伝えるクリスチャン軍人としての生涯を貫きました。

「私は救われると同時に一切の生活が神第一の生涯に変えられると共に、今まで嫌いだった科学さえも好きになり、大感激でありました。朝五時半から早天、それが済むと自宅で聖書と教科書を取り替えて登校、かえると又夜の集会と、目の回るような多忙でかつ恵まれた生活をしました。工兵隊に戻った私は士官候補生教官、召集兵教官など四人分の仕事を一度に命じられ殺人的な多忙さです。救われる前は何一つ仕事のなかった私(何を命じられても快くしたことがなく、結局何も仕事を命じられなくなっていたのです。中隊長は、二年兵と全く変わった私を試すために次々と任務を与え、わたしが何時不平を訴えて来るかと見て居たのです。ある日中隊長が私の部屋で私の聖書を見つけ、どのページにも赤い線が引いてあるのを見て驚いて「岩井君、君の変わった原因はこれか」と問いました。そこで私は救いの証しをしましたが、それ以来中隊長は私をまたなきもののように愛し、重んじてくれたのでした。」

鉄道連隊長として終戦を迎えた伯父は、戦後牧師となり、脇町の開拓伝道を始め、多くの人々にキリストの恵を伝達いたしました。このように「神第一」と言う心に変えられていくことが、私たちの存在を大きく変えるのです。


皆さんは、イエス様と出会った事があるでしょうか

会ったことはないと言う方は、何もダマスコまで行くことはありません。今ここで「私に会って下さい。あなた無しでは罪の中から抜け出すことが出来ません。私を作り替えて下さい。」と申し出るとき、すぐさま主イエス様は会って下さります。

主イエスは「私は戸の外に立ってたたく」と言われました。どうぞその方を今すぐ心を開いてお受け入れ下さい。

クリスチャンの方には、「今朝イエス様にお会いになりましたか?」と言う質問をいたしましょう。礼拝に出かけるのであたふたと準備して、主イエス様とお会いになる時間をとらなかった方はいらっしゃいませんでしょうか?どうぞ朝ごとにイエス様にお会いし、みことばに触れる時間を持って下さい

キリストは何時でも私達と出会って下さるのです。今週一週、主イエス様とお会いする週とさせて頂きたいと思います。お祈りいたしましょう。


Edited and written by K. Ohta on 2000.02.16