礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2000年3月12日

ガラテヤ書連講 (5)

「真理の為に戦う」

竿代 照夫 牧師

ガラテヤ人への手紙2章11〜21節

中心聖句

11ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。

(2章11節)

アウトライン:

 異邦人クリスチャンにとって、割礼が必ずしも必要ないことは、紀元48年のエルサレム会議で、福音の真理として、ペテロも同意のもと、宣告されたはずであった。しかし、その後、ペテロ等は、割礼派の人々を恐れて、異邦人と付き合わなくなってしまっていた。

 それを見たパウロは、皆の面前で、先輩であるペテロに対して、言っていることと行動が違うと抗議を行った。

 今日本においても、警察や病院などで不祥事が沢山起きているが、いずれも周りを気にして世間に流されるという根は同じである。

 このパウロの記事を模範として、真理の為に、世間に流されず、NOと言うべき時は、NOと言えるクリスチャンでありたいものである。

教訓:真理の為に、世間に流されず、
NOと言えるクリスチャンへ


導入

 前回はエルサレム会議と呼ばれる大切な会議で、福音の根本的な真理、原則が確立されたこと、それに至るパウロの戦いの様子を学びました。

 ガラテヤ書2章5節をもう1度読んで、前回の復習をしたいと思います。

5 私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。

 異邦人が救われるためには割礼が必要であるとの一部のユダヤ人クリスチャンの意見に対して、パウロが一時も譲らなかった福音の真理とは、どういうものだったのでしょうか。

 まず、福音というものはすべての人に同じ条件で誰にでも及ぶもの、ということです。次に、福音というものは規則というもので私たちを縛るものではなくて、キリストにより自由を与えるものだということです。そしてもう1つは、これは最も大事なことですが、福音というものは、行いではなく、信仰によって救われるものだということです。私たちが律法を努力によって守ること、あるいは行いによって救われるのではなく、私たちの身代わりになって下さったイエス様を信じる信仰によって救われるのだ、ということなのです。

 この福音の真理というものが、紀元48年のエルサレム会議で公に確認されたのです。パウロが語り、ペテロも賛成し、ヤコブも賛成したのです。これで一見落着だったらよかったのですけれど、実は落着しなかったのです。それが今日お話する出来事であります。

 今日は、「福音の真理」が正しく行われていないという事態に立向かったパウロの姿勢を学びます。もっとはっきり言えば、「福音の真理」を知っているはずの使徒ペテロが「福音の真理」に背く行動を取った時に、パウロが直接に抗議していさめたと言う出来事を学びたいと思っております。


ペテロの過ちとは(11〜13節)

11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。

12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。

13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。

1.過ちの始まり

 ペテロは、「異邦人と一緒に食事をしたり、親しい交わりをしてはならない。」という保守的なユダヤ主義的考え方からはかなり自由でした。コルネリオの家に着いたとき彼はこう言っています。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。」(使徒10:28)この後ペテロがエルサレムに上って、割礼主義者から「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」と非難された時、事の次第を順序正しく説明したのです(使徒11:2〜4)。

 しかもエルサレム会議では、救いは恵みにより、信仰によることを宣言し、会議の方向をリードしました(使徒15:7〜11)。つまり、初代教会の中では、一番「開かれた人」であったのです。事実、アンテオケを訪問した時も、彼は真っ先にギリシャ人クリスチャンの家庭を訪れ、分け隔てのない交わりを楽しんでいました。

 そのようなペテロがなぜ間違ったのでしょうか

 ペテロの訪問中に、エルサレムからの使者が訪れました。彼らは特に保守的な傾向の強かったヤコブからアンテオケの状況を報告するようにとの依頼を受けていたのです。この時まで分け隔てのない交わりをしていたペテロは、落ち着かなくなりました。この状況を、その背景を充分理解しないヤコブが聞いたら躓くのではないか、という気配りがそうさせたのか、或いは、自分の評判が悪くなると言う恐れからか、異邦人クリスチャンとの交わりを段々少なくしていき、ついには、殆ど断絶状態にまで及んだのです。

 つまり、ペテロは福音による自由と福音の普遍性を頭では理解していたのですが、人の目を気にして、良心を偽ったのです。周りの目を気にするという点では、私達日本人も共通であると思います。私達日本人は、絶対者である神がどう私達を見ておられるかよりも、周りの人からどう見られるかの方が気になって、良心を偽って行動する傾向があります。今警察や病院の不祥事が沢山起きていますが、どうも病根は一つのようです。周りを気にして、良心に従って生きない症候群です。あの初代教会の大先生であったペテロさえもこの症候群にかかったという事実は、私達をへりくだらせるものでしょう。

2.過ちの広がり

 ペテロの、この本心を偽った行動は、彼と共にいたユダヤ人クリスチャンにも伝染しました。彼らはペテロに倣って異邦人クリスチャンとの交わりから自分たちを遠ざけてしまったのです。偽善とは心と行動の不一致を指します。その面で、彼等は偽善の誤りに陥ったのです。

 パウロの先輩であり、異邦人伝道の開拓を共に行ったバルナバさえも、この偽善に加担しました。パウロの悲しみは如何ばかりであったことでしょう。「ブルータス、おまえもか。」と叫びたい気持ちではなかったかと思います。

3.その過ちの危険性

 この出来事は、「小さなエピソードとして目くじらを立てなくても」と見えなくもありません。しかし、これを看過すればこの風潮は教会全体に波及しかねない事柄です。

 その結果、福音の真理が損なわれる、とパウロは事柄の本質を見抜いたのです。確かにペテロは、開き直って問いただされば「福音とは普遍的だ。救いは信仰のみによる。」と、模範解答をしたことでしょう。しかし、彼の行動がその真理に逆らっているのです。小さな過ちとして看過はできない、とパウロは感じたのです。

 私達にも、我慢してよい、また譲って良い問題というのはあります。インドで、礼拝のスタイルとして、ベンチに座るか、床に座るかという問題がありましたが、これは、さして本質的な問題とも思えません。しかし、これは決して譲れないという原則的な問題が起きる時があるのです。


パウロの戦い(14〜21節)

14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。

 この問題に、真正面から取り組んだパウロの態度を見てみましょう。

1.(先輩に対してではあったが)勇気をもって

 彼は先輩であるペテロの過ちをいさめました。「あなたの態度は首尾一貫していません。あなたは意識していないかも知れませんが、その行動によって、福音の与える自由、福音の普遍性を危うくしているのです。」と言ったのです。私達は、物を言わなければならないときに黙ることによって、過ちを増幅してしまうことがよくあります。人をいさめるという事は決して楽しいことではありません。ましてその人が先輩であり、人格者であり、地位の高い人であり、教会の大切な立場を持っていたりすると、「黙って祈りましょう。」ということになってしまいます。しかしパウロはそうしませんでした。真理の為に、もっと言えばペテロに対する愛の故にいさめたのです。

2.(真理の宣証の為)公に

 人々の面前でいさめました。ペテロ個人の問題だったならば、皆の前でなく個人的にいさめた方が彼の面子を救ったかも知れません。もっとソフトな、ペテロの顔を立てる気配りという方法もあったかも知れません。しかし、今回は、福音の真理に関わる重要な問題でしたので、敢えて、人々の面前でいさめたのです。公にいさめる事によって、教会全体に広がる悪影響を止めたかったのです。決してペテロの権威を貶めようという邪心は無かったのです。

3.理を尽くして

 14節から21節までに見られるように、パウロは明晰な論理を用いて、ペテロの過ちを諄々と指摘したのです。正しい事を妥協しないではっきりと述べる勇気と、それが相手をつまずかせないで語れるような知恵とを聖霊によって与えられたいものです。

 14節から21節までのパウロの論法につきましては、内容の豊富さから、今日の残りの限られた時間の中では、扱えませんので、次の学びの時に改めて取り上げることと致します。今日は、パウロの戦いという側面だけに焦点を当てて終わりたいと思います。


結論

@ ペテロ同様、私達も、神の目よりも、人の目を気にして、(明らかな罪とは言わないまでも)世の風潮に流され、良心的な立場を見失ってしまうことが多いのではないでしょうか。特に私達日本人は、先に述べましたように「人からどう見られるかを気にして、良心を偽って行動する症候群」を持っているようです。その意味からも、私達はペテロを責められません。私達もペテロと同じ弱さを持った人間であることを認めつつも、何としてもこの症候群からの救いを求めなければなりません。でなければ、日本の社会・経済の救いも期待出来そうにありません。私は確信します、傾きかけた日本の経済や社会の再生は職業倫理の確立から始まらなければならないし、その担い手はクリスチャンなのだ、ということを。

A パウロからの教訓です。私達の日常生活でもこうしたケースは起きます。というよりも、毎日の生活が福音の真理をどう実行するかのテストであると言っても過言ではありません。人の目を気にして、世間に流されてはいけません。NOと言うべきことはNOと言わなければならないのです。その為には戦いがあります。戦うべき時があります。戦いを好んではなりませんが、真理の為に立つべきと示された場合には、(それがどんな事柄についてであっても)敢然と神のみを恐れつつ立上がらなければならないのです。主は私達の信仰を受け入れて下さいます。パウロの言葉の効果はここでは記されていませんが、互いに尊敬する関係に戻ったことは、ペテロの手紙、パウロの手紙で読み取れるのです。雨降って地固まる、だったのです。

B 終わりに、人を恐れずに信仰告白したマルチン・ルターの言葉を紹介致します。信仰についての唯一最高の権威は、法王や教会にあるのではなくて神の言葉である聖書にある、というルターの主張の故に、カトリック教会は彼を破門し、その処分をドイツの国会に委ねました。その国会に喚問され、自分の立場を否認せよと迫られたルターは、こう言ったのです、「私は聖書と明白な理性とによって自分の誤りを示されない限り、この考えを否認する事は出来ないし、そのつもりもありません。私の良心は神の言葉によって捉えられているのです。私はここに立っています。主よ、私を助け給え。アーメン。」と。

 ご一緒にお祈り致します。


Editied and written by N. Sakakibara on 2000.3.13