礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2000年5月14日

CSの日礼拝

「主のためにかがやこう」

竿代 照夫 牧師

第2列王記5:1-14



1 アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士ではあったが、らい病にかかっていた。

2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、

3 その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに。」

4 それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。

5 アラムの王は言った。「行って来なさい。 私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、 金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。

6 彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙が あなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のらい病から彼をいやしてくださいますように。」

7 イスラエルの王はこの手紙を読 むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる 神であろうか。この人はこの男を送って、らい病を直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」

8 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」

9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口 に立った。

10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七た びあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよく なります。」

11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。 私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を 動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。

12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。

13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」

14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子 のからだのようになり、きよくなった。

[はじめに]

きょうはこんなものを持ってきました。今日はこの女の子の話をします。

みなさんは戦争って知っていますか?たくさんの人が武器をもっておたがいにころしあったり、家をやいたり、かちくをとりあったりするのがせんそうです。そのおそろしいせんそうに巻き込まれた一人の女の子のお話をします。


1.ディナがエリシャ先生に会う。

今から約2800年ほど前、イスラエルの国に一人の女の子が生まれました。名前はせいしょに書いてありませんが、ディナということにしておきましょう。ディナが生まれたのはイスラエルの首都のサマリヤでした。その頃はイスラエルの国は二つに分かれていて、北の方はイスラエルという名前をそのまま使い、南の方はユダと呼ばれ ていました。

ディナの生まれたサマリヤの近くの町ベテルには、きれいな金の子牛が 作られていて、みんなそれを拝んでいました。それから、ディナの生まれた頃は、イスラエルのほとんどの人々がほんとうのかみさまをはなれて、バアルというウソの神様を信じるようになっていました。でも、ディナのお母さんはまことの神様を信じていて、

「ディナちゃん、あ の子牛はほんとうの神様ではないのよ。バアルもうそのかみさまなのよ。本当のかみ さまはね。目には見えないけれど、生きていらっしゃって、私達のお祈りに答えて下 さるのよ。」

って、いつも言っていました。

ディナの家には時々おもしろいお客さんが来ました。古い着物を帯で巻き付けて、杖をついて、すり切れたようなふるいくつをはいているこんなおじさん(OHP)でした。髪の毛が少ないね、誰かさんみたいです。

ディナは最初見たとき、くすって笑ってしまったほどでした。なんておかしなおじさん、って思ったんです。

でもそのおじさんの顔はその頭以上に光っていました。だから笑うのをやめました。ディナのお母さんは、っていうと、まじめなかおをして

「よくおいでくださいました、先生。」

っていうんです。このおじさんは先生なんだ、ってディナにも分かりました。

「先生、よろしかったら、お食事などいかがで すか。」

ってお母さんがお招きしました。

「いいえ、お食事などけっこうですが、か みさまのおはなしをしたいのです。おじかんがありますか。」

ってていねいにきかれるので、おかあさんも

「どうそ、どうぞ、では近所のお友達もさそってきますわ。」

って、先生に休んでいただいているまに、近所のお友達を何人かつれてきました。デ ィナは入り口のそばでそのようすを見ていました。

先生のなまえはエリシャっていうんです。エリシャ先生は、

「みなさん。ほんとうのかみさまはただお一人です。バアルの神様はにせ者なんです。木や石で作ったかみさまなんてうそのかみさまです。ほ んとうのかみさまは目には見えませんが生きておられます。そのしょうこに私達がお 祈りするとこたえてくださいます。」

というふうにねっしんに説教をなさいました。 集会がおわると、目の悪いおばさんや、足のわるいおばあさんがエリシャ先生にお祈 りしていただいていました。ディナが良く見ていると、お祈りのあと、そのおばさん やおばあさんが、

「主よ、感謝します。私の足の悪いのがなおりました!!!」

って喜んでいるすがたがとってもふしぎでした。


2.ディナ外国へ連れて行かれる。

あるひ、町の外からウオーウオーっていうおおぜいのひとびとのこえがきこえてきました。何が来たんでしょうか? ヒントはウォーウォーと言う声です。はい、何ですか?お化けじゃありません。違います。そう、せんそうがおきたんです。

そうこうしている内に、「たいへんだ。アラムのへいたいがやってきたぞー。にげろ、にげろー。」といった声も聞こえてきました。そのうちに、かたなややりがチャリン、チャリンとな り、ウームというような悲鳴も聞こえてきました。

さあたいへん、ディナはどこかにかくれなくっちゃ、と押し入れのなかにもぐりこんでじっとしていました。でもさわぎは大きくなるばかり、ドタドタ、バタバタという物音といっしょに、誰かが家の中まで入ってきました。ディナはおそろしくていきをこらしていましたが、とうとう見付かってしまいました。

「おい、ここに小娘がいるぞ。しばってつれていけ。」

ディナはほりょになって、つれていかれました。ほかにおおぜいの少年や少女もいっ しょでした。つれていかれたのは、アラムというイスラエルの隣の国でした。ディナ のしゃべっているヘブル語とはすこし違いますが、意味は大体わかりました。

ディナがどれいになって働くことになったお家は、ディナがサマリヤで住んでいた家 よりも10倍も大きな、立派なお家でした。ディナがつれていかれたのは、その女主 人のミセス・ナアマンという人でした。初め見ただけで、この人は優しい人だって分 かりました。ミセスは

「あなたの名前は?」
「はい、ディナといいます。」
「おうちはどこ?」
「はい、イスラエルのサマリヤです。」

ディナははきはきとこたえまし た。

「そうね。あなたの仕事は、おそうじをすること、食器をあらうこと、お庭の手 入れをすること、分かりましたか。」
「はい、奥様分かりました。」

ディナは明るく 答えました。ほんとうはお家を離れて心細かったのです。おとうさんおかあさんと離れてさびしかったのです。でも、その時ディナはエリシャ先生のお話を思い出してい ました。

「ほんとうのかみさまは目には見えないけれど、どこにでもおられて、私達を見ておられる。お祈りに答えてくださる。」というお話を。

その日からディナのしごとがはじまりました。大きなお皿を割ってしまったり、おそ うじがうまくできなくて、別のどれいにしかられたり、楽しい毎日ではありませんでした。でもそのたびにエリシャせんせいのお話をおもいだして、かみさまにおいのりしました。

「かみさま、どうか私に喜びをあたえてください。いまとても苦しいけれど、助けてください。」

そのお祈りをすると元気がでてくるのです。だからディナは 良く歌いました

「どうしてかわかるかな、ぼくらのたのしいわけ、それはねイエス様 が救ってくれたから・・・」

ミセス・ナアマンはそんなディナのことをじっとみていました。

「どうしてこの子はこ んなに明るいんだろう、仕事をよろこんでやっているし、だれも見ていなくても仕事 をなまけないし、なんだろう、なんだろう。」って不思議に思っていました。


3.ディナ、エリシャ先生を紹介する。

ある日、ミセス・ナアマンが悲しそうな顔をして、部屋にとびこんできました。おま けにしくしく泣き出したのです。ディナはそーっと近づきました。

「ごめんなさい。 奥様、どうなさったのですか。お具合が悪いのですか。」
「いいえ、どこも悪くあり ませんよ。」
「でも、とてもお悲しそうですね。」
「ディナ、あなたみたいな小娘に 言っても仕方がないけれど、主人のことなのよ。」
「あのナアマン将軍さまのことで すか。」
「そう、主人はね。外ではアラムで一番の将軍様って呼ばれているけれど、 本当は病人なんです。」
「おかわいそうに。どこがお悪いのですか。」
「皮膚病なの よ。それも重い皮膚病でどんどんわるくなるばかり、お医者さんが『もう戦争なんか に行くのは止めて、静かにしなさい。』っていうのよ。」
「それはいいことではあり ませんか。」
「だめなのよ。もう命も長くないっていうのよ。」

ディナはその時考えました。本当のかみさまだったら、ご主人を直して下さるに違い ない。エリシャ先生をしょうかいしよう、って。

「奥様。」

ディナは目を輝かせてい いました、

「ご主人がサマリヤにいらっしゃればいいんだわ。」
「えっ、サマリヤ に?」
「そう、そこにはエリシャ先生っていう預言者がいらして、本当のかみさまの 事をおしえてくださるわ。そしてお祈りして、直してくださるわ。」

さあ、みなさん、このお話の続きはどうなったことでしょう。ミセス・ナアマンはこ のディナの言葉を信じました。なぜって、ディナの毎日の生活をみていると、ディナ の信じている神様がほんとうの神様だっていうことは、説明しなくても分かったから です。

ミセスはさっそくご主人にその話をしました。ナアマン将軍は、
「そんな小娘のばか 話を信じるなんて、おまえもよっぽどおめでたいね。」
と笑っていましたが、ミセス があまりにも真剣なので、
「そうか、だまされたと思って行ってみよう。」と、いつ も戦争をしている相手のイスラエルへ沢山の贈り物をもって出発しました。

アラムの 王様から、イスラエルの王様への手紙までもってでかけたのです。ディナの一言がこ んな大きな出来事になるなんて、ディナ自身にも想像もつかなかったことでしょう ね。


4.ナアマンの救い。

ナアマン将軍が沢山の家来をつれてでかけてから、何日も経ちました。ディナは、毎 日ミセス・ナアマンとお祈りしていました。

「どうか、将軍がエリシャ先生にお会い できますように。」って。ミセスも祈っていました、「神様、家の主人は怒りっぽく って傲慢で、短気ですから、ちゃんとエリシャ先生の言うことが聞けますように。」 って。

突然玄関に馬車の音が響いてきました。

「おーい、帰ったよ。」元気そうな将軍の声 です。奥様が真っ先にお迎えしました。

「ほら、見てごらん。僕の腕や足を。みんな が赤ちゃんのようにきれいな肌になった、っていうんだよ。エリシャ先生は偉い人 だ。先生の言うとおりヨルダン川で七回洗ったらこうなったんだよ。でもね。先生の 偉いところは、一切お礼を受け取らなかったことなんだ。直したのは神様だ、ってお っしゃてね。それで、僕もまことのかみさまを信じることにしたんだよ。」

そこまで 話すと、将軍は、すみっこで嬉しそうな顔をしているディナを見付けました。

「ディ ナちゃん、ありがとう。ディナちゃんのおかげで、私は本当の神様をみつけたし、病 気からも直されたんだ。でも一番大きな病気は自慢をするという病気を持っていたん だが、それもなおしてもらったよ。」

ディナも小さな声で

「神様。お祈りを聞いて下 さってありがとう。」っていいました。


[おわりに]

これでディナのお話は終わりです。ディナちゃんがどんな苦しい、悲しい時にも明る い子でいられたひみつはなんでしょう?それはね、神様がいっしょにいてくださった からです。ディナちゃんがそのかみさまはいつでも良いことしかなさらないって信じ ていたからです。

新約聖書にこう書いてあります、みんなで読んでみましょう。

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないな さい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲が った邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり 握って、彼らの間で世の光として輝くためです。」

(ピリピ2:14−16)

私達も ディナちゃんのように光のこどもとしてかがやきましょう。


Edited by K. Ohta on 2000.5.14