礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2000年12月17日

クリスマス連講(3)

「真実な礼拝者」

竿代 照夫 牧師

マタイの福音書2章1−12節

中心聖句

11 そしてその家にはいって、母マリヤととも におられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没 薬を贈り物としてささげた。

(11節)


始めに:

アドベント第三の聖日を迎えました。先週は主イエスの誕生地関する預言から、ベツレヘムにおける出来事とその意味を学びました。

今日は、そのベツレヘムに来て礼拝した博士達から、礼拝者の姿勢について学び たいと思います。


A 物語の背景

1.ヘロデ王:

聖書を良く読んでみますと、ヘロデ王と呼ばれた人物がユダヤの「王」として在位していたのはBC37−4年でした。彼は実際はローマの元老院に賄賂を積んで「ユダヤの王」として名乗ることを許してもらった、一属国の首領に過ぎませんでした。

彼が2歳以下の子供を殺すように命令した後死んだのがBC4年であることはかなり確実な事実であるそうです。従って、主イエスの誕生はBC5年位ではなかったかと考えられます。

[現在の西暦は530年頃導入されたものですが、どうもスタートと考えたキリスト誕生の年について の調査不足で、5年ほど間違ったようです。その間違いが今日まで引き続いていて、 今年は厳密に言えばキリスト誕生の2千年ではなくて、2005年と言った方が良い ようです。]

2.博士達(マゴイ):

マゴス(ギリシャ語:複数形はマゴイ)とはペルシャ地方の祭司階級で自然の秘密、天文学、 医学などを学んだ人々を指していました。その中にはいわゆる魔術的な業に携わる者もおり、そこからマジシャンとヨーロッパでは言われるようになりました。

ここでは、ペルシャの祭司で天文学を研究していた人々を指すようです。この人々は、火を拝むペルシャの宗教を持っていたと思われますが、同時にユダヤ教(当時旧約聖書教えは広く伝わっていた)の影響も受けていました。ですから、メシヤ待望もユダヤ人と同じように強かったと推測されます。

3.東で見た星:

東(日の昇るところ)とは、星の位置ではなくで、星を見た博士達がエルサレムから見て東の方面であった、と思われます。

この星が、全く超自然的な主の栄光であるのか、彗星であるのか、新星のことを指すのか諸説あります。ある人の説によれば、超新星爆発や木星と土星の会合の可能性もあるそうです。しかし、ここでそのことを深く取り上げようとは思いません。

ともかく、明るい不思議な星であったというだけで充分です。ヘロデは、この星は何時表れたか(直訳ではどの位輝き続けているか)と質問しています。星が継続的に観察された様子が伺えます。

4.ユダヤの王:

これはメシヤの称号ですが、その元は民数記のバラムの預言と考えられます。バラムはいかがわしい預言者で、敵からお金をもらってイスラエルを呪うはずだったのですが、いざ呪おうとすると、逆にイスラエルの祝福を祈らされてしまったというダメな人物です。

「私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。」(24:17)

ユダヤ人はこの預言をメシヤ出現と結びつけていました。

ヤコブ(即ちイスラエル)から星が出現するときに、杓(権威の象徴)を持つ者(王様)がイスラエルから起きる、と言う内容でした。

バラムはイスラエルの東に住んでいましたが、この預言は東方に広く行き渡っていたようです。そこから生まれたマタイ2章そのままのような伝説があります。

「天に起源をもつ一人の子がパレスチナ地方に生まれ る。その子に世界の多くの人々が従う。その現れの印はこうである。あなたは不思議 な星を見る。その星はあなたを彼のいる場所へと導く。その星を見たら、黄金、乳香、没薬を携えて彼の所に行き、彼を礼拝し、そして帰って来なさい。そうしなければ大きな災いがあなたに臨む。」

従って福音書に書かれたクリスマスの記事は唐突に出て来た話ではなく、多くの人によって待望されていたことだったことが判ります。そういう背景を考えますと、わざわざ遠くから博士達がやってきたことに大きな不思議はありません。

ちなみに、博士達(Magi)は三人で、カスパル(Casper)、バルタザル(Balthazar)、メルキオル(Melchior)という名前であり、遅れてもう一人やってきたのがアルタバンという話がありますが、これには確かな根拠があるわけではありません。

5.家と子:

この時までにヨセフとマリヤは、クリスマスの夜に仮の宿として使われた馬小屋からだいぶ離れた、ベツレヘムの町の一軒家に住んでいたようです。

これは、エルサレムでの神殿行事を含む何かの必要から、1年前後留まっていたと考えられます。

どうやって生計を立てていたのかは分かりませんが、手に職のある大工さんですから、ものすごく大変だったとは考えられません。

以上の推測の根拠となっていることは、

1)家というギリシャ語(オイコス)が動物小屋とは違うこと、
2)子というギリシャ語(テクノン)がルカの物語の嬰児(ブレフォス)とは異なる こと、
3)星を見て旅の準備をし、旅をするのに可成りの時間がかかったこと、
4)この物語の後にすぐエジプトに逃れるのだが、それではルカ2章に記されている割礼の行事はその前に済んでいなければならないこと、

などです。ともかく幼子イエスは、いたずらをするような年齢に達していたと思われ ます。


B. 礼拝者の姿勢

さて博士たちははるばる乳香・没薬・黄金をもって礼拝に旅立ったわけですが、この博士達の礼拝の姿から、私達今日礼拝の為に集まった礼拝者の姿勢を学んで見たいと思います。

1.求める心をもっての礼拝:

この博士達は、いつ現れるか分からない星を待ち続けて、寒空の中、来る夜も来る夜も空を眺め、メシヤの来臨を待ち望みました。他に星を見た人は多くいたでしょうけれど、この博士達のような切なる待ち望みを持っていた人は少なかったのではないかと思います。

実際、ユダヤでも大きな星が出ていても騒ぎはなかったようで、博士たちはなぜ本家本元のユダヤ人が騒いでいないのか不思議に思っていたことでしょう。

メシヤを待望していた人々は多くいたようですが、それを星に結びつけて、忍耐のいる観察作業を続けた人も稀であったでしょう。

私達も、博士のような求道的な心、主を求める心を持って、礼拝に望みたいものです。

2.犠牲を伴っての礼拝:

メシヤの来臨が確信された時、博士達は恐らく持てる物を全部売って、旅行の支度をし、贈り物を準備したのではないかと考えられます。

このように礼拝には犠牲が伴います。全ての価値を払っても行うものが礼拝というものです。楽をして家でテレビ礼拝をしようなどとは(環境的にそれしか道がない人はともかく)考えないことが大切です。

日曜日に仕事があるような職種の方、受験勉強のまっただ中にある学生さんなどは、いろいろ考えますと大変な犠牲を払って礼拝に参加しているのではないかと思います。また、一家を引き連れ、遠い道を毎週旅することは、博士達にも勝って大きな犠牲でしょう。しかし、主はその犠牲を見、報いて下さる方です。

ある牧師夫人が自分の子供達に向かって、「教会の周りを5周してから礼拝に出なさい。少しは他の信者さんの苦労がわかるから。」と言ったそうですが、本当です。

3.理解を超えた信仰を持っての礼拝:

カトリックの人々は主の頭の上にはリング上の輝きがあったと言いますが、それがなかったにせよ、博士達は全き信仰をもって幼子イエスを礼拝しました。

その対象は他の子供と変わらない、ひ弱な、普通の子供でした。とても王宮に住む王子としての神々しさも、神秘的な雰囲気も何もありませんでした。おそらく全財産をかけてたいそうな身なりで捧げものを持参した博士たちが、いかにも頼りなげな子供にひれ伏して礼拝するのを見て、周囲の人は奇異に思ったに違いありません。

おそらく博士たちにとっても、「エッ、この子ですか?」と言うのが正直な感想だったのではないでしょうか。でも博士達は信仰をもって、幼子イエスを救い主、神の子と仰ぎ、礼拝したのです。

この会衆の中には、どうも神様といってもイエス様といってもピンとこない、もう少し厳かな会堂で、目に見えるイエス様の絵か彫刻が飾ってあって、パイプオルガンが厳かになっていないと礼拝する気分にならない、と仰る方があるかも知れません。

でも博士を見て下さい。およそ、感覚的には、救い主らしからぬ雰囲気のお方でしたが、信仰によって彼を神の子と見て、礼拝したのです。

4.全き遜りをもっての礼拝:

博士達は地にひれ伏して礼拝しました。小さな子供だから、「ああよしよし」とあやしたのではありません。

そんなに綺麗とは言えない床に全身をくっつけて、文字通り礼拝したのです。

この礼拝する(プロスキュネオー)という言葉はプロス(前に)キュオーン(犬)と言う言葉の合成語です。犬が主人の前にふせをするように彼らの顔を地に付けてひれ伏したのです。

ああ、私達の礼拝は、余りにも観念的であり、傲慢なものに留まっていないでしょうか。彼らのように、理屈抜きで靴を脱ぎ、帽子を取り、額も、手も、胸も、足も、皆触れられる所は全部床に触れて主を拝する謙った態度が必要なのではないでしょうか。

5.最高の物を捧げての礼拝:

博士達はそのもたらした最高のものを惜しげもなく保留しないで捧げました。イザヤ書 60:6には、

「らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。」

とあって、イスラエルの隣接諸国が貢ぎ物を収める光景が描かれています。

この地方では、又日本でもそうですが、偉い人の前に手ぶらで出ることは考えられないことです。

私達は礼拝において、 王の王、主の主の前に出ています。献金が捧げられますが、これは会費でも説教の聴講料でもなく、私達の神への貢ぎ物、私達の全身を捧げる象徴なのです。

さて、博士達の黄金、乳香、没薬に、どんな意味があるかとせんさくする学者もおりますが、私はそれよりも、この贈り物が博士達の最高の尊敬を表すものと考えるだけで充分と思います。さらに、結果としてこの捧げものが、ヨセフ達のエジプトへの旅費として用いられたと考える方が実際的でしょう。

6.喜びを齎す礼拝:

最後にこの様な礼拝をささげた博士達は、最も大きな喜びと満足をもって、この地を去りました。礼拝とはこのように私たちに本当の喜びをもたらすものです。なぜそうかというと、人間はそうあるように造られているからです。

私達の礼拝も、その営みを終えたとき、今日も主に出会った、主に自らをおささげしたと言う喜びと満足を持って立ち上がりたいと思います。今日そのような献身を主に捧げようではありませんか。


Written by I. Saoshiro and Edited by K. Ohta on Dec.17, 2000 Modfied on 23/12/2000