礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2001年1月28日

教会総会礼拝

一つ心で福音の為に

竿代 照夫 牧師

ピリピ人への手紙1章20−30節

中心聖句

27 ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、

28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないかと。 それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。 これは神から出たことです。

(27-28節)

アウトライン

教会総会にあたり、 心を一つにして福音を広めるためにどうすればいいか、をピリピ人への手紙から見ることにする。

・「霊を一つにしてしっかりと立ち」とは、キリストが私達を救いに導き、内に住み、その御形に作り上げておられる人間として、正にそのような方向に歩む立場を、教会全体として確認し、共同的な霊的な水準を高めることである。

・ また、「心を一つにして福音の信仰の為に奮闘し」とは目的と動機が同じになること−教会全体が一致することであり、そこには協力的な精神、助け合う心、互いを尊敬する心、自分を中心に考えない真の謙遜がある。

・ことし一年、お互いの間に不調和の要素があるとしたらそれを取り除き、お互いのために、指導者のために互いに祈り各自の置かれた立場で、精一杯、熱い心をもって主に仕えるように奉仕をすることをしつつ、これからの一年の教会生活をおくるようにしたい。


始めに:

1. 教会として53回目の教会総会を迎えました。

  創立以来半世紀余りを経過した訳です。これまで私たちが頂いた主の恵みの大きさを改めて感謝し、群の建てられた使命と方向性を再認識して、新たな進発をさせて頂きたいと思います。

2.この朝、「ピリピ人への手紙」の中から、私達が福音のために共に奮闘する姿勢を学ばせて頂きたいと思います。1章27-28節を中心にお話しますが、最初にその前後関係から見てみます。


A. パウロ勧告の背景

1.「ピリピ人への手紙」はAD60年頃、ローマに囚われていたパウロが、ピリピ(ギリシャ北方のマケドニヤの中心地)の教会にあてて書いた手紙です。

ピリピの教会が牢屋にいるパウロの事を聞き及んで慰問物資を集め、エパフロデトを代表にローマを慰問したその愛の行為に対するお礼として書かれました。

2.パウロは1章12-19節で、自分の身に起きたことが福音の前進に繋がったことを積極的に評価しています。

  彼が投獄されたのはキリストの為だということがローマ 中に知れ渡り、福音が広められる結果となりました。

  実際、パウロは軟禁状態でしたから、自分は外に行けなくても、来客は自由でした。そこで多くの来訪者に福音を語 りました。

  さらに、パウロに刺激されて多くの人々が熱心に伝道を始めました。中には競争心や、野心や、パウロを苦しめようと言う邪心をもって伝道する人もいましたが、パウロはここで大きな広い心を表しています。

  ピリピ1:18「つまり見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」

  福音伝道に狭い心は禁物です。私達もこの様な広い心を与えられたいものです。

3.1章20−24節で、パウロは生きることと死ぬことのどちらがうれしいかの比較をしています。ハムレットの悩みではありません。彼はどっちでも嬉しいと言っています。

  「生きるならば教会の役に立つだろうし、死ぬならばキリストと相まみえることができる、強いて言えば後者の方が嬉しいが、生きるのが主の御心ならばをはじめとする諸教会の為に力を尽くしたい」とその気持ちを表明します。

4.パウロはさらに、出獄が許されるのならば、先ず教会を訪問したい、もしそれが不可能であったとしても、教会のメンバーが福音に堅く立って貰いたいという希望を表明しているのが27-30節です。


B.ピリピ人への期待

1. その第一(というより基本的な事柄)として、「福音に相応しく生活する」事を訴えます。「ただ」という言葉は、軽い意味ではなく、他の事は別としてこのことは どうしても大切ですよ、という意味がこめられています。では、「福音に相応しく生活する」と何を意味するのでしょうか?

・まず、「福音」とは、キリストが私達の罪を負って死に、永遠の命を与えるために甦り、今も生きて私達の内に住み、私達を彼の姿に似せようと働いておられる事実です。

・ 「生活する」とは、ギリシャ語ではポリテウオマイ−市民として、市民らしく振る舞う」−という言葉から来ています。

・ 当時のギリシャ・ローマ社会では、全ての人間が市民ではありませんでした。奴隷もおり、被征服者もおり、かれらは社会の中枢 を担うものとは考えられず、ギリシャ・ローマの血統のあるもの、そうでない人は金持ちか、社会に何か貢献できるような立場のものだけが市民でした。社会を担う市民 としての自覚をもって、それらしく振る舞うことが市民には期待されていました。

「ふさわしく」−アクシオーン−とは「それに相当するように」とか、「その価値を自覚したものとして」という意味です。

 今年の成人式では成人とは呼べないよう な若者の振るまいが問題になりました。英語で叱る時”Behave youreself(ビヘイブ・ユアセルフ)”と言うことがありますが、まさに”Behave yourself”と言いたくなります。

3)この三つの言葉をつなげると、キリストが私達を救いに導き、内に住み、その御形に作り上げておられる人間として、正にそのような方向に歩みなさい、ということになります。私達は福音によって神の国の市民となったのですから(ピリピ3:20から)、その誇りをもって生活したいものです。

  どうか、これを律法的な押しつけと取らないで下 さい。

「クリスチャンになったのだから、あれは駄目、これをしなさい。」とか、「クリスチャンとしての自覚をしっかり持ちなさい。」と言った押しつけがましい気分で自分を律するというのがパウロの教えではありません。

  「福音の恵みを充分に理解し、それを自然に湧き出るような者と自分の立場を置きなさい」と勧めているのです。

2.「霊を一つにしてしっかりと立ち」とは、今述べた信仰的な立場を、教会全体として確認し、共同的な霊的な水準を高めることを意味しています。

1)「霊」-プニューマ-とは人間を人間たらしめる根源的な要素で、神との交わりの座です。聖霊によって与えられたものです。ですから、「一つの霊-プニューマ-において」とは「聖霊の影響によって作られた心の一致をもって」ということです。

2)3章から4章にかけてパウロは、堅く建つという内容を説明しています。3:17-19には、キリストに敵対して歩むものの姿が涙と共にかたられ、20,21節 で、キリストによる救いの完成の望みについて述べています。その締めくくりとして、

     ピリピ4:1 そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。

と勧められているのです。

  要は、キリストが私達を救って下さった、これからも救って下さるという揺るがない信仰を保ち続けることです。

3.「心-プシュヘー-を一つにして福音の信仰の為に奮闘し」とは、もう少し積極的な活動を意味しています。

1)「奮闘」とはレスリングをイメージした言葉です。「奮闘する」-スナスレオー=共にレスリングをする-とはお互い同士にではなく、福音に敵対する者との戦いをすることを意味しています。プロレスでいえばタッグマッチ(複数で戦う試合)のようなものでしょうか。

 敵対するとは、それを無視して罪の生活を送る人々、福音を頭では分かっているがその 教えに反対している人々双方を指します。前者には伝道が、後者には弁明が必要でしょう。

2)「福音の信仰の為に」とは、「信仰に依る救いを齎す福音を積極的に述べ伝え拡大することと、福音を擁護する弁護的な働き」を意味します。

 ピリピ1:5  あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。と語られている通りです。

更に、

  ピリピ1:7 私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。

さらに1章半ばでは、
   ピリピ1:14 神のことばを語る
   ピリピ1:15 キリストを宣べ伝える
   ピリピ1:16 福音を弁証する
といった表現で表わしています。

現代を見ますと、経済も、政治倫理も職業倫理も教育も道徳も殆ど崩壊という言葉しか見あたらない絶望的状況です。

どうしても福音が力をもって国民の各層に及んで行かねばなりません。この目標の為にみんなで心を合わせて頂きたいのです。

主都中央教会が大きくなる事も幸いですが、目標はそんな小さなものではありません。日本のそして世界の福音化です。共に戦いましょう。

3)心を一つにして  心-プシュヘー-とは、人間の感情、思考をつかさどる(霊よりももっと実際的な)我の座です。


C.心を一つにして

1.心が一つでない状態-ピリピ教会の具対的問題として指導者間の不一致がありました。

   ピリピ4:2 ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。

   ピリピ4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。

   ユウオデヤとスントケの内にあった競争心、党派心が福音の進展を妨げていました。私達が世に向かって福音を広めようとするとき、最大の課題は教会の不一致です。特に指導者がお互いに別の方向を向いていたらその教会の祝福はありません。

2.「心を一つにする」とは、意見が同じになることではありません。個性や趣味や物の考え方が同じになることでもありません。目的と動機が同じになることです。

  ピリピ2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、 御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、

  ピリピ2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

  ピリピ2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

  ピリピ2:4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。

  ピリピ2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

とピリピの2章に記されている通りです。

 そこに、協力的な精神、助け合う心、互いを尊敬する心、自分を中心に考えない真の謙遜があります。それこそが心の一致です。

3.先ほどレスリングの話しをしましたが、この場合にはラグビーがふさわしいかと思います。そのスピリットは“One for All, All for One“というモットーで表わされます。

  皆で球を運び皆でトライする。トライをした選手がサッカーでゴールしたフォワードのようにガッツポーズをすることはありません。自分がたまたま前にいただけで、皆でトライしたという意識が強いからです。


最後に

では、具体的な勧告をもって総会へのメッセージとしたいと思います。

1. 不調和の要素を除く 

  もし私達お互いの間にどんな小さなわだかまりでも存在したとするなら、小さい火種の内に取り除きましょう。和解の為に直接にぶつかって心を開いて語り合うことが第一歩です。

2. 互いに祈ろう

  お互いの魂の為にもっと祈りの時を持ちましょう。指導者の為に祈りましょう。

3. 協力しましょう。

 一緒に祈る祈祷会を重んじて、励みましょう。特に今年、祈祷会への出席を皆さんの目標・課題として真剣に取り組んで頂きたいのです。

 共に祈るところに初代教会の力があり、喜びがありました。主都の地理的困難さを重々わきまえつつではありますが、敢えて、月に一度でも、二月に一度でもと努力をして見ましょう。

4. 置かれた立場で精一杯、熱い心をもって主に仕えるように奉仕しましょう。このあと、役割についての任命が発表されますが、役職に就く人つかない人、大きな仕事を担う人、小さな仕事を担う人、目立つことをする人目立たないことをする人、いろいろ違い はあるでしょうが、主の前には全く関係ありません。「良いかな忠実な僕よ」と主のお褒めを頂ければそれで充分なのです。


Sermon by senior pastor Teruo Saoshiro
Summery by Kenji Otsuka , February 1st 2001.