礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
2001年6月10日
信仰生活の基本原則(暫定版)
井川 正一郎 牧師
ミカ書 6章8節
8 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。 |
はじめに
ミカ(書)について
A.預言者ミカ(男)
1)名前の意味 「誰が神のようであろうか」「誰が主にふさわしいだろうか」
2)出身地 エルサレムの西南約30キロに位置する小さな村モレシェテ(モレシェテ・ガテ)の出身(1:1)
3)活動時期はユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代アモス、ホセア、イザヤとほぼ同じ時代に活躍・奉仕(ー750年前後)
4)特徴
庶民・大衆を対象として奉仕
イザヤは王の近くで奉仕。エルサレムの宮廷やある程度の地位を持った人たちを対象として活動した、いわば宮廷牧師。
それに対してミカは、庶民・大衆を相手とし、しかも一般の町村などで活動した、いわば田園牧師。どこででも「見かける(おじんさんギャグに近い)ような」人物。イザヤは「山の上教会牧師」(エルサレムは山の上にあるから)、ミカは「山の下教会牧師」というところか。
B.ミカ書
1) 構成・内容
「聞け」とのことばから始まる3つの部分から成立
そして更に、それぞれの部分に3つのことがサイクル
@ 罪の指摘、A審判の宣告(予告)、B祝福・約束の予告のサイクル
a)1つ目の「聞け」(1:2)は1ー2章で、富める支配階級者に対するもの
b)2つ目の「聞け」(3:1)は3ー5章で、政治的宗教的指導者に対するもの
c)3つ目の「聞け」(6:1)は6ー7章で、神とイスラエルとの討論
2)テーマは、罪の指摘と審判、その後の回復の預言
3)きょうの6章=「裁判所の法廷」の絵
検察官(原告)=主なる神、被告=民、証人(陪審員?)=山々
a)主の訴え=過去の歴史を思い起こさせつつ
b)民の反論=罪の自覚なく、反論
数が多ければ、長子という価値のあるものをとか。
本論
氈D信仰生活の基本原則の強調
1)当時の預言者のみんなの意色見・主張を要約したもの
ある聖書学者は、6:8のみことばを、
*ただ公義を行ない=アモスの「公義(正義)」より
*誠実を愛し=ホセアの深い「愛」より
*へりくだって=イザヤの「聖なるお方との敬虔、かつ遜った交わ り」より
―以上、3つを集約・要約したもの。
同時代の預言者たちがそれぞれの持ち場・立場を保ちつつ、しかも互いに影響しあって奉仕=いわば、相互補完の関係
(一つの例)宗教改革のルターとカルヴァンの関係など
2)信仰の基本原則の意味=真の宗教とは何か
a)「公義」とは、そもそもは「神の判断基準」「行動基準」をいう。
あるいは「はかり」「公平」との意味。
―それは実際的には、神の御旨に適うもの=みことばに適う心と行動
b)「誠実を愛し」とは、約束・契約したことを裏切らず、最後まで守り通す姿勢
c)「へりくだって」とは、謙遜と主の臨在・同行の意識の下での歩み真の宗教とは、主に対する謙遜と臨在意識(心)とそれに伴う生活
BEING(あり方)と、DOING(行ない)
.信仰生活の基本原則の再発見
1)これは、発明や新発見ではなく、再発見
2)6:8は、他の預言者よりも少し後に記されたものか?
―あとになればなるほど、良い!?
(さきほどの宗教改革者たちの強調点、およびその後に出てきたジョン・ウェスレーについて)
。.信仰生活の基本原則の生活化・習慣化
1)哲学・思想・頭の合点ではなく、心と生活の実体験―身に付けるもの
=基本であり、繰り返し、しっかりと踏みしめるもの―立ち帰り、立ち戻るもの
=真の宗教、真の信仰生活とは、「変貌の体験」につながるもの
2)基本原則とわざわざ、それを強調せねばならない理由
―基本から大きくはずれているから
*ミカの預言の理由の一つは、罪の鋭い指摘
a)富める者の貧しき者に対する強欲=自分のものは自分のもの、他人のものも自分のものとの強欲
b)政治的指導者(地主階級の者たち)の不正
c)祭司と預言者たちの罪=わいろ、占い、惑わし
d)民の、心の伴わない形式礼拝・形式ささげもの
これは、神のみ前では小さなことではない。大きなさばきの対象となり、アッシリアによるさばき、またバビロン捕囚という徹底的なさばきにつながるもの。
しかし、そのさばきの向こうに贖い主による救い・回復の預言と祈り(7:19)
<今週の生活への適用>
(1)くりかえすこと(コロサイ1:23)
(2)新鮮な思いをもって(祈ることを通して)、
(3)聞け、聞け、わたしの民よ!
Message by S. Ikawa June 10th, 2001