礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2001年7月22日

「他の羊」

R・バルカー 宣教師

ヨハネの福音書10章14-18節

(竿代主任牧師 同時通訳)

中心聖句

10:16  わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをもみちびかななければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、1つの群れ、ひとりの牧者となるためです。

(16節)

 
(編集者:注)

 本日は、バルカー宣教師デーです。

 1964年に日本へ来られて以来、足掛け35年間、貴いご奉仕をされた先生ご夫妻は、この8月に引退・帰国されます。

 主の豊かな報いをお祈り致します。
 


はじめに

 この場所にお招きを頂きまして、主のみことばを取り告ぐことができますことは、大きな特権であります。この場所において、皆さんと何回か集会を共にさせていただいたこと、水曜日の英語バイブルクラスにおいて皆さんとお交わりができたことは、大変素晴らしい思い出であります。

 インディアナ州にありますインディアナ・ポリスの宣教団の私の直接の責任者が、「絶対に引退しなさい」と引退命令をされたのであります。宣教団がそう決定したことに、私は賛成ではない、のです。もっと日本に留まって奉仕したいと心から思っております。

 体はこの場所を離れることですけれど、思い出は決して去るものではありません。皆様から下さったところの深い交わりのゆえに感謝申し上げます。

 もしもう1度、お会いすることが出来るとすれば、それは天国においてではないかと思います。それですから、皆さん、主に忠実であって下さい。天国で会いそこなうことのない様にして下さい(笑)。


他の羊

 ヨハネの福音書10章16節をお読み致します。

10:16 わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをもみちびかななければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、1つの群れ、ひとりの牧者となるためです。

 なぜ私たちのインマヌエル教団が代表者を外に宣教師として送らなければならないのでしょうか。それは主イエス様がそうするようにと命じられ、指示を与えられたからです。

 主イエス様は失われた羊に対する関心を絶えず示されました。この聖書の箇所には実に宣教的なテーマが含まれています。

 主イエス様の実際的な働きは、周りにいる人たちに対してでありました。そしてその周りにいる人たちは、イエス様の関心は、周りの小さなグループに対してのものであると理解していました。しかし、主イエス様は、「いや、違うよ、私の関心はこの小さなグループだけではなくて、外にいる人たちにもあるんだよ」と言いました。

 それは私たち自身にも当てはめられることであります。主イエス様は私たちに対して小さな世界を見るだけではなくて、外の世界を見るように勧めています。インマヌエル教団は、このイエス様の命令に応えて、宣教師を送り始めました。

 さて、他の国々に宣教師を送ることは役に立つのでしょうか。


宣教師の働き(福音伝道)

 私の先祖はドイツ人でありました。彼らは、その頃ヨーロッパ中を駆け巡り、問題を引き起こしていた野蛮人であったようです。あるクリスチャンたちが、この野蛮なドイツ人たちを何とか福音化しようと導きを始めたのであります。その結果として沢山の人たちが主イエス様を受け入れました。

 そういうことで私たちの何代目か以降はクリスチャンになったのであります。神の召しを聞いて「行こう」という人があった恵みを、私は今いただいているのであります。

 8年前、私の妻バーバラが育ったアフリカに行きました。ケニアのテヌエックに訪れた時、そこで大きな婦人大会が行われていました。その集会が終わった後、3人の婦人たちが格別に私とバーバラに会いたがったのです。その3人の婦人たちはバーバラの両親に感謝を表したかったのでした。

 バーバラの両親は、1930年頃ケニアに来て、イエス様の福音を伝えました。その開拓的な宣教の働きの時に、3人の婦人たちがイエス様の話を聞いて救いを受け入れたのです。

 3人の婦人たちは、「あなたのご両親におかげでイエス様を知ったんですよ。」と言って、本当に心から感謝を表したのです。その頃、ケニアではほとんどの人が貧しく、クリスチャンはほとんどいませんでした。しかし、今、テヌエックには大きな教会堂が建って、多くの人が主を讃美しています。


イエス様の愛(伝えるべきメッセージ)

 イエス様のメッセージを携えて外に行くということは、その労力に値する行為なんでしょうか。その努力は報いられるんでしょうか。

 聖書の大きなテーマは「神は愛なり」ということであります。世界は、「神は愛なり」というメッセージを聞く必要があります。

 今日の世界においては、愛というものがほとんど表されていません。新聞、TVのニュースは、人々が戦い、殺し合っていることを報道しています。愛が欠乏しているからです。

 主イエス様は、愛を説いただけでなく、ご自分の命をも捧げられました。イエス様は確かに十字架において、その命を捨てて下さいました。

 イエス様がそのことをなさったのは、人の心にある憎しみというものを取り除いて、他の人を本当に愛することができるようになさりたかったからです

 お互いを愛することには、神の助けが必要です。イエス様がこの世に来られたのは、その愛が可能となるためでした。イエス様が与えて下さった愛こそが、私たちが今日述べ伝えなければならないメッセージであります


終わりに

 今日、詩篇34篇3節を残してまいりたいと思います。

詩篇34:3 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

 この節は私たちが声を高らかにあげて、主を讃美することを勧めています。ここで主をあがめるということにもう1つの意味があります。

 これは虫メガネであります。小さな字で印刷されているものを読む時、この虫メガネは役に立ちます。詩篇の作者は主の御名を拡大しようと言っています。何か小さな物を大きくすることが拡大であります。

 今日、私たちの周りの人たちにとって、イエス様は取るに足らない小さな存在となってしまっています。

 そのため、誰かが、小さな存在であるイエス様を大きくして見せる必要があるのです。で、そのことを私たちは一緒になってやろう、主の御名を大きくしようじゃないか、と言っているのです。

 私たちはアメリカに帰りますけれども、この虫メガネを使って主イエス様を拡大し続けようと思います。で、皆さんも心の中でこの虫メガネを使ってイエス様を拡大(福音伝道)して下さい

 お祈り致します。


Written and Edited by N. Sakakibara on 2001.7.22