礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2001年10月7日

ルツ記連講(2)

「真の思いやり」

竿代 照夫 牧師

ルツ記1章1〜18節

中心聖句

1:8  そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、

1:9  あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

(8、9節)


はじめに

 ルツ記を前回から始めさせていただきました。ほんとうに宝石のような物語でございます。私たちの多くの光と喜びを与えて下さるところの物語です。しかし、その物語がいきなり素晴らしいところからスタートしているのではなくして、その背景として、非常に暗い時代、暗い家庭から物語は始まっているのです。

 今から千百年ほど前でありますが、ユダの町小さなベツレヘムのエリメレク家に訪れた様々な不幸、時代の暗さがルツ記の出発点です。エリメレク家は士師時代という混乱に満ちた時代に生き、更に大きな飢饉にぶつかり、郷里を捨てて食料を求めて外国であるモアブの地に引っ越しをします。そこでエリメレクは死に、二人の子供達も結婚後間もなく死んでしまいます。夫と二人の息子を失ったナオミは、全く暗い人生を経験します。

 この暗き人生に一筋の光を与えるメッセージが、主の顧みであり、その結果ベツレヘムを含む神の民に食物が与えられたというニュースでした。


A.帰国の決意(6〜7節)

1:6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。

1:7 そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。

1.異国で「骨を埋める」決意

 ナオミは当初は夫と共に異郷の地モアブで骨を埋める積もりであったかも知れません。夫を失った時点でも、その決心は変わらなかったもののようで、その後に、二人の息子の嫁をモアブ人から娶った事はその現われでしょう。しかもそこで10年も過ごしたのです。人間、2、3年でも一箇所に住めば、そこが都となるものですね。ナオミも同様であったと考えられます。

2.故郷へ!

 骨を埋める位の気持ちを持っていた、そんなナオミに、帰国の決意を齎したのものは何だったでしょう。

 第一に二人の息子の死です。この時代は特に寡婦の社会的な立場は弱いもので、夫の庇護を失い、息子のサポートも失った今、女だけで生きていく事自体容易ではありませんでした。

 第二は、寄る年波です。体は段々不自由になるし、介護制度の無い時代にどうやって生きていけるか、不安は大きくなるばかりだった事でしょう。

 第三は、故郷に食物が豊かに与えられ始めたというニュースでしょう。そこに、彼女は神の慰め、顧みを感じたことでしょう。

 もう一つ挙げれば、人間の中に癒し難く宿っている帰巣本能と言いましょうか、故郷が無性に懐かしくなる、といった望郷の念です。「♪うさぎ追いし、かの山〜・・・」という歌(=故郷)は、日本の国民歌とも言える人気を保っていますが、長い間異国に住んでいて、その国を愛していた私にも、その気持ちがよーく分かります。

3.三人で出発

 頭を冷やして考えれば、モアブでの家を出発する時から、ナオミは一人で旅を始めても良かったのですが、ナオミ、オルパ、ルツこの三人はいつでも一つの単位として行動していましたから、ごく自然に一緒に旅を始めてしまったようです(6、7節に嫁達と一緒にと言う言葉が繰り返されています)。或いは、国境まで二人の嫁が護衛するという内諾があったのかもしれません。いずれにせよ、荷物も大してある訳ではない三人の旅人が、雪の溶けかかった田舎道をとぼとぼと歩いている姿をご想像ください。


B.人生の岐路

1.ナオミの勧告(8〜10節)

1:8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、

1:9 あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。

1:10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」

 この三人がモアブとユダの境、つまりヨルダン側のほとりに辿り付いたそのとき、ナオミはこの二人を連れていくことの理不尽にはたと気が付いたように見えます。8節の「そのうちに」という言葉が、国境の付近での会話と想像することは無理ではないでしょう。

 ナオミがふたりの嫁に語ったのは「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」という感謝の言葉でした(8、9節)。そしてナオミはふたりにさよならの口づけをしました。

 この言葉から教えられることは、オルパもルツも帰るべき家を持っていたこと、彼女達は、各々の夫および姑であるナオミに忠実に仕え、愛をもって世話をしてくれたこと、そしてそれに主が報いて下さる筈であること、また、再婚して平和な暮らしをする望みを多く持っていたことです。

 この言葉が別れの言葉であって、嫁と姑の冷たい戦争の記憶は全く失われて、良い事ばかりが出てくるものであることという言わばオーバーな表現であることを差し引いても、これは偉い誉め言葉です。ぎすぎすした人間関係が蔓延しているこの時代にあって、姑を心を尽くして世話をする嫁、その嫁の良き志を暖かく受け止めて感謝する姑、正に美しい家庭の典型ではないでしょうか。

 そのナオミが二人の嫁に勧告したのは、実家に帰って落ち着きなさい、というものでした。極めて常識的な勧告です。モアブ人であるオルパとルツにとって、イスラエルは外国であり、そこに待ち受けている多くの困難はナオミには手にとるように分かりました。当然彼女等が故郷に戻れば再婚を含む人生のチャンスが待ち受けていました。

 しかし彼女達は、年老いた姑をほおっておく気にはなれませんでした。彼女たちは声をあげて泣きました。そして愛と同情から彼等は同行を申し出た訳です。

2.ナオミの思慮深い説得(11〜14節a)

1:11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。

1:12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、

1:13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」

1:14a 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、・・・

 ここまできて、情で押し流されてはいけない、とナオミはこの二人を理を尽くして説得しようとします。

 その説得の要約を言いますと、「余り理想主義に走ってはならない。現実的になりなさい。」というのがナオミの助言でした。あなたは再婚のチャンスを失いますよ!これが最初のポイントです。これを強調するために、彼女は面白い論法を使います。

 ・もし私が今日夫を持つとして(これは非常に少ないチャンス)
 ・そして二人の男の子を持つとして(不可能)
 ・その子が20歳になったとすれば、
 ・あなたがたはもう50歳でしょう。そこまで待たせるのは余りにも酷です。

 この宣言は、イスラエルにおいて寡婦がその亡夫の兄弟と再婚することが期待されていた風習(申命記25:5)を反映しています。

 いずれにせよ、オルパとルツがナオミについていったとしても、再婚の機会はありませんでした。その上ナオミはユダで土地を持っていませんでした。その地上権は売却されていたからです。彼等にとって待ち受けているのは苦しい生活だけでした。ですから、彼等がユダに行くメリットは何もありませんでした。

 その様な悲観的な見方をナオミは、13節で「それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。」と言っています。その理由として「主の(裁きの)御手が私に下ったのですから。」と言っています。呪われた地モアブを選択して私はずっと神の祝福から見放されてしまった、これからも苦しい人生しか約束されていない、その苦しみにあなた方二人を巻き添えにしたら、私の苦しみはもっと大きくなる、とナオミは言うのです。二人を突き放す様でいて、実は優しい思いやりがその中に伺えます

 ですからナオミの議論には説得力がありました。そこでオルパは泣く泣くナオミの許を離れました。だれがオルパを責められましょう。だれも出来ません。オルパの行動はごく自然でした。当然ルツも同じ行動を取ることが期待されていました。

3.ルツの決意(14節b)

1:14b ルツは彼女にすがりついていた。

 このすがりつくという言葉は文字通りには、接着剤でくっつくという意味で、アダムとエバが一体となった時に使われていた言葉です。ルツの心はナオミと一体でした。その結び付きは夫婦のそれに近いものでした。その結び付きの理由は、彼女の神との深い結び付きにありました。ナオミのこの強い助言にも拘わらず、ルツはナオミに従う決意をしました。

 それが16〜18節の信仰告白となって表れます。「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。』ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。」

 この信仰告白の意義と内容は次の機会に譲りたいと思います。しかし、何れにせよ、この様な崇高な信仰告白が出来たルツも偉大、そのようなルツを導いたナオミも偉大と言わねばなりません。


終わりに

 それでは、新約聖書を開いて締め括りたいと思います。ピリピ人への手紙2章3〜4節をお開き下さい。

ピリピ2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

ピリピ2:4 自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。

 今私たちは「自己虫」という虫が大いばりでまかり通っている時代に住んでいます。ほんとうに自分のことと、ごく周りのことしか関心が無いのです。

 今の人達にはほんとうに自分とごく親しい友達しか存在しない、周りの人は全部景色だそうです。

 そうした時代の中にあって聖書は全く反対のことを語っています。「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」

 イエス様の心は、まさに自分のことをひとつも顧みないで地上に降り、一番いやしい姿をとって下さった。その心を私たちに確立することが福音の究極の目的であります。

 そして、そのことを現実にしてくださるのが主イエス様の恵みです。どうかその恵みを、特に家庭生活の中において、ナオミが示したような本当の意味でのおもいやり、自分の立場を先に主張するのではなくして、他のひとのことも顧みる心を、イエス様とともにもたせていただきたい、また実践する一週間であらせていただきたいと思います

 お祈り致します。


Written by I. Saoshiro and Edited by N. Sakakibara on 2001.10.8