礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2001年10月21日

「信仰の決断」

竿代 照夫 博士

ルツ記1章6-18節


中心聖句

16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私に
しむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死に
よっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。

(16-17節)


アウトライン

1.イムマヌエル綜合伝道団創立記念日にあたり、創立に至る経緯を振りかえり、私たちのありかたを確認したい。
2.ルツが信仰の決断をする背景には
1)信仰と愛に満ちた家庭があり、2)ルツが個人的に信仰を持つ−個人的な帰依があった。
また、その決断の内容は
1)ナオミから離れない、2)打算でない愛と献身−神への献身がベースにあった。
そして、決断の結果として
1)地上的な祝福だけでなく、2)永遠的な祝福があった。
私達も、ルツの決断を通して、主に従い、献身することを確認させていただきたい。


教団創立記念日について

きょうはルツ記に入りますが、その前に、特別に教団の創立記念日である事を覚え、多くの方々にはもうほとんど常識となっていることかもしれませんが、しかし、最近この教会に加えられた若い方があられることを覚えつつ、簡略に、このインマヌエルがどのようにして誕生したかということをお話しし、私達のいまある立場を確認し、祈りの時を持ちたいと思います。

申し上げましたように、私達の教団の創立者であり、またこの教会の創立者であられます蔦田ニ雄(つただつぎお)先生が、1920年代に、シンガポールの出身でありますが、ロンドンの大学において勉強しておりましたときに、主が、ある器を通して、救いの恵み、そしてさらにきよめの恵み、さらに主の伝道者としての道を歩むべく召命の声を、聖書を通して語りかけなさいました。それに応じて帰国をされたわけであります。

一番最初に学校に入りましたのがホーリネスの神学校でございました。そして、このホーリネスに大きなリバイバルが起きて、1920年代、30年代に、その人数が3万人、4万人というような大きな運動として広がってまいりました。

けれども、その運動の絶頂のときに、残念なことではありますけれども、教理的に少し行き過ぎたところが出てまいりまして、その教団が分裂をしてしまうという大きな悲劇を経験致しました。そしてその分裂のあとで、悩んでいるところの若い教役者たちを中心に祈りの時が持たれ、その祈りの結果として、「リバイバル・リーグ」と呼ばれるところの若い伝道者達の運動となりました。1930年代の事であります。

そして、その運動がやはり、20年代と同じように広がって行ったのでありますけれども、1942年、東条政府(内閣)がキリスト教徒を弾圧致しました。そして福音的な牧師達がほとんど投獄されてしまうという、大きなキリスト教の冬の時代を迎えたわけであります。蔦田ニ雄先生も、その牢獄の中で2年間を過ごされました

で、その2年間の投獄生活を通して、「神がともにおられる」という、ジョン・ウェスレーがその墓蹟に残しました、神がともにおられる、これこそ、これに勝るものはないという、その言葉が同じ体験となり、もし主が釈放を許してくださるならば、神がともにおられる−インマヌエルという名前の教会にしよう、というビジョンを与えたわけであります。

そして、そのインマヌエルの群として、聖書的なきよめを伝えること、私達が罪から赦されるだけではなくして、私達の罪の性質をきよめていただいて、神に喜ばれるところのものができるその福音を伝えよう、そしてその土台として、聖書を神の言葉として信ずる信仰

(残念な事ですけれども、そのような弾圧のときにすべてのクリスチャン達が牢屋にいたわけではなくして、政府に迎合して、そして聖書の真理を曲げてしまったところによる人達はあまり迫害を受けなかったわけであります。)

そのような経験から、聖書を100パーセント神の言葉と信じる信仰、そしてそれが「聖」−きよき−という言葉で表されておりますきよめの信仰と聖書の信仰、そして、世界に福音をのべつたえる世界宣教、日本だけではなく、あるいは日本がそれまで宣教師を受け入れていたところの被宣教国でありましたけれども、そうした受身ではいけない、よそにまで、世界に福音をのべ伝えるものとならなければならないという宣教のスピリットを持った教会、もうひとつ加えて、ただ、外国の教会に助けていただいて存在している、会堂を建てていただくというようなことではなくして、自給の精神をもって神が私達を養ってくださるという自給的な信仰にたっていく教団をと願いつつ、その祈りが結晶されたわけであります。

終戦後まもなく、1945年、まだ日本が終戦の煙の中にあった、灰の中にあった時代に、いち早く教団をスタートしたのがイムマヌエル綜合伝道団であります。別に年代の早さを競うわけではありませんが、多くの今、教団と言われている人達が1948年ごろに創立しておりますから、2年、3年ほどまえにその創立50周年を祝っておりますが、蔦田先生は、戦争の終わったその年に、教団をスタートされました。実際的な働きは、1946年船橋においてでありました。

ここで個人的なことが入っていいかどうかわかりませんが、私が生まれ育ったののも船橋でございました。そして、戦争中、教会が閉鎖されて、行くべき所がありませんでしたところに、くしくもイムマヌエル綜合伝道団が最初の開拓地として選んだのが船橋でございました。

ルツ記を学んでおりますが、計らずも「ボアズの畑にいった」という言葉がはいりますが、私達の家庭にとりましては、計らずも、ボアズの畑に導きいられたという感を深くするのであります。

その後、様々な経緯がございましたけれども、主がその働きを祝してくださいまして、いま、各地の各県に教会が建てられ、また、5箇所に宣教師が送られ、神学院が建てられ、また多くの書物を出版する出版局が与えられるなどして、主がその拡大と成長をゆるしてくださいました。

どうぞ、私達はこの主が与えてくださった恵みのゆえに心から感謝を申し上げたいと思います。また、おひとりひとり、事情は違うと思いますけれども、選んでインマヌエル教会に入ってきたという人は、わりあい今の時代には少ないのではないか、救われてみたらインマヌエル教会だった、ということで、この教会に属しているという意識が、2代目、3代目になりますと薄らいでいるのかな、と思います。

しかし、そのような群に私達が導かれたということの摂理を心から感謝したいと思います。同時に、私達はこれからの世紀に向かって、この群がその創立のスピリット、またその信仰をしっかりと継承しつつも、その形態において、より一層、柔軟に、また積極的に、この時代の伝道をすべく飛躍をすることができるように祈り、支えたいと思います。

どうぞ、そのために、私達が、一人一人が与えられた場所にしたがって、精一杯心を尽くさせていただきたいと思うことでございます。一言お祈りをいたします。


ルツ記連講−『信仰の決断』

ルツ記にもどります。

きょうは、余り長く触れませんで、第16節と17節のルツの告白、あるいは、「信仰の決断」という題をつけましたけれども、信仰によって神を選ぶ事になった、あるいはナオミを選ぶ事になったルツの決断というものに焦点を向けたいと思います。

16節と17節を、いかがでしょうか、ご一緒にお読みください。

16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでく ださい。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから 離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。」

これは、もう、ルツ記の最高の告白ということができる、ルツ記というものが、この16節と17節を紹介するために全体があるといっても過言ではないほど、これは宝石のような信仰の告白であります。

で、状況をいままでずっと聞いてらっしゃる方はよろしいんですけれども、そうでない方もあると思いますから簡潔に説明いたしますと、イスラエルから見て外国であったモアブという地に、ナオミとその主人と2人の男の子達が、飢饉の故に引越しをいたしました。

そして、最初にご主人が亡くなりました。それから、2人の息子達がそれぞれお嫁さんをもらいました。けれどもその2人の息子達も死んでしまった。つまり、男がみんな死んで、女が残ったということであります。

それで、その2人の息子達が死んでしまったことのゆえに、姑であるところのナオミは、自分の故郷であるイスラエルあるいはベツレヘムの村に帰ろうと決心を致しまして、ずっと旅をしてまいりました。

途中まで、護衛といいましょうか、守ってまいりました2人の嫁、ルツとオルパに対して、
「あなたたちはもう結構です、ありがとうございました。ここまで一所懸命尽くしてくださって。もう、ここでさよならして下さい」
「いやいやそんなことはありません」
と、そこで押し問答が起きましたけれども、ナオミは説得を致しまして、
「私についてきてもなんのメリットもありませんよ。私はもう年をとっているし、私のおなかの中には子供がいるわけじゃないし、その子供があなた達のご主人になるためにはあと何十年もかかりますよ。そんなむなしい期待を持たないで下さい。私は銀行の預金もありません、自動車を持っておりません、テレビもありません、なんの財産もありません。たとえベツレヘムへ帰ったとしても、私は土地もありません。」
で、耕す土地もない、イスラエルに土地もない、ということはほんとうに惨めな事でございます。

ま、ちょっと話しが脱線しますけれども、私達は、ケニアで奉仕をしておりましたときに、いろいろな人達に質問をされます。

「あなたは、日本でどのくらい土地を持っておりますか?」どのくらい、とこういう質問をされます。で、私が「全然ない。ないんだ」と言うと、もう皆が目を丸くして、「えっーーー!?信じられない」―――つまり、アフリカにおいてはですね、牛を持たないためによっぽど貧しい人のうちの貧しい人、最下層の人がそういう状態なのであります。

「あなたはよっぽど貧しいんじゃないか」と思って目を丸くされます。まあ、私はそこで少しいいわけをしまして、「日本では土地がなくたって金持ちはいるんだ」(笑)、というふうに申しますけれども、しかし彼らは理解できない。

まあ、いずれにいたしましても、このナオミさんは、
「帰ったとしても土地がない。潜在的な権利はあるんです。潜在的といっては難しいかもしれないけれども、いわゆる彼らは先祖から与えられた土地の所有権みたいなものはある。けれども地上権は売ってしまっているわけですから、なんの権利もない、財産もない。だから私にはついてこないで下さい。そしてあなた達は、まだご両親がいらっしゃるでしょう。と、ご両親があるんです−そのことがほかの場所に書いてありますから−両親は健在だ、だから、両親のところに帰りなさい。そこで、多分、あなた達は若くて、そして美しいかただから、きっとお嫁さんのもらい手があるでしょうから、だから、もう、こんなおばあさんについてこないで、家に帰りなさい」。
といったところが、オルパは、考えに考えたすえ、泣く泣くではありましたけれども、さよならを言って、行ってしまった。

けれども、ルツは、もう一度、
「オルパは行ったじゃないか」、と言われた時に、
「あなた(弟嫁にならって)帰りなさい、しかし、」というのが、
この今読んでいただいた16節と17節ですが−
「私はお母様と離れません、お母様と一体です。そして、あなたの神様は私の神様であり、あなたの民であるイスラエルは私の民です」という告白を、ここでしたわけであります。

で、この告白について、いくつかのポイントから学んでみたいと思います。


決断の背景として、いったい、こういう告白がどうしてできたんだろうか、ということを考えて見るときに、まず第一に、信仰と愛に満ちた家庭というものの存在が浮かんでまいります。

このルツという人はモアブ人でした。

で、モアブ人というのはイスラエル人と親戚関係にあって、先祖はずっと繋がってるんですけれど、その子孫になるとだんだんだんだん変わってまいりまして、神様も違う神様を拝むようになる、ケモシですね、ちょっと発音を間違えるとケムシ−毛虫−になってしまいますけれども、ケモシという神様は、なんといいましょうか、人々の生贄(いけにえ)を喜ぶ、とくに、生きたままの子供が生贄にされることを喜ぶ、そうした残虐な性質を持った神様です。

で、そういう環境のなかに育って、そして恐らく、秋祭りか何か、ケモシ祭りというのがあったかもしれませんが、一緒におみこしを担いでいったかもしれません。

昨日、おととい、連日神社でお祭りがありまして、私はいつも通りすぎながら、「ああ、きっとルツの幼い頃は、こういうところで綿菓子を買ったりしてお祭りを楽しんだんじゃないかな」なんて、聖書を勉強しておりますと、なんでも結びついてまいりますので、ルツのことを考えながら、ちょっと通りすぎておりました。

ついでながら、どういう風にやっているのかなと思って、私は、恵比寿神社の奥まで行って参りまして、研究をしてまいりました。太鼓を叩いていて、奉納をしておりまして、その中で外人の方も混じって「エイヤ、エイヤ」と太鼓を叩いておりまして、まあどういうことだろうかな、と思いながら、誰にも聞くわけにいかずにそっと見ただけで失礼いたしました。

けれども、そういう環境の中にあって、そして縁があって、マフロンと呼ばれるナオミのお兄さんのほうに嫁いでまいりました。最初の頃はこうだったと思います。

「さあ、いただきます」といってご飯を食べようと思ったところが、みんな目をつぶっている。「おやーっ、これはどういうことなんだ」、そうしたら、家長の方が、「神様にお祈りをしてから食べる」−皆さん、クリスチャンホームに招かれて、そしてまずびっくりするのは、食事のお祈りですね、皆が「いただきます」とさっと食べようとするときにみんな目をつぶっている。

そういうところからカルチャーショックがはじまったと思います。朝になるとお祈りがある。夕方になるとお祈りがある。ご飯のときにお祈りがある。そして、しばしば聖書のお言葉をよんではそれを覚えるというような時間もある。あるいは、彼らはきっと腕時計のようにしてですね、神の言葉を書きこんで、それを覚えるというようなこともあったかもしれない。あるいは、ドアのところに聖書の言葉が書いてあって、一生懸命それを覚える。なんとなくこれは普通の家と違うな、という気持をもって、最初はカルチャーショックが来たでしょう。反発も感じたかもしれない。

けれども、彼女はその生活に馴染むにしたがって、だんだんと惹かれるものを感じていった。彼らの中にあるところのお互いに愛し合うところの家庭、お互いに助け合うところの暖かい雰囲気、いったいどうしてなんだろうと思っているうちに、だんだんだんだんと彼らの違いは、彼らが畏れているところの神様の違いだ、ということがわかってきたと思います。

ケモシの神様は、生贄を奉げないと罰を与える、怖い神様でありました。

けれども、主−まことの神様−ヤハウェ−私達に恵みを与え、そして私達を愛していてくださるところの神様、その愛の神様に本当に心から愛をもって仕えているところの家庭、そのうちに、彼女はだんだんだんだんと家庭礼拝の輪の中に積極的に入ってまいりました。

しかし、多くの人達はそこで止まってしまう場合が多いんですね。環境に慣れる、郷に入っては郷に従えで、ここはクリスチャンの言葉遣いをしているからクリスチャンの言葉を使う。みんながお祈りしているからお祈りをするといった、郷に入っては郷に従えで、郷から出ては郷を離れるという、そういう人もなくはありません。

いま、これは大変すばらしいことですけれども、日本人の方々で海外に住んでらっしゃる方々、およそ10パーセント近くの方々が教会に通ったり、あるいは何等かの形で主の交わりに加わっているそうです。これは、統計的に知らされている事です。日本の国内には、だいたい1パーセントですね。ですから、海外に行くと10パーセントくらいに広がる。

なぜだろうか。いろんな理由があるかもしれませんけれども、海外では教会に行くのが当たり前。日曜日に寝ているのがおかしい。こういうふうになりますから、「じゃあ、私も行ってみよう」、あるいは海外の教会に行ってみると、「あなたは教会にいったんですってねえ。なにか問題があったんですか?」と聞かれずに済む。みな当たり前ですから、そういうことで自然に教会に行ったりする方が多い。

また、海外にいることの故に、友達がなくて寂しい、そういうところでクリスチャンの暖かい交わりの中に吸い寄せられるようにして、いろんなジャパニーズ・クリスチャン・フェローシップ−JCF−というようなものがあちらこちらの都市にできて、広がりを見せております。素晴らしい事です。

ところが、もし、彼らが日本に帰ってくると、ドロップアウトする率が非常に高い。教会に馴染まない。いろんなことがありますがきょうは申し上げませんけれども、教会的な雰囲気だからいっているよ、教会的な雰囲気ではなくなったからやめてしまおう、という感じで、もう教会のことも聖書のこともイエス様のこともさらりと忘れて、まわりに合わせてノンクリスチャン的な生活に戻ってしまう人達が、残念ながら多い。この問題は、別な機会に私は申し上げたいと思いますので、きょうは止めます。

しかし、このルツにとっては、ただ雰囲気的なもので「いいなあ」というだけでなく、もう一歩進んで、彼女はその、彼らが敬っている神様と個人的に対面するという経験を致しました。

これが大事な事なのです。よく、お葬式とか結婚式とか、ノンクリスチャンの方が教会にいらっしゃって、そして、何と言うかというと、「今日は一日心が洗われたような思いがいたします」と大変お世辞を言って帰られます。一日だけではなくて、ずっと洗われていたらなあ、と思いながら聞いておりますけれども(笑)、一日洗われると次の日は汚れるというふうに、人々はそれはいいもんだなあ、と思いながらも、自分のものとはとらえない方が残念ながら多いんです。

しかし、ルツは、もう一歩進んで、一体何だろう、そして何だろうだけではなくて、その神様をナオミお母さんも、あるいはご主人も、それはそれとして自分の物としてしっかりととらえようという決断、もう一歩進んだのであります。それが、この16節と17節に出てくる「あなたの民はわたしの民、あなたの神は私の神」という個人的な信仰経験です。

きょう、教会に導かれて、あるいはお友達を通し、家族を通して、そして「教会っていいところだなあ、クリスチャンっていい方たちだなあ」、これは素晴らしい事です。そうでなかったところもありますけれどね。「教会に来たけれども意地悪された」「冷たい目で見られた」じゃ困りますけれども。暖かく迎えていただきたいと思いますけれども、もう一歩進んで、その方と個人的に対面する、このルツの経験をどこかでして頂きたいと思うことであります。


さて、この決断の内容に入っていきたいと思います。

これもやはり2つに分かれることでありますが、一つは、私の姑さんのナオミから離れないということであります。

第16節の前半、あなた−というところからですが、ナオミを捨て、ナオミさん−お母さんから別れて帰るように、私をしむけないでください。あなた−ナオミのお母さん−の行かれるところへ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あな たの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」

まあ、これだけ密着されると、ちょっと辛いかもしれませんね。あなたが行く所へはどこへでも行きますよ、会社へも行きますよ、あるいは、もう、四六時中離れません、「行くところへ行き、住むところに住み、死ぬところで死に、葬られるところで葬られる」、まあ、これだけ密着されたら、皆さん、迷惑だとお思いでしょうか。それとも、光栄だとお思いでしょうか。私は光栄だと思いますね。

とくにですよ、これは、前に申し上げたかもしれませんが、嫁と姑の関係なんです。で、義理でこんなことを言える筈がありませんでしょ、もうこれでさよならをしてもいい。十分な理由があってさよならできるんですから、まあやれやれ助かった、というのが普通のお嫁さんの気持ではないでしょうか。

お嫁さんの立場にある人達にアンケートを取ってみたいくらいですけれども(笑)。50パーセント位の人は、正直なところやれやれというのが本音じゃないかなと思うんですね。思うんですから、これは想像です。アンケートをきょうは取りません(笑)。

けれども、このルツさんは、もうお姑さんを厄介払いできるというのとは反対の立場を取ったんです。あなたの行く所に行きますよ、泊まるところに泊まりますよ、あなたの死ぬところで死にます、あなたの葬られるところで葬られます。ほんとにこれは素晴らしい愛の告白ではないかな、と思います。

先程申し上げましたように、ナオミについていっても何の地上的なメリットもありません。経済的にいっても、家庭的に言っても、社会の安定ということからしても、それから、ありとあらゆる事柄において、この人についていって何のメリットもない。

私たちの交わり、友達関係において、普通の場合、この人を友達と選ぼうか選ぶまいかというときに、口では言いません、あるいは頭で思いつかないかもしれないけれども、心の奥底においては、そういうそろばん勘定が働いている場合が案外多いんじゃないでしょうか。

いろいろな所に行っても、名刺をたくさん用意していって、名刺を交換していく。名刺を配っておけば、また名刺を沢山頂いておけば、なにかの役に立つだろう、というような計算があって、皆さん名刺を持っていったりする。

これは、わたしは悪いことではないと思うんです。けれども、私たちの人間関係の交わりにおいて、そういう計算であるとか、得であるとか損であるとか、好きであるとか嫌いであるとか、もう一つ乗り越えた、主イエス様が与えた己のように隣人を愛す、このみよりのない、何のあてもないお母さんに対して、私は最後まで自分の一生涯を、棒に振ってでも、なげうってでもお仕えしよう、という気持をもたらしたのは、彼女の無私−自分の心のない−、むしろ自己中心とは全く反対の愛でございました。

それこそ、主イエス様が私達に、ひとりひとりに求めておられる心ではないでしょうか。己のように、ことばでいうと愛しなさい、で、主イエス様に対してもペテロとイエス様の関係にこのようなものがございました。

ここでは開きませんけれども、ヨハネの福音署の6章には、主イエス様が「私を食べるものは永遠に生きる」と言う言葉を話しなさったときに、「ちょっとこれはひどいことばじゃないか。私を食べる−先生の肉を食べるなんて、そんなばかな」といって誤解をして、そして多くの人達が主イエス様のもとを去っていくというところがあります。

そして、一人去り、二人去り、というときに、主イエス様は十二の弟子達に向かって、「あなた達も一緒にさよならしようとしているのですか?」と言った。

これは非常にぐさっとするような、きわどい質問でありました。

彼は、「そうです、先生さようなら。私も先生のことを誤解しておりました」といってさようならしてもいい立場だったんですけれども、ペテロはそのとき立ちあがりまして、「主よ、私はだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のことばを持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また、知っています。」といって踏みとどまったのであります。

ほかの人がどんなに捨てたとしても、彼は主イエス様に従っていこうという決意をこのところで表しています。

で、このルツにとっても、このような信仰をもった彼女は、家に帰れば暖かい家庭が待っておりました。両親が住んでおりました。両親がいたらしいというところがどこでわかるかといいますと、2章11節ですが、

11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や離れた国を離れて、」

と書いてありますね。

お父さん、お母さんが、きっと迎えてやる。帰ってきたらただで食べさせてあげるよ、仕事は無理につかなくていいよ−そういうのをパラサイト・シングルという言葉があるんだそうですけれども、ごめん下さい、無理に説明いたしませんが−、そういう形で帰ってきてもいいよ、と暖かく迎える両親がいたでしょう。それから、小さいときに一緒に勉強した子供たちがいたかもしれません。一緒に遊んだお友達がいたかもしれません。そういうお友達が暖かく迎えてくれたことでしょう。

しかし、彼女は、「いや、私はこのお方にしたがってまいります。このお方は私を助けようとしています。どうか、私はこのお方の行くところに行き、住むところに住み、一体として私はついてまいります。」最後のところが面白いですね。第17節を読みます。

17 もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、 主が幾重にも私を罰してくださるように。

ちょっとこれは、ほかの翻訳とは少し違いますので、いくつか私は翻訳を調べてみました。

で、こういう翻訳をできなくはないんですけれども、ほかの翻訳の大部分は、「死以外によってあなたと離れるようなことがあったら」となっております。

そのほうがどうも私はぴたり来るのではないか、と思いますね。死によってあなたと離れたら罰せられる、というのも年が違うわけですから、どちらかが先に死ななければならない。

それから、「幾重にも罰してくださるように」というなかの「罰する」という言葉も、実はヘブル語の翻訳にはありません。「主が私に…してくださるように」「主が私に幾倍にもしてくださるように」としか書いていない。

これは当時のヘブルの人の婉曲語法であります。あることがらを、わざと言わないで、“かっこ“にして、「わかるだろ?」として言わないでおくという言葉であります。この“かっこ“が罰するというふうにして、意訳として入れておりますが、これが正しい翻訳であると思います。

ただ、私はこの「死によっても」というよりも、「死以外のことであなたと離れたならば」というふうに取ったほうが、多くの翻訳にも忠実でありますし、私はそういうふうに理解しております。


さて、もう一つの彼女の決断は、神に従うということであります。

ナオミから離れないということだけではなくして、神様に従ってまいりますよ、その根底に、ナオミの神様は私の神様だ、とナオミの神様に、なんとなく私が盲腸のようにくっついて従っていくのではない。ナオミが信じていた神様を私は個人的に追求し、そして祈り求め、そのお方と個人的に出会って、そのお方は私の神様となってしまったという、非常に強い個人的な信仰の告白です。

で、このなかに、彼女が今まで仕えていた、先ほど申し上げましたケモシの神様とは全然違う概念を持った、真の主ということに触れたその感動がその中にあります。ケモシの神様は生贄の神様、偶像でした。しかし、主は見えないお方です。

なにか頼りのないような感じだけれども、しかし、見えないお方であることの故に、むしろ、彼女は、「このお方こそ本当だ」と思うようになった。

それから、ケモシの神様は罰する神様。ばちを与える。しかし、まことの主は私達に恵みを与えてくださる。ケモシの神様は何も言わない方です。

しかし、まことの主は人格を持ち、私達の祈りに応えてくださるところの、いわゆる人格的な交流ができる神様です。

そのようなことに気がついたときに、私は今までの偶像を捨て、その偶像にまつわるところの様々な習慣を全部さようならをして、そして、私はこのお方に従っていこう、そして、どんなに私の人生の中に厳しい状況が待ちうけたとしても、この方を信頼していこうという、その信頼を表したのです。

先ほど、2章11節と12節をお読みしましたので、もう一度そこに触れてみたいと思います。そこに、彼女の信仰の決断の、もう一つの注釈があるように思うのです。

11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父  母や離れた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
12 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」

この「避け所を求めて来た」ということばは、ちょうど親鳥が羽を広げて、その広げた羽のところにこの雛鳥が敵に追われて、「お母さん、助けて」とその羽の下に来る、そういう姿を表しております。

ちょうど、彼女は、今まで生まれて育ってきたところの環境、文化、安定した生活、全部それらを離れて、目には見えない、けれども生きておられる愛の神様、このお方に全面的に信頼していこう、そのお方の翼のもとに行って、そして、このお方によってのみ安心を得ることができる、保証を得ることができる、そのような方として信頼をしていった。ルツの行動はそれ以外には説明が出来ないわけです。

まさに、彼女にとって、「イスラエルの民は私の民となった、また、イスラエルの神は私の神となった」という、個人的なはっきりとした信仰と離別をし、まことの神に全面的に従い、そのお方に信頼していくという信仰を表しています。

同じことが、新約聖書に起きました。テサロニケ人への手紙第一の1章9-10節を読んでみますと、

9 私たちがどのようにあなたがたに受け入れらたか、また、あなたがたがどの         ように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
10 また、神餓死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。

と書いてあります。

初代教会のなかで、テサロニケと呼ばれる場所−ギリシャの北の方にあるのですが−は、「聖書の言葉は余り知らない」、「イエス様のことははじめて聞いたばかり」というギリシャ的な環境に育った人達のところに、パウロが留まったのは2-3週間というわずかな期間です。

けれども、この期間において、彼らは神の福音を聞いたときに、「そうだ!このお方こそ本当に私達が一生涯かけて従っていく価値のあるお方だ。しかも、私たちの魂を今の時代だけではなくて永遠に救ってくださるこのお方に従っていく」ということで、信仰を帰依致しました。

そして、今までの偶像の神様を捨てて、そしてまことの神に立ちかえる。そして、このイエス・キリストが再び来られるという希望を抱いて生活をしている。この方々は何年も何年も教会に通っていたというわけではない。パウロの声を来ただけでありますけれども、そのことによって、決断し、クリスチャン生活を歩む事となったのであります。ちょうどルツが、このような決断をしたことと非常に似ていることを、私達は見ることが出来るのではないでしょうか。


三番目ですが、この決断の結果を見たいと思います。

ルツは、地上的な豊かな祝福を頂きました。

これは、申し上げますけれども、そのことを計算し、期待して、手にしたわけではないですね。「こうあって、こうなって、こうなったであろう」という計算づくではない。けれども、結果として、主が彼女を豊かに祝福してくださいました。

お金持ちのボアズの所にお嫁さんになることができ、またその人が子供を産んで、それがイスラエルの2代目の王様となるという、素晴らしい光栄−そのダビデからイエス・キリストが生まれるという素晴らしい祝福を頂く事が出来ました。

なにも計算したわけでありません。けれども、主は、真実なお方です。私たちの真実な心を見ておられるお方です。そして、私達が、本当にこの主に対して、「信頼できるお方だ、このお方を信じていきますよ、どうぞ助けてください」と−いろんな助けを持ちながら、あれにしようか、これにしようか、当たるも八卦、当たらぬも八卦というようなことでなくして−「本当に主に従っていきます。ほかの助けはいりません」というような具合に、真実な帰依と信頼と服従を持っているときに、主をそれをほおっておきなさるお方ではないことを覚えたいと思います。

さらに、魂におきましても、豊かな祝福を頂きました。仮に、彼女の生活が最後まで貧しくて、最後まで寂しくてあったとしても、おそらく彼女の魂は主に従っていたという大きな喜びがあふれていた事だろうと思います。

金持ちのところにお嫁さんにいったから幸せだったとうこではないかもしれませんが、そういう外側の問題ではなく、神ご自身に受け入れられていることの幸いです。ダビデはこう言っていますね、「主は神を私の前に置いた。」−私の幸せは、このお方とともにいるこれ以外にはないことを学びました。

私達一人一人が、この素晴らしい最高の幸せを体験する−ルツと同じように、真実な、イエス・キリストに対する告白と愛をもって仕えていくことで、主は大きな報いをもって私達を受け入れてくださることを覚えたいと思います。


先週の聖化大会の最後のメッセージで、コールマン先生が語ってくださいました。

ヨハネの福音書21章からですが、「私を愛しますか」との問いに対して、ペテロが「私はあなたを愛することをあなたはご存知でしょう。」主は「私の羊を飼いなさい」−

そのみことばから、コールマン先生が、私達は真実にだれよりも勝って主を愛していますか、という質問です。

私達は、主を愛するならば、主が私達をまわりに置きなさった羊を心からケアをしていますか、という質問です。

主を愛するならば、ほかの人が従うか従わないか別として、あなたは本当に主に死に至るまで忠実に従いますか、という質問をしました。

この質問を、もう一度私たちの心に当てはめて終わりたいと思います。お祈り致しましょう。


Message by Isaac.T.Saoshiro,senior pastor of Immanuel Tokyo Central Church
Transcribed and edited by Kenji Otsuka,Oct 24,2001.
Converted to HTML by Kunihiro Ohta