礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2001年12月2日

クリスマス講壇〔1〕

「神の言葉は実現する」

竿代 照夫 牧師

ルカの福音書1章26-45節

中心聖句

1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。

(45節)


始めに:

 本日はルカ伝の1章45節に焦点をあててお話致します。

1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。

 ルカ第1章はクリスマスの 序曲とも言えます。 オーケストラやオペラでも序曲というのは大切でして、主題に向かって心を整えるという意味があります。 その中に二つの大きな出来事が含まれています。

1)キリストの先駆者であるヨハネ誕生

 年が進んだ祭司ザカリヤとその妻エリサベツとの間に、奇跡的に男子が誕生する知らせが与えられました。

2)イエス誕生の知らせ

 もう一つの出来事は、主イエスの誕生が知らされたこと(受胎告知)です。

 この二つの出来事の共通点は、およそ人間世界では起こり得ないこと、即ち、年を取った夫婦が子供を産んだこと(7、18節)、処女から子供が産まれたこと(34節)、つまり、不可能と思われる事が、神の言葉の成就として実現したということです。

 39節には、「そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。」という記事があります。マリヤとバプテスマのヨハネのお母さんになったエリサベツとは親戚関係にありました。

 処女として懐妊したマリヤは、当時の社会環境にあっては、不道徳というレッテルをはられかねない複雑な事情を抱えていました。受胎告知をおこなった御使いガブリエルは、エリサベツにも同じような奇蹟を行ったことを伝えました。36節には、「ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。」とあります。マリヤは、同じような奇蹟を経験したエリサベツと恵みを分かち合い、助言を頂くために彼女を訪問しました。ですからマリヤはナザレからエルサレム近郊へ、急いで旅をしました。2日ぐらいはかかったであろうと思われます。

 エリサベツはその時6ヶ月の身重でした。死んでしまった様な胎に、しかも、待ち望んだメシヤの先駆者を宿していたのです。そしてそのメシヤの母となる女性が親類の中にいる、そのマリヤが突然尋ねてきたのです。2人の間に言葉はいりませんでした。顔を合わせるなり大きな共感を感じ合い、「子が胎内で踊った」と記されています。ヨハネは小さい時からサッカーの選手の素質があったのでしょうか。その喜びが爆発したのが42節以下のエリサベツの賛歌です。彼女は、感激とともに大声で賛歌を歌いました。その歌の中では、神の真実さがテーマとなっています。45節の「主によって語られたことは必ず実現する」ということは、彼女が自分とマリヤの経験を通して語ろうとした事です。

 


A.クリスマス:神の真実さの証

1.人間の不真実

 私達は社会の中にあって、 人間が行う約束がしばしば破られることに失望し、疑いの気持ちを持ちがちになっています。どうして 約束は、破られるのでしょうか?

1)人間は忘れやすい。

 人間は約束をしても忘れてしまうことがあります。

2)人間は誠実でない。

 約束をどうしても守るという忠実さを持たない場合が多いの です。あるいは、守ろうとしても事情変更の法則とか言って、事情が変われば無理に約束を守らなくても、と言い訳をしてしましま す。

 私達が宣教地のケニアにいたときにも、約束は守られないという前提で生活をしておりました。「明日旅行に行くので、どう しても今日中に車を修理しておいて下さい。」と頼むと、「OK, no problem.」と大変愛想は良いのですが、夕方になって取りにい くと、案の定できておらず、「OK, no problem.明日はできるよ。」という返事。こちらにとっては”big problem”なのですが。 どうも私達は人間を信用しない習慣が身について、人間が悪くなって帰ってきたように思われます。

3)人間は実行する力が不足している。

 人間は約束しようという意志があったとしても、それを実行 する力が不足しています。政治の世界ではこれが顕著です。選挙のときには、いろいろと公約をしても、ほとんどは実行されません。 ですから政治不信という状況が生じる訳です。

 そういうわけで私達は、人と約束したときに、だいたいは信じたとしても、少しは疑って、もし約束が守られなくても、大丈 夫なようにしておくということをしています。

2.神の真実

 けれども、神の言葉は必ず実現する、神の言葉は信頼を 置く事ができるのだという事が、クリスマスの出来事から思わせられます。

1)神は覚えておられる。

 神の言葉は天地が滅び去っても決して滅びることはありませ ん(マタイ24:35)。神は約束を忘れなさることはないのです。

 ザカリヤの賛歌の中に「われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて」(ルカ1:73)と歌われているいます。アブラハ ムからキリストの誕生までは2000年の歳月が流れています。私達はたった5日ぐらい前の約束でも忘れてしまうことがあります が、神は2000年たっても約束を忘れないお方です。

2)神は誠実である。

 黙示録3章14節には「彼のお名前はアーメンであり、忠実 で、真実な証人です。」と記されています。また、第2テモテ2章13節には、「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。 彼にはご自身を否むことができないからである。」と書かれています。

 ユダヤ人という民族は、この神の真実さにならおうとして、「約束したことを変えない」ということをひとつの特色としてお ります。詩篇の15篇には神に喜ばれる人は「誓ったことが災いになっても変える事をしない人」であると記されています。

 聖書の中で神を形容する言葉として使われている、あわれみ深い、真実、誠実という言葉は、原語では「誓った事を忠実に実 行する。」という意味です。つまり神の愛というのは、人間世界のドラマで、ただ好きになったから一緒になり、きらいになったか ら別れるというような愛とは違って、誓ったことに対して忠実であるということによって神はその愛を現しなさるのです。

 結婚式で一番幸いなのは「健やかなる時も病めるとき時も…」という誓いの言葉です。神の前で誓った、その誓いに対して忠 実なことが本当の愛の現れです。

3)神は全能である。

 神は約束したことを実行なさる力を持っており、またその力 を必ず発揮なさいます。神様とっては、語ることと行動することは一つのことなのです。「光あれ」と宣言されると「光があった」 のです(創世記1:3)。

 私達にもそのような力があったらどんなに素晴らしいことでしょう。「明日新会堂があれ。」といったらパッと会堂が現われ たり・・。(笑)残念ながら、人間の場合はそうはいきません。

 しかし、神は願った事を全て実現することができる能力を持ったお方です。

 

3.神の真実さの現われがクリスマス

 その神の真実さの現われがクリスマスであると言えまし ょう。なぜなら神はこのために約束をずっと繰り返してこられたのです。

1)アダムに対して女の末から(創世記3:15)

2)アブラハムの末から(創世記22:17、18)

3)イスラエルの中から(創世記28:14)

4)ユダ部族から(創世記49:10)

5)ダビデの家系から(1歴代17:11、12)

救い主が与えられると約束されました。

その救い主の誕生は、

6)処女からの誕生(イザヤ7:14)

7)ベツレヘムでの誕生(ミカ5:2)

であると約束されています。

 そして、2000年前のクリスマスにおいて、私達はこれら全ての予言がひとつひとつ見事に成就されたのを見ます。神は世界 の全て状況を動かしてまで、この約束を成就されました。特に最後のベツレヘムに生まれるという部分は、ずっと北の町ナザレに住ん でいたマリヤがベツレヘムに来たのは、世界の人口調査をせよという皇帝シーザーの命令が下ったからです。そのために全ての人が本 籍地まで行って登録を行い、マリヤもまたベツレヘムまで旅をしたのです。そのように世界の舞台装置を動かしてまで、神はその約束 を成就されたのです。

 クリスマスは偶然のでき事ではなくて、人類の始めから約束されていたできごとの成就なのです。

 


B.信じた者の幸い

1.信じた者の幸い

 このでき事に直面して、それを信じたものの幸いが述べら れているのが、本日の聖書の箇所のルカの福音書1章の45節です。

1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、 何と幸いなことでしょう。

 この言葉について4つほどコメントします。

1)文語訳に慣れた方は、ニュアンスの違いを感じなさるでしょう。 「信ぜし者は幸いなるかな。主の語り給いしこ とは必ず成就すべければなり。」となっているからです。この二つ の翻訳の違いは、ギリシャ語のホティ という言葉の解釈の問題です。ホティには「なぜならば・・・」という 意味(英語ではbecause)と「・・・ということ」という意味(英語ではthat)と二つあります。前者ととると文語訳のようになりま すし、後者となると新改訳のようになります。私は多くのホティの用例から見て、新改訳が妥当と思います。 

2)「信じ切った人」は女性単数です。つまり直訳すれば「信じた(一人の)女性は幸いです・・・。」となります。当然マリ ヤをさしていると考えられます。

3)「主によって語られた」という言葉に、 「彼女に対して 」という言葉が原語には加えられています。つまり、一般的な神の言葉ではなく、 マリヤ個人に特別に語られた、というニュアンスがあります。

4)「信じ切った 」という翻訳は味わい深い者があります。単に「信じた」という翻訳も可能なので すが(そして原文では「切った」という意味は含まれていませんが)、「信じ切った」と敢えて訳したのは、ギリシャ語のアオリス ト時制の為でしょう。アオリストはある所作が一回で完成するような決断的な場合にもちいられます。マリヤは、ガブリエルのみ告 げを受けたとき、はい、と信じ、その信仰に立ち続けたのです。

 

2.信じなかったザカリヤの不幸と の対照

 この言葉は信じ切らなかった人との対照で語られていま す。

 エリサベツはこう言いながら、その向こうにしょぼんと座っている主人のザカリヤを見ながら言っているように思われます。

 彼は御使いを通して語られた「その時が来れば必ず実現すべき」神の言葉を信じませんでした。その結果ものが言えなくなって しまい、筆談か身振り手ぶりでしかコミュニケーション出来なくなってしまったのです。その夫の姿から、彼女は信じないものの悲し さを日常生活の中で痛感していたことでしょう。

 私達は不信仰によってそのような失敗をしがちなものです。「聖書にそうは書いてあるけどね…。」というふうに。聖書の中に も、信じないで裁きを受けた人々の例を多く見ます。イエスの復活を信じなかったトマスがそうでした。

 また、サマリヤでイスラエルの王様の側近であった将校は、サマリヤが包囲されて深刻な食料危機に陥った時に、「主はこの危 機を24時間以内に救って、豊かな食料を供給なさる」という予言者エリシャの予言を聞きました。しかし彼は「たとい神が天に窓 を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」と疑問をはさんだのです。奇蹟は起きました。24時間も立たない内に食料は 供給されました。人々が食料を求めて殺到した時、警備係を命じられたその将校は、山の様な食料を見ながら、群衆に押しつぶされ て死んでしまいました。悲しい物語です。

 私達も、必ず実現する神の言葉を信ぜずに、そんなことはたとえ神によっても起きるはずがないと心の中で密かに思っている ことがないでしょうか?主の語られたことは必ず実現すると信じきったマリヤに、私達は倣わせていただきたいと思います。

 

3.信じたマリヤの祝福

 さて、信じた者の幸いに戻りましょう。マリヤは神の奇 蹟的な処女懐妊という知らせを素直に受け取りました。彼女が偉かったからではなく、彼女が、単純に神の言葉を受け入れ、信仰を 働かせてそのことを信じ切ったからこそ、神は彼女を豊かに祝福し、「女の中で最も祝福された者、救い主の母となる」ことができ るという大きな光栄を与えて下さったのです。

 私達もマリヤと同じように、不可能と思われることに囲まれています。家族の救い、健康的な課題、人間関係の課題、経済的 不況の中でのサバイバルなどどれ一つとっても容易な問題ではありません。教会としても会堂の土地獲得、会堂建設と容易でない課 題と直面しています。けれどもどんなに課題が多くても主は私達を祝福すると約束して下さっています。私達はその約束を100% 信じ切って進みたいと思います。そして、その幸いを私達一人一人が証するものでありたいと思います。


終わりに:信じるもの一般の祝福

 今日は3つの質問をして終わりたいと思います。

質問1.私達は神が語られるような、生活 をしているでしょうか?

 マリヤは主が彼女に語られたという言葉をいただきました。 そのためには、彼女は祈りの時間を持っていたことであろうと思われます。御使いガブリエルは、マリヤが昼寝をしているときに現 れたのではないでしょう。きっとマリヤが祈っていた時に現われたに違いありません。そうでなければこんな大切なメッセージが語 られるわけがありません。私達も主が語られるにふさわしい時間を持ち、主にアンテナを向けているでしょうか? 生活が忙しくとも 、主の前に静まり、語りかけを聞く時を持ちたいものです。

質問2.その御言葉の成就を信じています か?

 聖書にはこう書いてありけれども、現実はこうだというよう な中途半端な信仰に留まってはいないでしょうか?主は語られたことを必ず実現なさると、信じきった信仰を持ちたいののです。

質問3.その信仰の幸いを経験し、それを 他の人々にも証することができるでしょうか?

 そのことができるクリスマスとしたいと思います。

 

 お祈りいたします。


Message by I. Saoshiro and Edited by T. Maeda on December 9th, 2001