礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)
聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。
2001年12月30日
「わたしは見つけられる」
井川 正一郎 牧師
エレミヤ書29章1〜14節
29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。 29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。 (13、14節) |
A.はじめに(背景)
エレミヤ書29章13節、14節をお読み致します。
29:13 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
29:14 わたしはあなたがたに見つけられる。
エレミヤ書29章をお開きしました。預言者エレミヤは罪を犯す同胞に、神に立ち帰るように勧めます。しかし、耳をかさない人々なのでした。
そのことを承知の上で、しかも神による罪のさばきが同胞の上になされることを悲しみつつ、神のメッセージを取り次がざるをえないエレミヤなのです。
三回にわたって、エルサレムの民がバビロンに連れて行かれます。先に連れて行かれた人々に対して、エルサレムに残って奉仕していたエレミヤからの手紙が送られた記事が29章です。
絶望の状況下にあったと思われる民に、エレミヤの手紙が届きます。
B.手紙の内容
手紙の内容は、4節から書かれてあります。4つのことが書かれてあります。
1)勧告(5〜7節)
通常の日常生活を送るように、また、この異郷の地・町の繁栄のために祈れ、と勧告しています。
2)警告・注意(8、9節)
ニセ預言者・占い師たちにごまかされるな、と警告、注意を与えています。
3)約束(10〜11節)
70年が満ちるとき、「約束の地に戻る」との約束です。
ここに(10節)、「顧み」とありますが、ルツ記連講からも教えて頂いきましたが、この「顧み」という言葉も、神が格別に心にとめて下さるという意味です。直接訪問して下さって、みわざを成してくださるというのです。
4)条件(12〜14節)
でも、条件(12〜14節)があるのです。神を呼び求めよ。尋ね求めよ。そうすれば…、なのです。
尚、15〜20節は神のさばきの予告が書かれています。
要約すれぱ、どんな状況であろうと、可能とされる歩みなのです。生き残っている者(レムナント)としての歩み=その条件は、13〜14節です。
C.本論
今日のメッセージの中心のおことばは、14節です。「わたしはあなたがたに見つけられる」。
一言で言えぱ、神を見つけることがカギなのです。
今日は短く12〜14節を中心に、「神を見つける」とはいかなる意味かを考え、そして神が語って下さる「わたしは見つけられる」のメッセージを頂戴したいと思っております。
神を見つけるとは、3つの段階があるのです。
(第一段階)見る方向、目の方向を正しく決める
まず第一の段階は、神を見つける方向に目をやることです。
で、神を正しく見るためには、何よりも神と違った方向に目を注いでいてはダメということです。悪いもの、罪から目を離すことです。罪の告白と罪を捨てることが求められるのです。
(第二段階)正しい手段・方法をもって神の方向に近付く
次の段階として、この12〜14節にありますように、それは祈りです。またこの手紙の4節に、「仰せられる」とある故、神のことばをよく聞くこともそれに入るりますが、ここでは祈りが強調されていると言えます。
12節に、「呼び求め、祈る」とあります。「心を尽くして捜し求めるなら」と13節にあります。神を呼ぶときに、神を見出すのです。神を捜し求めることは祈りの一つの形なのです。
その捜し求める心のあり方は「心を尽くして」、すなわち、その人の持っているすべてのエネルギーを、神を捜し求めることに注ぐのです。
そして繰り返しとなりますが、神を捜し求めることには、罪の告白とそれを捨てることが含まれるのです。
(第三段階)神を見出す
そして、第三の段階として、神を見出すのです。
神がおられること、神が見ておられること、神が顧み、生きて働いておられること、それを知ること、それを「神を見つける」というのです。
以前、神を見るとは、神が見ておられることを心から納得、頷くことだと学びました。それによく似ているのです。
D.今週の適用
2つあります。
1.正しい方向に向きましょう。捜す方向が違うと(=罪や悪を捨て切れないと)神様を見つけられないのです。
2.神様を見出し、神様に見出されている喜びを味わいましょう。
ご一緒にお祈り致しましょう。
Written by S. Ikawa and Edited by N. Sakakibara on 2001.12.30