礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2002年1月20日

「水は分かれた」

井川 正一郎 牧師

出エジプト記14章13〜22節

中心聖句

14:21  そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。

14:22  そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。

(21、22節)


はじめに

 出エジプト記14章21節、22節をお読み致します。

14:21 そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。

14:22 そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。

 今年、「神の栄光を見る」とのカ強いメッセージを聞かせて頂きました。きょうは出エジプト記14章を開きました。出エジプトの出来事に心を向けたいと思います。

 ご存知の通り、出エジプトの出来事は、奴隷となっていたイスラエルの民の叫びに答え、モーセをリーダーとして出エジプトし、約束の地に帰してくれるとの神の約束が果たされていく出来事です。10の災いを通して、パロの心を動かし、ついに出エジプトが敢行されました。約束の地に向かっていくイスラエルの民にとって特筆すべきことは紅海を渡ることと、シナイ山での律法の授与でありましょう。今日は、紅海を渡る記事です。

 紅海が分かれるとき、民が遠回りにせよ、シナイ山の方に向かって南東に進んでいました。でも神はわざわざ引き返せと命じられたのです。道からそれて、海に向かって北東に向かえ、と。そして目の前は海、道はないところへと。まさに袋小路!。民を追い込まれたのです。背水の陣というべきところ!。

 今まではイスラエルを帰すことに決心したパロがわざわざイスうエルが袋小路に迷いこんだと聞いて、心変わりをするのでした。予定変更!。

 すべてに神の配在なのでした。「水は分かれた」――今日は、このことについて大きく言って、二つのことを学びたいと思います。


1.奇跡

 「水は分かれる」との出来事は普通では考えられないことです。人間の理解をこえた出来事、事柄です。

(1)奇跡、その意味

 奇跡の意味ですが、「知られた自然の法則からそれた出来事、あるいは働き」、「神の通常の働きの様式に付け加えられたもの」といえます。

 すなわち、神は、みこころを表わすために、「我らの知らない方法で」「過程を早めて、あるいは違えて」、事をなさる場合があられるのです。

 要は、間の理解をこえた方法手段等を通して事がなされることなのですが、考えてみれば、神にとって奇跡はない、のです。奇跡は、神の世界では当然のことで、奇跡とは言わないのです。

 海を分かれさすのも、空を動かすことも何でもありません。でも、人間にとっでは、こんなことがあるのかと、驚くべきことには違いありません。

 人聞の理解をはるかに超えた事柄、出来事、これを奇跡というのです。

 脱線しますが、聖書の中で、このような奇跡が行われた時代は3つあります。このモーセの時代、エリヤ・エリシャの時代、そしてイエス様の時代です。

 では、海が分かれた、水は分かれたとの奇跡はどういうものであったのでしょうか。

(2)「水は分かれた」との奇跡

 具体的には、強い東風によって、事がなさました。

 随分前にお話ししたことがあるので、今日は同じ事をまた繰り返しません、この奇跡について(東風)、実際の自然の風を用いられたか、それとも神の超自然的力のあらわれなのか、それともその二つがミックスされたものか、色々と議論があります。

 自然現象を用いられたかもしれないが、それ以上に神の超自然的御力のあらわれなのです。

 それでは、なぜ、そのような奇跡がなされたのか。今日の学びの二つ目として、奇跡の行われた理由を考えたいと思います。


2.奇跡の行われた理由

 3つの理由があります。

(1)神の栄光をあらわす

 第一の理由は、「神の栄光をあらわす」ためです(出エジプト記14:4、17〜18、13、31)。

(2)神のあわれみ

 第二の理由は、「神のあわれみ」です(出エジプト記14:13〜14、25)。主があなたがたのために戦われるのです。

(3)信仰者に対する目的

 第三の理由は、「信仰者に対する目的」で、大きく2つ意味があります。

@向こう側に進ませるため(進ませてくださるのは、神であるとの意識)

 出エジプトを果たし、約束の地に入らせる。その約束に忠実な神さまなのです。「向こう側に行かせる」、その一歩一歩に神のご干渉があられるのです。言うなれば、道・方法・手段はその都度都度違っていたり、理解を超えたたものとなるかもしれないのですが、結論、ゴールは分かっています。向こうに進むこと、です。そのために、必要なときに信仰者に奇跡を行われる、のです。

 主に対する信頼を呼び起こさせるためです。事を行い、一歩一歩を進めてくださるのは、神であられることを強く教えるためです。

A海の真ん中のかわいた地を進む者は、信仰者!

 海の真ん中を進ませるためです。水が分かれたとは、イスラエルの民に進む道が開かれたということを意味するのですが、同時に追っかけて来ているエジプト軍にとってもイスラエルの民を捕らえる絶好の道ともなっています。案の定、エジプト軍は海の中の開かれた道に突進して来ました。しかし、どうなったかは御存じの通りです。

 エジプト軍はイスラエルと同じ道を進んできたのですが、しかし、この道は実は、神の特別な道であり、神の民だけのものであったということができます!。

 まさに、海の真ん中のかわいた地を進む者は、信仰者なのです(出エジプト記14:16、22、29)(参考聖句=イザヤ35:8、43:16、19)。


締めくくり

l)みわざ(奇跡)を行いたくなるような信仰者になろう!

 神が奇跡を起こしたいなと思うほどの信仰者になりましょう。特別な信仰を必要としません。手を差し伸ばせと言われれば、信仰をもって差し伸ばす。足を一歩進めなさいと言われれば、一歩進める信仰です。

 だれ一人例外なくできることです。その平凡とも思われる実直な信仰に神は答えられるのです。ときには奇跡と言われるようなみわざをもって。

2)海の「真ん中」を進もう!

 海の「真ん中」を進みましょう。真ん中に別に特別な意味があるわけではありません。しかし、あえて考えるとすれば、大胆に、確信をもって、雄々しく、恐れなく、ということです。

 英語のディボーションの本の中によく出てくる表現に「IN THE CENTER OF THE WILL OF GOD.(神のみこころの中心)」というのがあります。

 「水は分かれた」――主が私たちのために戦われるのです。これが今日のメッセージです。

 ご一緒にお祈り致しましょう。


Written by S. Ikawa and Edited by N. Sakakibara on 2002.1.20



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