礼拝メッセージの要約
(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2002年2月10日

ルツ記連講(7)

「価値無き者への顧み」

竿代 照夫 牧師

ルツ記1章1-13節

中心聖句

1 ナオミには、夫の親戚で、エリメレクの一族に属するひとりの有力者がいた。その人の名はボアズであった。
2 モアブの女ルツはナオミに言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで。」と言った。
3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一 族に属するボアズの畑のうちであった。
4 ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられますように。」彼らは、「主があなたを祝福されま すように。」と答えた。
5 ボアズは刈る者たちの世話をしている若者に言った。 「これはだれの娘か。」
6 刈る者たちの世話をしている若者は答えて言った。「あ れは、ナオミといっしょにモアブの野から帰って来たモアブの娘です。
7 彼女は、 『どうぞ、刈る人たちのあとについて、束の間で、落ち穂を拾い集めさせてください。』と言い、ここに来て、朝から今まで家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」
8 ボアズはルツに言った。「娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
9 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行き なさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
10 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りな がら、どうして親切にしてくださるのですか。」
11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
12 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、 あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあ るように。」
13 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう 存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、 このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」


始めに:

前回はルツの勤労と神の摂理に焦点を当ててお話しました。今日はその続きですが、ルツに好意を与えたボアズに焦点を当てて考えたいと思います。

A.ボアズの使用人への配慮

ボアズの登場:

1節で紹介されたボアズが4節で物語に登場して参ります。1節にも述べましたように、彼は地位に於いて財産に於いて有力でありました。その彼が一年の内最も大切な大麦刈りの収穫を監修するために畑にやってきたと言う訳です。

ボアズと使用人の関係:

親しみと礼儀 
主人であるボアズの挨拶は「主があなたがたとともにおられますように。」であり、それに対する使用人達の答えは「主があなたを祝福されますように。」でした。

日本語に訳しますと何となく長たらしいような、よそよそしいような感じになりますが、英語ですと大変簡単です。

Jehovah be with you!
May Jehovah bless thee!

Can a pious mind read these godly salutations without wishing for a return of those simple primitive times? The words may be thus paraphrased: "May God be with you, to preserve you from accidents, and strengthen you to accomplish your work!" "May God bless THEE with the increase of the field, and grace to use his bounty to the glory of the Giver!"

ヘブル語ではもっと簡潔です。ヤハウェ・イマヒェムイェバレヒェハ・ ヤハウェです。

その気持ちを汲んで訳しますと「主が共に!」答えは「主の恵みを!」となりそうです。

こんな場所では、あらゆる共同体の円滑な人間関係の基礎を見るような気がいたします。互いに気持ちよく挨拶するのは、とても大切なことです。今日皆さんは挨拶をはっきりしましたでしょうか?挨拶がきっちり出来ているところは、上記の記事のように労使関係も良好になっていると思います。

また、その挨拶の中身も大切です。

最初の挨拶は「神が共にいて、あなた方を事故から守り、その務めを果たすために力を与えて下さるように」との意味ですし、答えの方は、「神があなたを祝し、その畑を拡大し、その与え主なる神の栄光を顕わしますように」ということです。

これらの挨拶はある意味形式的なものであった可能性もありますが、その挨拶の中に神を恐れ敬う言葉が含まれているのは注目すべき事です。日本の挨拶にはそのような内容が含まれているか知りませんが、世界の各地の挨拶には同様に神への畏敬の念が込められている者が多いようです。

イスラエルでの挨拶はシャローム(神の下の「平和」)ですし、スワヒリ語のさよならはクァヘリ(恵みをもって)です。英語のグッドバイは「神が共にいますように=God be with you!」から転じたとも言われております。何気ない会話の中に、労使とも神を認める、何と麗しい事ではないでしょうか。

規律の維持

ボアズは良好な労使関係を築いておりましたが、その一方でしっかりとした労働規律を部下に守らせていたことを忘れてはなりません。ボアズは使用人を尊敬し、丁寧に扱いつつも、規律は厳しく躾けている様子が彼の言葉の端はしに伺えます。

たとえば9節では「私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。」といい、15,16節では「恥ずかしい思いをさせてはならない。」「しかってはいけない。」と警告しています。使用人が主人の命令をよく守っている様子も伺えます。

健全な労使関係

新約聖書をひも解きましても、労使関係の健全な姿が強調されています。

奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。主人たちよ。あなたがたは、自分たちの主も天におられることを知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。(コロサイ3:22-23、4:1)

パウロは上のようにかいておりますが、奴隷制度を勧めている訳ではありません。その時の制度として奴隷制度は浸透していたので、上記のような書き方になったのです。

ところが、パウロが勧める「互いに尊重しなさい」と言う態度が、後年ローマ帝国にキリスト教とともに浸透するに連れ、当時のような奴隷制度が徐々に衰退していったという興味深い結果となりました。

人を使う立場、人の上にたつ立場の者は、自分も神に対しては下に在るものと考えて謙る必要があります。また、人の下に在るものは、主に従うように上に在る者を尊敬し、従う必要があります。


B.ボアズのルツへの配慮

この新訳の教えが私は旧約のこの箇所にも見られると思います。それでは今日のテキストに戻ってみてみましょう。そこにはボアズのルツに対する特別な配慮が描かれております。

ルツへの配慮はどのようなものだったか?

8 娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。
9 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。

1)保護:

一生懸命落ち穂拾いをしているルツに向かってボアズは、格別の配慮を示します。その第一の関心は彼女を守ろうということでした。

異国から来たうら若い娘さん(実際は若後家さんなのですが)が土地の心ない若者によって恥ずかしい思いをしたり、実際にハラスメントを受けたりしないように、心を砕いています。

娘さん。よく聞きなさい。ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。

「娘さん良く聞けよ」とはまるでどこかの歌のようですが、別に山男に惚れるなと言っているわけではありません...(笑)...他の畑に行くな、というのは縄張り意識から出た囲い込みではなくて、正しい躾を受けていない当時の若者達の行動様式をボアズはよく分かっていたからです。

更に彼の農場の中でさえも、男性は余り信用せず、自分の女性従業員の下で働くようにと指示しています。実に細やかな 配慮というべきです。随分過保護のように見えますが、当時のような悪しき曲がれる世にあって、この位の配慮をするのは当然のことでした。更に異国から来た(多分美人であった)娘を興味津々眺めたり、冷やかそうとする若者達にそうすべきでないことを「きつく」命じたのでした。ボアズの気持ちが痛いように分かる感じがします。

2)供給:

さらに、ろくな水筒やランチも持ってこなかったルツに対して、ボアズは水を自由に飲みなさいと勧め、また、昼時には彼女をわざわざよんで仲間に加えます。

水というのは乾燥地帯にあるイスラエルでは貴重なものです。しかも、ここでボアズがルツに自由に飲みなさいと言ったのは、水筒の水ような水ではなく、フレッシュな美味しい井戸水だったのです。

美味しい井戸水と言えば、第2サムエル23章14-15の記事を思い出します。ここではダビデが「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなぁ」と言う切実な願望を吐露していることを思い出します。今流に言えば「ああ、六甲の天然水を誰かのませてくれたらなぁ」みたいなことを言ったわけです。彼はあくまで願望を言ったまででしたが、それを聞いた勇士三人がなんとペリシテの敵陣の突き抜けてベツレヘムの井戸水を汲み、ダビデのもとまで持ってきたのでした。ダビデはそれを飲もうとはせず、主に捧げて注ぎ、命をかけて水を汲んだ人を祝福をいたしました。今の人が考えると、何とも理解しがたい行動かもしれません。

またボアズは食事についてもルツに大変な配慮をしていることが分かります。ルツ記テキストの14、15節に戻りますと、

食事のとき、ボアズは彼女に言った。『ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。』彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。『あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。』

という行き届いた配慮を示します。この炒り麦というのは、収穫の始めの大麦を殻のままロースとしたもので、素朴ではあるが香ばしくおいしい食べ物であったそうです。

3)情愛:

ボアズはルツに対して深い情愛を示しました。彼はルツのことを「私の娘」と呼び、彼女に懇ろに話しかけ、親切にしたのです。

これは単なるラブロマンスではなく、キリストの絵としてのボアズを見ることができるでしょう。先週も申し上げましたが、ボアズは、本当の贖い主であるキリストの絵です。キリストが如何に細やかなそして行き届いた配慮を持って私達羊を顧みていて下さることでしょう。主は私達を守り、導き、必要を満たし、そして個人的な交わりを楽しみなさいます。ボアズのルツへの親切を見ると、私達への主の親切を見る思いです。

配慮の理由=ルツの献身の故

1)個人的な魅力:

なぜボアズはこのような親切をルツに表わしたのでしょうか。彼女がエキゾチックな美しさを持っていた事は想像に難くありませんが、それ以外の要素が大きく働いていた事が次の言葉で分かります。

2)献身の美しさ:

ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。12 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」

この中でボアズがルツに関して評価していることは

・姑であるナオミへの献身的な奉仕
・故国を棄てて異国であるイスラエルに敢えて帰化しようとしていること
・その根底にある真の神への彼女の信仰

が挙げられています。

前にも言いましたが、一般的には嫁姑の関係というのはそれほど麗しいものではないようです。この場合はなんのつながりもない姑ナオミについて行き、全く風習も宗教も異なる地へやってきたわけです。そのような地では頼られるものと言えば、姑ナオミだけです。ルツにとっては大変な覚悟があったに違いありません。

特にその帰順の様子が、12節では雛鳥が母鳥の懐に飛び込む様として描かれています。

ルツの神への献身は生易しいものではなく、このようにまさに命がけであったのです。神は懐の大きなお方、その懐に身を避けるものを包み、守り、労り給うお方です。

こうやって手を広げてみますとどう見えますか?(「親鳥」と言う声がかいじょうから飛ぶ)ハイ有り難うございます。なかなかそう見えないかも知れませんが私を親鳥だと思って下さい。

神様は丁度母鳥が雛鳥を寒さと危険と嵐から守るように、主はその懐に飛び込む雛鳥のような信仰者をこういう具合に包んで下さいます

このルツの献身に感動したのがボアズです。主イエスも私たちの忍耐や献身をボアズのように見て知っておられ、私たちを守って下さいます。従って、ルツ物語は単なる好いた惚れたのラブロマンスではなく、主イエスと私たちの関係を示していると捉えるべきでしょう。


C.ルツの応答

以上のようなボアズの好意に対し、ルツはどの様に答えたのでしょう。最後にその点を見ていきます。

無価値さの自覚:

テキストでルツは「何故この私に」という率直な疑問を言い表しています。これはルツが自らを恵みに与るに値しない無価値な人間と自覚していたからです。

1)低い身分

10節に「彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。」とあります。身分から言っても、社会的な地位から言っても、ボアズとルツの間には格段の差がありました。ですから顔を伏せ、地面に平伏すのは当然であったでしょう。

13 節を見ますと、彼女はボアズのはしための一人にも数えられない、と言っています。はしためは使用人の中の最も低い階級の人間です。ルツはそれよりも低い人間と自分を考えていたのです。単なる言葉上の謙遜ではなく、心底からそう思っていたのです。

2)外国人

その上、自分が外国人であるというコンプレックスを言い表しています。

私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。

それも只の外国人であるというのではなく、イスラエル人からは嫌われ、律法によっても神の礼拝に加わることが出来ないと名指しされている二つの国民モアブとアモンの一つであったからです。つまり、どの角度から考えても彼女はボアズの好意を受けるのに相応しくなかったのです。

3)救われる前の私達

さて「ひむなる」の歌にもありますように、ここで「何故私に?」と、振り返って私達の事を考えてみましょう

私達の立場というものはルツに一歩でも勝ものではありません。

エペソ2:11−13を見ましょう。

思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

これは異邦人と呼ばれている私達が神の国から如何に遠く離れていたかその私達を神はキリストによって永遠の命に導いて下さったかを描いています。

しかし、私達のボアズであるキリストは私達、全く無価値なものに恵を注いで下さったのです。

「何故この私に」-この事を突き詰めて考えたことがおありですか?

なぜ私がいまこの場所で礼拝しているのか、なぜ私がいま生きているのか、なぜ私がいまこの教会に加わっているのか、なぜ私がいまの様な立場で家庭を営んでいるのか、職場で生活しているのか、失業率5.8%という超不況の時代にともかく食べるものが与えられているのか、一つ一つ自問してみて下さい。考えてみますと、ほとんど理由がありません。

lovelyということばは日本語で言うと「愛らしい」と言う意味ですが、神様にとって私たちはこのlovelyの反対だったのではないでしょうか?かくいう私も学生時代「狐」と言う不名誉なあだ名をもらっておりました。なんでそんな風に呼ぶのだと友達に聞いてみますと、私がいつも口をとがらせて文句を言っていたからだったそうです。その時もさっそく口をとがらせて文句を言いましたので、その狐というあだ名はますます定着してしまいました。

このように、私達は愛らしくなく醜く、従順ではなく反逆的で、清らかではなく罪にまみれ、神中心ではな く自己中心に生きてきたものです。

どうか 「そのような私に何故」と言う素朴な疑問、それに顕れる感謝、感動を何時でも持ち続け、高慢に陥ることがないようにいたいものです

ヤコブ4:6にありますように、神は高ぶるものを防ぎ、謙るものに恵を与えなさいます

2.恵みに浸る:

このようなへりくだりの姿勢を持っていたルツですが、かといって何時までも「私の様な者は」と卑下ばかりしていませんでした

13節には、ボアズの答えに満足し、無価値なものではあるが、

ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。

と、単純にボアズの好意に甘え、そこに憩っている姿を見ます。

そうです。私達は神から何らかの顧みを受けるに相応しくないものですが、そんなものにも注がれる恵を感謝し、甘え、信頼し、縋って生きて行きたいものです

 共に感謝し、主を崇めつつ生きて参りましょう。お祈りいたします。


Message by I. Saoshiro and Edited by K. Ohta on Feb. 11th, 2002

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