礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2002年2月24日

ルツ記連講(8)

「落ち穂拾いの精神」

竿代 照夫 牧師

ルツ記2章8〜23節

中心聖句

2:17 こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。

17節)


はじめに

 先週は4年ぶりでケニア訪問旅行を致しましたので、少しその報告をさせていただきたいと思います。野田先生と共に13日に出発し、翌日ナイロビに到着し、すぐにフラミンゴで有名な湖のあるナクルという街へ行き、WGMのダンカン先生と会談致しました。そして私達の教団の4人の宣教師が現地でよく受け入れられ、良い証を立てている様を聞かされて、感謝でした。次の日にテヌウェクというところに行って富沢宣教師と蔦田就子宣教師と会談致しました。富沢宣教師はホスピス介護を訪問しながら行うという新しい形の奉仕をなさっています。蔦田就子宣教師は外科病棟で働いておられます。お二人とも元気で、また現地のコミュニティに大変良く受け入れられている姿を見て感謝をいたしました。次の日はケリチョというところに戻り、AGCとKHBCの指導者と会談しました。それから田辺宣教師夫妻と、息子さんの大空君と会うことができました。田辺宣教師は第一期で着任して日が浅いにもかかわらず、学監という立場を与えられて活躍されています。大空君は全く人種的偏見が無く、子供を見るとだれにでもだきついていきます。その様は生まれながらにして宣教師だなあと感じました。(笑)翌日の日曜日は再びナクルに戻り、そこは私達が18年間宣教師とし奉仕していた地ですが、そこで各教会がそれぞれに成長している姿を見ることができました。そして湖畔教会で説教をいたしました。会堂が溢れてその外に椅子を並べて人々が座って説教を聞いていました。会堂が狭いので、1500人入る新しい会堂を建築中で、9部どおりできあがっていました。出発前に会計の方と相談して、当教会からも献金をお捧げしました。大変喜んでいただき、皆さんによろしくとのことでした。月曜日はナイロビに戻って、市橋宣教師夫妻と良き交わりのときを持ちました。市橋先生は神学校で教え、幼稚園を経営し、教会を開拓し、スラム街でも伝道するという八面六臂の活躍をされています。次の火曜日は、ダーリンというところにまいりました。ほこりだらけの道を車で2時間行った人里離れた土地で、岸田悟宣教師がストリートチルドレンのリハビリ施設で奉仕をされている姿を見ることができました。ストリートチルドレンを集めて、学校教育を施して、なんとか更生させようという施設です。そこの高等学校が地区で一番の成績を上げて獲得したトロフィーを見て御名を崇めたことです。次の日はロンドンに行って、岩上牧師夫妻のご案内でオールネーションズ神学校を訪問しました。そこでは4人の日本人宣教師候補者が学んでおられました。そのうちのお二人は主都中央教会にもいらしたことのある清水先生ご夫妻で、アフリカに宣教師として赴任する準備をされていました。その足でパリに行き、富永兄姉の関わっておられる日本語教会で説教をさせていただきました。そのようにして駆け足で9泊10日の旅を終えました。9泊の中で、4泊は飛行機の中でしたが、私はどこででも寝られるという賜物は持っておりますので、健康も守られて無事に帰ってくることができました。お祈りを頂いた皆様に心から感謝致します。

 それではルツ記の連講に入ります。前回は「なぜこの私に」という言葉に焦点をあてて、ボアズのルツに対する配慮、そしてそこに象徴されているキリストご自身の私達に対する恵みを学びました。

 今日は前進して「贖い」に焦点を合わせて学びますと予告しましたが、気が変わりまして、それは来週に致します。少し逆戻りして、その恵みに留まったルツの落ち穂拾いの体験から、「落ち穂拾いのスピリット」と言うテーマで学びます。

 


A. ボアズの配慮(続き)

1. ランチを共に

1)フレッシュな水の供給

前回ボアズがルツにいろいろと配慮してくれたことを学びましたが、そのうちのひとつはフレッシュな水の供給でした。冷たくて美味しいことで有名なベツレヘムの門のそばの井戸から汲んできた水を、いつでも遠慮しないで飲みなさいとボアズはルツに声をかけました。それも周りに聞こえるぐらい大きな声で言いました。それは肩身の狭い思いをしていたルツにはどんなに大きな慰めだった事でしょう。

2)食事を共に

より大きなボアズの好意はお昼時に示されました。14節を見ましょう。

2:14食事のとき、ボアズは彼女に言った。「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」彼女が刈る者たちのそばにすわったので、彼は炒り麦を彼女に取ってやった。彼女はそれを食べ、十分食べて、余りを残しておいた。

ルツがどんなお弁当を用意していたかはわかりませんが、きっとおかずがいろいろと入って自慢できるようなお弁当では無かったでしょう。人に見られないようにそっとお弁当を開けて一人で食べるルツはきっとみじめな思いをしていたのではないでしょうか。そんなルツにボアズはこちらにいらっしゃいと声をかけて、炒り麦を提供してくれたのです。

農作業の一時のランチ、それは働く人々に取ってどんなに楽しいひとときでしょう。NHKのラジオ放送では「昼の憩い」という恐らく化石のように何世紀も変わらないかのような番組があります。古関裕嗣氏のテーマソングからして時代離れがしていますが、正に農作業の一時の休みの雰囲気を伝えています。さて、今で言えば社長であるボアズが従業員やフリータ−みんなと車座になってランチを食べる、大変和やかな雰囲気が伝わって来ます。先週も理想的な労使関係について話しましたが、その一端を見る思いです。

日本の企業は比較的労使関係が良好のようですが、私が宣教師として行っていたケニアでは、イギリスの階級社会の影響もあって、労使がランチを共にするなどということはまず考えられません。建築プロジェクトを手がけたある日本企業が、労使の一体感を作り出そうと、労働者と共に食事をする機会を設けました。ある時は牛を一頭まるごとほふって、大きな鉄板でバーベキューを行いました。そのような努力の成果があって、労使が一体となって工事に取り組んだ結果、普通は数ヶ月から1年遅れるのがあたりまえの建築プロジェクトが、何と期限よりも前に終わってしまいました。

昼御飯の時ボアズはルツにパンを与え、それを酢に浸させます。酢に浸すと言うのは、当時の一般的な食べ方の様でしたが、冷たい酢は大変リフレッシングなものですね。さらに、香ばしい炒り麦を沢山彼女に与えました。その時に小さな記事ですが、皆さんお気づきでしょうか。彼女は全部食べなかったと書いてあります。あたりを見回して残った炒り麦をそっと着物の端にくるんだのです。何のためかはおわかりですね。

2.落ち穂の「供給」

 さて、昼御飯が終わってみんなが立ち上がる時、ボアズはさらに大きな好意を示します。

2:15女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。『あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。

2:16それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。』

自然に落ちてくる落ち穂だけではなく、束の間からでも集めさせなさいということは、収穫が終わってきれいになった場所からそっと落ち穂を拾うのではなく、収穫の最中の、まだ穂を束ねる作業のまん中にも入らせなさいと言っているのです。その作業では、注意していても麦の穂が自然に落ちるものなのですが、それに加えてわざと落ち穂を落とせ、とまで命じています。こうなると過剰な親切の様ですね。それでもよいのです。彼女の自助努力と誇りを損なわないようにしながら、何とか助けようとするボアズの苦心と彼女に対する尊敬の心が伺われますね。

 


B. ボアズの畑に留まったルツ

1.滞在

8節でボアズは次のように語っています。

2:8ほかの畑に落ち穂を拾いに行ったり、ここから出て行ったりしてはいけません。私のところの若い女たちのそばを離れないで、ここにいなさい。

2:9刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。

若い女の人が見知らぬ畑に一人で行ったときにどんないやがらせを受けるかはだいたい創造がつきますね。ボアズのこの言葉はそのようなことがないようにという暖かい配慮が示されています。ルツはこの言葉を忠実に守ってボアズの畑に留まりました。

さらに23節には、

2:23それで、彼女はボアズのところの若い女たちのそばを離れないで、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れの終わるまで、落ち穂を拾い集めた。こうして、彼女はしゅうとめと暮らした。

とありますが、大麦と小麦の刈り入れの時期は1月ほどのずれがありますので、約2ヶ月あまりにわたって、ルツはボアズの畑にとどまり続けたのです。

他の畑がより良く見える、と言う事はどんな世界にもあり得る事です。私は複数の自動車レーンで渋滞を耐えている時も、スーパーマーケットで並んでいても、いつも自分が間違ったレーンを選んだような気持ちがしてその列を変える事があります。その度に、そばにいるものから、節操がない、と叱られてしまいます。節操、良い言葉ですね。自分の境遇が貧乏くじの様に見えて、この環境を変えたら幸福がくる、と私たちはしばしば考えます。会社を選ぶのを間違えた、学校を間違えた、位でしたらまだ良いのですが、伴侶者を選ぶのが間違った、属している教会を間違えたとなると大きな問題です。他の畑の方がまだ落穂が沢山落ちているように見えて、今日だけは他の畑に行ってみようかという思いが全く無かったわけではないでしょうが、ボアズの言葉を忠実に守って、「ボアズの畑に留まった」ルツの節操が私達の生涯に必要なのではないでしょうか。

 

2.勤労と収穫

ルツは昼食後も落ち穂拾いを続けます。

2:17こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。

イスラエルの大麦刈りの季節は4月末から5月の始めですが、このころは日が長くて、夕方は7時ごろまで明るいでしょう。ルツはその時間まで落穂拾いを続けたのです。落穂拾いの作業は、ラクワットと言いますが、鳥が落穂をつつく様を表しています。一見のどかな田園風景ですが、実際やってみると大変な作業です。それを夕方までずっと続けたというのですから、なんと勤勉なことでしょう。さらに17節後半には、

拾ったのを打つと、大麦が一エパほどあった。

と書かれています。朝早くから、夕方迄落穂を拾うだけでも大変なのに、その拾い集めた束を打って麦にして帰ったのです。脱穀作業もそう容易い事ではありません。木の棒または殻竿で穂を叩き、麦と束とを分けるのです。これもなかなかの重労働です。そしてそれを集めたら一エパ(22リットル)になった、というのです。22リットルの大麦だったら二人で1週間は生き延びられるでしょう。大収穫です。私はこのできごとだけでも、ルツに対してほんとうに頭がさがる思いです。

 


C.私達の「落ち穂」は?

さて、今日は落穂拾いに関する実践的な教訓を共に考えたいと思います。

1.聖言の落ち穂

まず、御言葉の学びにおける落穂をもっとしっかり拾う習慣を身につけたいものです。多くの場合私たちは、多くの教訓に満ちた御言葉を、荒っぽく、大雑把に学んでしまうことがないでしょうか。皆さんの多くは信仰生活も長く、毎日聖書を読む習慣をお持ちのことと思います。それはとても大切なことです。聖書は私たちの心の糧です。しかしそれでも危険性はあります。御言葉を読む前から、だいたいわかったことにしてしまいがちです。さっと先入観をもって呼んで終わってしまってはいませんか。英語ではbetween lineという言葉がありますが、行と行の間にあるものを読むこと、また内容を反芻し、必要ならノートにとってしっかりと学ぶことが大切です。イエス様は、5つのパンと2匹の魚で5千人を養いなさった後でも、そのパン屑を集めなさいとおっしゃったお方です。聖書が教えようとしていることに、心をとめ、時間をかけ、ノートをとって、落穂までしっかりと拾い集めましょう。一日の終わりもそうです。ルツが一日で拾い集めたものを打って麦にしてすぐに食べられるようにして一日の仕事を終えた記事から学びたいものです。日記をつける習慣をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。私は一日にあったことを、いやなことも全部書くことにしています。いやなことは紙に書いて、神に全部ゆだねて、後は忘れることにしています。精神的な健康のためにも、一日の最後にそれをまとめて、神にゆだねることは大切なことです。

2.資源の落ち穂

資源の落ち穂は如何でしょうか。現在は無駄なものはみんな捨てる時代ですが、リサイクルによって資源を集める事が出来ます。現在世界が直面している資源の問題についても、ルツは大切なことを私たちに教えてくれるように思われます。

3.時間の落ち穂

時間の落ち穂はどうでしょうか。電車を待っている時間、病院等での待ち時間、など時間の落ち穂がたくさんあります。亡くなられた松村導男先生は、「時間のパン屑を集めよ」という説教で、私達が時間を無駄にしないで、有効に活用すべき事を強調されました。

4.経済の落ち穂

経済の落ち穂も同様です。知らず知らずの内に財布の中身が減ってしまうということがありませんか。買わなくても済むもの、ワンランク下げればそれで済むもの、それらに無駄な支出を落ち穂として落としたまま生活している事はないでしょうか。会堂の建設にいよいよ取り組む事ですが、無駄な支出を抑えて、落ち穂拾いの精神で出来る限りを主に捧げたいものです。

 


終わりに

落ち穂拾いなどという仕事は決して目立たつ仕事ではなく、楽しい仕事でもなく、もっと言えば卑しい仕事です。その仕事に全身全霊を込めて集中したルツから学ぶことができるスピリットは何でしょうか。

1.小さな仕事に忠実

第一にそれは小さなことに忠実なことです。刈り取りは少々落ちるのにはかまわずに大きな鎌でバサッと刈って行きますが、落穂拾いはそうではありません。主イエスは私たちに小さな事に忠実でありなさいと教えられました。大きな仕事に頑張るだけでなく、私達が小さな仕事にどれだけ忠実であるかを主イエス様は見ておられます。

2.感謝と喜び

もうひとつは喜びのスピリットです。人々からさげすまれるような仕事に対しても、ルツは神様が与えてくださったという感謝の気持ちが満ち溢れていたように思います。それは彼女の働き方にも表れていました。必死の形相でやったのではなく、彼女は働くのが楽しかったのではないでしょうか。その感謝と喜びが大きな力となったことでしょう。私たちは日々の仕事に感謝と喜びを感じているでしょうか。

プロテスタンティズムと近代資本主義社会の関係についての本を書いたマックス・ウェーバーは、近代社会が人々の勤労によって成り立っている経済主義を導いたのは、プロテスタントの宗教改革によって、人々が今の職業は神が与えなさった尊いものであると自覚している、そのスピリットからきていると説いています。

3.忍耐のスピリット

もうひとつはあきあきするようなつらい仕事を耐えて行う忍耐のスピリットです。

この日曜日を終えますと、いつもと変わらない月曜日が待っていることでしょう。しかし、ルツが示した落ち穂拾いの精神をもって、職場や家庭において今週の営みを開始しましょう。

お祈り致します。


Written by I. Saoshiro and Edited by T. Maeda on 2002.3.3



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