礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2002年9月22日

マルコの福音書連講(1) 「役に立つ者となったマルコ」

竿代 照夫 牧師

マルコの福音書 14章50-52節

中心聖句

14:50  すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。

14:51  ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。

14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

(マルコの福音書 14章50-52節)


はじめに

 1998年に赴任して以来 今までコリント人への手紙第一、ガラテヤ人への手紙、ヤコブの手紙、そしてルツ記を連講で取り上げましたが、私が福音書を取り上げるのは今回が初めてです。

私達の信仰の基礎は主イエスの事実とその教えにある訳で、今回はマルコの福音書をじっくりと学ばせて頂きたいと願っています。

 マルコの福音書は四つの福音書の中で一番短く、簡潔な文章で成り立っています。これはマルコの性格にもよるでしょうが、時間的な順序もこれを齎したと思われます。今日は本文には入らず、著者であるマルコについて人物伝的な学びをしたいと思います。

A.弱いマルコ

1.母マリヤの家庭集会

マルコの名前が出て来る一番最初は使徒の働き12章です。ヘロデ王(アグリッパ)によってペテロが捕えられ、死刑を宣告された時、教会は熱心に彼の救出の為に祈りました。これはAD44年頃の出来事です。

その時夜遅くまで祈祷会に使われていたのがマルコの母の家でした。

 使徒の働き 12:12 ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。

 短い記事ですが、幾つかの事実がこの中から伺われます。

彼の家は大きかったのです。大勢の人が入り、祈っていたからです。

それはエルサレム市内にあったと思われます。ペテロが出獄して間もなく訪れたからであります。

また、お金持ちであったのではないでしょうか。女中を雇っていたし、女中が客を取次ぐのに時間がかかる程であったから。

さらに、父の存在がこの記事では見られないことから、マルコの母は未亡人でなかったかと思われます。

 マルコの性格の優しさ、反面の弱さの理由は「お母さんっ子」として育ったことも考えられます。

 マルコの母、そして従兄弟のバルナバは初代エルサレム教会の中心人物であり、バルナバはその財産の全てを教会の貧しい人々の為に捧げ、人々から尊敬されていました。

母はその家を集会所に提供し、交わりの中核であったと思われます。

2)こんな所から浮んで来るマルコ像は、母や従兄弟の偉大な信仰の陰にあってあまり自主的とはいえないが、かといって反抗もせずにクリスチャンの仲間に入っていたという、いわばフツーのクリスチャンです。

2.最後の晩餐の家

1)晩餐:初代教会のこの記事から、最後の晩餐に使われた家、マルコの母の家であったという推測がなされています。これはかなり妥当な推測と思います。

マルコ14:13「そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。『都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。

14:14 そして、その人がはいって行く家の主人に、「弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。」と言いなさい。

14:15 するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。』

14:16 弟子たちが出かけて行って、都にはいると、まさしくイエスの言われたとおりであった。それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした。

この記事では男性である主人がいます。もし私達の想像が当たっているとすれば、これはマルコのお父さんだったかも知れません。この出来事はAD30年ですから、上記の祈祷会の14年前です。この間にお父さんが亡くなったとも考えられます。

2)「裸で逃げた青年」:さらにこの夜ゲッセマネで祈られた主イエスを捕縛した兵隊達が、近くで見物していた一人の青年を捕まえたところ、その青年が着物だけ置いて裸で逃げたという記事があります。

マルコ14:50 すると、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。

14:51ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。

14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。

ユーモラスに富んだ、しかしながら正に唐突な挿入としか思えない記事です。しかし、この記事を著者であるマルコのささやかな自己紹介と見ると全てが頷けて参ります。

最後の晩餐の後、ただならぬ雰囲気で主イエスと弟子達はケデロンの谷を下り、ゲッセマネへと向かっていきました。普段なら寝るはずのマルコでしたが、好奇心や心配の入り交じった気持ちで飛び起き、着物を着る間も惜しんで、裸の上に亜麻布を一枚纏っただけで飛び出してしまいました。

主イエスの事が心配でつかず離れずでいたのですが、主イエスを逮捕した兵士に亜麻布を掴まれると、後先を考えずにその布ごと置いて逃げた、それがマルコの福音書デビューです。

3.ペンテコステのニ階座敷 マルコの家は、主のご昇天の後弟子達が聖霊を求めて祈ったあの10日間の祈祷会が持たれた場所でもあります。青年マルコにとって、この様な霊的な場所に参加し、教会の誕生に至る熱気と興奮の真っ只中にいたことが、彼の生き方に大きな影響を与えたことは疑えません。

B.献身と失敗

1. 献身

暫くエルサレムを離れ、アンテオケ教会の堅立の為に労していた従兄弟のバルナバが、若い伝道者サウロを伴ってエルサレムにおきた飢饉のお見舞いに募金を携えて訪れました。紀元45年のことです。

使徒の働き11:29 そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。

11:30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。

その帰りに、マルコに声を掛けたのでしょう。「これからの仕事を手伝ってほしい。」という誘いを受け、賛同したマルコは従兄弟のバルナバと一緒にアンテオケに参ります。使徒の働き12章にあります。

使徒の働き12:25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。

2.世界宣教へ

紀元46年、アンテオケから最初の世界宣教への派遣が行われたのはバルナバとサウロに対してでありました。

使徒の働き 13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。

13:3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。

13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。

13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。

と使徒の働きの13章にありますように、マルコは記念すべき第一回宣教旅行に出かけた宣教師達の助手だったのです。身の回りの手伝いをする便利な助手として選ばれたのでした。ところが、うまくいったというわけではないのであります。

3.脱落

この二人がキプロス島の伝道を終え、今のトルコ半島の南側のペルガに渡って、さあこれから本格的な伝道と教会建設を始めようと思った矢先、

.使徒の働き13:13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。

とあるように、マルコはお母さんのいるエルサレムに帰ってきてしまうのです。

何の理由であるか書かれていません。色々な憶測が成り立ちますが、一つだけ言えるのは、誰が見ても納得できる正当な理由ではなかった、ということです。

しかし、聖書にこのようなことを包み隠さず書かれているというのは何という恵みでしょうか。マルコが脱落した 理由はいくつか考えられると思いますが、

まず、「伝道の厳しさに耐えられなかった精神的、肉体的弱さ」−キプロス島で出逢った反対や宣教師生活の困難さに音をあげたと思われます。

次に、「召命感の不確かさ」−自分はこの務めに召されているのかどうかが分からない、もっと言えば、神様と1対1で向き合ったことがあるかどうか、母譲りの借り物信仰ではなかったか、そうした霊的な根幹部分を揺さぶられたということではないでしょうか。

もう一つ考えられるのは、「サウロへの嫉妬」があったのではないでしょうか。 宣教旅行の出発時には従兄弟のバルナバが年長者として主導権を持ち、

使徒の働き13:7 バルナバとサウロ

という言い方であったのに、旅行が始まるや否や、13章9節にありますが、説教の賜物に勝れていたサウロ(ギリシャ名のパウロ)が主導権を取るようになりました。親戚としてマルコはこの変化を面白くないと感じたのだと思います。

というように、三つの理由が複合して、マルコ脱落の原因となったと考えられます。

C.回復の道

1.セカンドチャンス

そこで、バルナバはパウロにチャンスを与えようとしますが、マルコと激しい議論をします。

というのは、第二次宣教旅行のさいに、使徒の働き15章にありますが、パウロはマルコの同行に強く反対したという記事があるからです。

49年、第二次伝道旅行に出かけようとしたパウロとバルナバはマルコ同伴問題を巡って大論争をしてしまいます。バルナバはこう考えました。

「マルコは伝道旅行の途中で脱落し、迷惑をかけた。でも今は悔い改めているし、セカンドチャンスを与えるべきだ。このままでは、彼の生涯にも傷が付く、彼を贖いという牧会的配慮で扱うべきだ。私は彼を第二次伝道旅行のメンバーリストに加えたいと思う。」

一方パウロは「そんな甘い考えは駄目だ。伝道は真剣勝負だ。のるかそるかの伝道旅行はテスト旅行じゃないんだよ。」と反論し、

バルナバ「そんな考えが牧会者である君の口から出るなんて思っても見なかった。贖罪的な見方を人にしなさいと言っている普段の主張と矛盾するじゃないか。是非連れていこう。」

パウロ「いや駄目だ。君は大体親戚には甘いよ。伝道の厳しさが分かっていない。」こんな論争が続いていわば喧嘩別れしたのです。

2.では・・・?

では、バルナバとパウロのどちらが正しかったと思いますか?皆さんはいかがでしょうか? 私の結論はどちらも正しかった、どちらの道も祝された、と思います。パウロはこの「喧嘩別れ」のお陰で、その旅行の範囲をヨーロッパに向け、大切なヨーロッパ教会の基礎を築きました。一方バルナバはマルコをしっかりと回復させました。

では、二人は聖霊に満たされていなかったのでしょうか?御霊に満たされていたと思います。では御霊に満ちていれば意見の相違は起きないのでしょうか?

人間には個性がありますから、その個性が反映された意見にもバラエティがあります。あってよいのです。 要は、正しいスピリットで意見を持ち出し、進んでいくことが大事なのではないでしょうか。

3.回復しているマルコ

この出来事の後のマルコの足跡は明らかでありません。ただ折々のパウロの手紙に引用されているところから推測できるだけなのですが、それでもそこに輝いたマルコの姿を見ます。

ピレモンへの手紙24 私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。

コロサイ、エペソ、ピリピと同じ時期に書かれた手紙ですが、パウロの側近のルカ、デマス、アリスタルコと同列の同労者扱いを受けています。

コロサイ人への手紙4:10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。--この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。---

喧嘩(?)別れから約10年が経ちローマに囚われの身となっていたパウロは、自ら牢に入り奉仕してくれるマルコを見いだしていました。それだけでなく、パウロの意図を汲んで、ローマからコロサイへの使者として旅立とうとしていました。パウロの大きな信頼を見ます。

ペテロの手紙第一 5:13 バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。

その3、4年後の紀元64年、バビロンとはローマの別称と考えられますが、そこでマルコは、ペテロからも我が子と呼ばれています。

140年頃の教会指導者パピアスは、「マルコはペテロの通訳としてあちらこちらに伝道旅行をし、マルコ伝を執筆した」と述べています。

ペテロの説教は主イエスの行いと言葉を簡潔に述べる単純なものであったと考えられますが、その記録がマルコ伝になった訳です。主は色々な環境をその貴い御目的のために用いなさいます。

テモテへの手紙第二 4:11「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。

紀元67年に書かれたパウロの絶筆です。その遺言的な手紙の中で、愛弟子のテモテに向かって、マルコと一緒 に来てくれ、彼は私の務めの為に役立つ男なのだからと指名を頂いたのです。

殉教を目前にしたパウロ、信頼していた弟子達に一人また一人と捨て去られ文字通りルカとたった二人になった孤独なパウロ、そのパウロが最後に信頼したのは、皮肉かも知れませんが、かつてパウロを見限り、パウロも見限ったマルコだったのです。

そして、マルコは「役に立つ男」という形容詞で呼ばれました。世界一の宣教師から、その生涯の最後に「彼は役立つ男」と呼ばれるとはなんという光栄でしょう。

終わりに

締め括りたいと思います。

1.自分を駄目と思うな

マルコは生来気弱で、役立たずの人間だったかも知れません。信仰を持ってからもそれが尾を引いて、失敗続きであったかも知れません。

ですが、どうか私達は自分に対して、「私は駄目なんだ」というレッテルを貼らないようにしましょう。

性格的に、体力的に、知的に弱さを持っていたとしても、主はその弱さを用いてみ業を進めなさいます。過去どんなに大きな失敗を犯してしまったとしても、失望することはありません。神は役立たずの人間をお造りになりませんでした。神の贖いの恵みを信じましょう。

2.バルナバになろう

もう一つは、駄目だといってレッテルを貼らないようにしましょう、ということです。

9月20日にケニー・ガン先生が証しされました。親からも医者からも見放され、役に立たない者だといわれていましたが、イエス様を受け入れる事で変えられ、役に立つ者となりました。

今週も、職場や家庭など様々なところにおいてそのようなスピリットを持たせていただきましょう。お祈りいたします。


Message by Rev.Teruo Saoshiro,senior pastor of IGM Central Tokyo Church

Compiled by K.Otsuka on Sep.23,2002

Since 2002.09.24