礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年5月18日

「左ききのエフデ」

井川 正一郎 牧師

士師記3章12〜25節

中心聖句

15 「イスラエル人が主に叫び求めたとき、主は彼らのために、ひとりの救助者、ベニヤミン人ゲラの子で、左ききのエフデを起こされた。イスラエル人は、彼を通してモアブの王エグロンにみつぎものを送った。」

士師記3章15節)


A.背景と物語について

1.時代背景

 時代は、紀元前1450年〜1300年前後のことです。当時、ヨシュアの死後、傑出したリーダーが出ませんでした。そのため、各部族・氏族ごとでの政治が行なわれていました。

 士師記21章:25節に「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを・・」と書いてあるとおりです。

2.6つのサイクル

 
「6つのサイクル」があります。6つのサイクルとは、

 @背信-->A反逆-->B審判-->C苦悩-->D叫び-->E士師派遣(=救い) 

をいいます。この6つのサイクルが繰り返されていたのです。尚、苦悩よりも、平和な期間の方が長いのです。

 士師とは「さばきつかさ」のことです。聖書に書かれてある記事の量の大小から、大士師と小士師にわけられます。大士師は6人で、オテニエル、ギデオン、サムソン等がいます。小士師6人=シャムガル、トラ、ヤイル等がいます。

 士師・さばきつかさの特徴は、3つあります。
  1)軍事的リーダー
  2)限られた地域範囲と時間
  3)主の霊が注がれた

 今日は、2番目の士師「エフデ」に焦点を合わせたいと思います。

3.エフデの物語

 暗殺の場面です。ドラマ・演劇・映画のように詳細な描写がなされています。残酷といえば残酷な記事です。旧約の殺人・暗殺の残酷さに、求道者が首をかしげることもありますが・・。

 物語の具体的な話ですが、エフデは、降伏・従順な姿勢をあらわすためか、モアブの王エグロンへ挨拶、みやげ・手土産をもって行きました。贈り物は、食べ物に関わっているものだったのでしょうか?。

 「あなたに秘密のお知らせがあります。」とのエフデの言葉に、エグロンは「今、言うな。」と王のそばに立っていた者たちを去らせてしまいました。安心して、エフデを迎え入れている様子です。そして、エフデは、隠し持っていた刀で王の腹を刺したのです!。

4.エフデという人物について

 エフデという人物ですが、名前の意味は「私は賛美する」で、父親はゲラです。その父はベニヤミンです。すなわち、ベニヤミンの10人の子のひとりでした(創46:21)。エフデは、左ききで、知恵工夫に巧妙で、一人で乗りこむ勇気をもっていました。戦いでは先頭に立ちました。


B.メッセージ=「左ききのエフデ」

1.神は弱き者を用いられる

 神は、強い者を辱められるために世の弱い者を用いなさいます。そもそも、士師とは「悪く置かれたものを正しく置く」との意味です。状況・立場を置き換えるのです。「罪-->救い、強いもの-->弱いもの」です。

1)左きき(エフデの賜物・特徴)

 左ききは弱いもの、乏しいもの、小さいものの象徴でしょうか?。あるいは彼の賜物・特徴といえば、そうですが・・。

2)士師記に登場する「士師」=弱き者、乏しい者

 各士師は弱い形を示しています。例えば、オテニエル・・です。神は弱い者・弱いと思われる、それを用いなさるのです。反対にいえば、その人の特徴点・賜物を用いなさるとも言えるのです。

2.神は弱き所を攻められる

1)エグロン=非常に太っていた=致命傷となる

 エフデの刀が腹に食い込む。太った脂肪でふさいでしまったのです。エグロンにとっての弱点でした。贈り物も食べ物ではなかったのでしょうか?。

 太り過ぎがこの人の弱点でした。注意したいのは、太っているとか、痩せているとかが、即、罪ではないのです!。

 私たち人間の肉体についての話しは難しいのです。罪でも何でもありませんが、非常にデリケートな問題です。扱い方によって、人をつまずかせることになります。気にするなと言っても気になることが多いものです。

 気にすること自体が、即、罪ではありませんが、サタンは人の弱いところを攻撃するものです。そこから、罪へのいざないをするのです。徹底的に何度も何度も同じ個所を攻撃します。なぜなら、そこから崩れ去るからです。金銭・経済問題・性的問題・・なのです。

2)神は長所・特徴を生かされると共に、弱点の解決を迫られる

 これがきよめの課題になってきます。ペンテコステに向かうお互い、ここがかぎなのです。

3.神は弱き者を助けられる

コリントU12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

1)「弱い者」の意義

 「弱い者」とは、
  ・取るに足らない、乏しい
  ・主に対する絶対的信頼・叫び
  ・弱い者=主にあって強い者
です。

 徹底した弱い者との意識・認識が必要です。

 主に信頼しないでの歩みをする故に、士師記の6つのサイクルが生まれてくるのです。すなわち、罪、圧迫、叫び、さばきつかさの派遣=救い、です。さばきつかさが派遣されるのは、神のあわれみなのです。

 徹底して「弱い者」との意識をもち続けていれば、このサイクル無かったと言えるでしょう。

2)「同じサイクル」を断ち切る

 あなたは「同じサイクル」を断ち切れるでしょうか?


C.今週の実際生活への適用・しめくくり

1.与えられた特徴・賜物を生かそう!

2.弱き所の根本的解決を!


Written by S. Ikawa and Edited by N. Sakakibara on 2003.5.19