プレイズ・ワーシップ メッ セージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年10月5日

「神の国の価値観」

竿代 照夫 牧師

新約聖書 マタイの福音書 5章1−11節

該当聖句

Mt5:1-11 

マタイ5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、 おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。

2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われ た。

3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のも のだからです。

4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからで す。

5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからで す。

6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足 りるからです。

7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受 けるからです。

8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからで す。

9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと 呼ばれるからです。

10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御 国はその人のものだからです。

11 わたしのために、ののしられたり、迫害された り、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いで す。

12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあな たがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように 迫害されました。

(マタイの福音書 5章1−11節)


はじめに−ウエルカム トゥ プレイズ・ワー シップ!

きょうからスタートする「プレイズ・ワーシップ」にようこそお いで下さいました! ここで私達は開かれた心で、のびのびと楽しく明るく神を賛美 し、神の言葉に聞きます。

1.イエスの山上の説教=神の国の憲法

暫くの間、イエス・キリストが山の上で語られた教えを聴きま す。これは「山上の垂訓」として有名な箇 所で、神の国の憲法とも呼ばれています。 主イエスがもたらした「神の国」と呼ばれる新しい価値観、クリスチャンとはどうあるべきか、何を標準として生きていくべきものか が大変分かりやすく、明快に記されているからです。

2.本当の幸せって何?

山上の垂訓の始めは、「幸いです」 という八つの言葉の繰り返しです。

幸福を求めない人は誰もいないと思いますが、何をもって幸福か というと、分からない人が多いのではないでしょうか。

一昔前は、結婚が幸せと結びついていました。王子様と王女様は 結ばれて末永く幸せに暮らしました、と童話などでは締めくくられていたものです。 でも、今は違います。結婚は地獄の始まりなんて言葉もあるくらいです。それなら結 婚しないという人がどんどん増えています。

3.金を持つこと?

一番一般的なのは、懐具合が良ければ幸せだというものです。特 に、貨幣経済が浸透している現代社会の価値観は、富めるものが幸いだというもので す。

日本が今困っているのはバブル後の経済不況のせいだ、この不況 を抜け出して景気が良くなれば日本は幸せな国になる、という考えが支配的です。

不況の故に仕事を失い、給料を減らされ、事業を倒産に追いやら れた人々の苦悩を軽く見ているわけではありません。けれども、富が人間を幸いにす るという考えはまちがいです。バブルの絶頂の時でも人間は幸せではありませんでし た。旧約聖書の箴言の中に、

箴言17:1 一切れのかわいたパンがあって、平和 であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。

という言葉があります。富は多くの場合争いを巻き起こすことが 多いのです。

4.「貧しいこと」

イエス・キリストは社会一般の価値観とは正反対のことを言われ ました。貧しい者は幸いだ,それも中途半端の貧しさではなく、物乞いをしなければならないほど徹底的に何も持たない人は幸いだ、 とというのであります。ここで主イエス様が言われた貧しさとは、経済 的 という一面もありますが、それよりも心のあり方に焦点が置かれています。

5.しかも、徹底的な貧しさ

心の貧しさ、徹底的な貧しさであって乞食のような何も持たない 人間を指します。物を乞う、それも何も持たないから物乞いをするのです。

神は恵みの源(みなもと)であり、神なしには私達 は何も持っていない。だから神により頼むのです。

実際、私達は、何も持たないどころか、「罪」という借金を負っ ていて、この不良債権はどんどん膨らんでいきます。

おわりに−貧しさを認めよう!

神に喜ばれるということは、この何も持たない貧しい状態である ことを認めること、罪深い自分であることを深く自覚することなのです。この心貧し さの勧めは、神殿にお祈りに言った二人の人の話を思い出させます(新約聖書 ルカ の福音書18章9-14節)。

一人は金持ちの真面目なパリサイ人、もう一人は金持ちだがアウ トロー的な生き方をする税金取りです。税金取りは、

 ルカ18:13『神さま。こんな罪人の私をあわれ んでください。』

と祈り、神に受け入れられました。 自覚するだけではなく、それを言い表すことなのです。

今日私達が神の前に本当の貧しさを自覚して、言い 表すとき、神の国が心に始まります。お祈りいたします。


Message by Rev.Isaac T.Saoshiro, senior pastor of IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/October 5,2003