礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年11月16日

マルコの福音書連講(28)

「あなたの信仰があなたを救う」

竿代 照夫 牧師

マルコの福音書5章21〜34節 

 中心聖句 

34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

 (マルコ 5章34節)


はじめに

 前回は、悪霊に取り憑かれて絶望的な生活を送っていたレギオンという男が、主イエスの力によって見事に変えられ、「主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」という主のみ言葉にしたがって証の生涯に入った記事を学びました。

 今、来年度の計画が練られていますが、このような素晴らしい会堂が与えられたフルの一年が始まるわけで、来年は私達が個人としても、教会全体としても、キリストを力強く証しする年となるように目指したいものです。

 さて、今日は主イエスが、その伝道の根拠地であるカペナウムに戻ったときの出来事を学びます。カペナウムに戻るや否や、一人の会堂管理人が顕れて、病気の娘を直して欲しいと懇願します。マルコの記述を読みますと、話が次々と進んで、主イエスは休む暇も無かったような印象を与えます。実際そうだったのでしょう。主はその要請に応えて、直ぐ出発します。その途中のエピソードがこの長血の女性の癒しです。


A. 女性の惨状(25節)

25 ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。

26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。

1.長血の苦しさ

 「ところで」という具合に突然エピソードが挿入されています。でもこれは余分なエピソードではなく、とても大切なエピソードである事が、その病気の内容から分かります。その病気の内容は婦人科系の病気で、しかも長期に亘るものでした。それは肉体的に言っても大きな消耗を意味するだけでなく、社会的に言って彼女を隔離させる厳しい規則が含まれていました。

 レビ記によれば、ある女性が月経期間以外に血の漏出がある場合には、彼女のさわったものは汚れたものと見なされ、それに触った他の人も汚れると規定されています(15:25-27)。この女性はその期間が12年間続いた訳ですから、家庭生活からも隔絶され、社会的な普通の付き合いからも隔絶され、大変な孤独を味わっていた訳です。

2.医者の被害

 当然彼女はお医者さんに助けを求めました。けれども「多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。」のです。

 どんなひどい目であったかはマルコは記していませんが、当時の医者の事情を説明しているあるラビは、血の漏出への治療法として、色々な植物の根をすりあわせ、葡萄酒で溶き、患部に塗りなさい。それでも駄目だったら、タマネギを混ぜなさい。それでも駄目だったら・・・」と際限のないやり方を示唆しています。これでも駄目だったら、というだらだらした言い方それ自体が、効き目のない怪しげなものであることを表しています。しかも一人の医者では直らず、次々と医者を変えても状況は悪くなるばかりだったとマルコは厳しい実態を記しています。

 もっとも、多くの医者に多く苦しめられた、という表現はマルコだけで、ルカは同業者を悪く言うような説明をスキップしています。現代のお医者さんとは違うとは言え、人間が弱い立場にある人に如何に残酷であり得るかを示す悲しい実例ではないでしょうか。

3.どん底の生活

 この女性は、医者にお金を払える程ですから、ある程度の資産は持っていたと思われます。でも、治療費に財産を注ぎ込んで今は殆ど無一物着のみ着のまま、食べ物とてもその日暮らしの最低限の生活を強いられていました。ご主人があったとしても、多分離縁させられていたのではないかと想像されます。こんな時こそ頼みとなるはずのご主人にも棄てられた、本当に身寄りのない、どこにも希望も拠り所もない、言わばどん底の状態でした。主はそんなどん底の人間でも顧み給うお方です。


B.大胆なアプローチ(27-29節)

27 彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。

28 「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。

29 すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。

1.イエスの評判

 そんな頼り無い女性にも、友達が少しは居たのでしょうね。その友達が、イエスと言う力ある方、愛に満ちあふれた方がいらっしゃる、その方が今通り過ぎようとしていると知らせてくれたのです。彼女はその僅かの言葉の中に光を見いだしたのです。この方に最後の望みをかけて見ようと決心したのです。その決心は報われました。

2.何故後ろから?

 彼女は、道を急いで会堂管理人の家に向かっておられるイエス様を、何とか捕まえようとしました。胸をどきどきさせながらイエス様に近づこうとしました。勿論正面から名乗り出る勇気はありません。イエス様はとても急いでおられたし、自分は汚れたものであるし、イエス様どころか周りの人々に触ったり、周りの人々から触られることにもびくびくしていました。理由は先程説明した通りです。彼女は「汚れたもの」だったからです。

 彼女の事を知っている人が見かけたら、「あんたは何でここにいるんですか。汚れたものでしょう。出て行きなさい」と言われるのが落ちだったでしょう。幸い、人々は、胸をどきどきさせながら、汚れたものと言う批判を恐れながら近づいてくる女性なんか認められないくらい、押すな押すなの状況でイエス様の後をついて行きました。彼女にとっては誰にも気付かれないでイエス様に近づくチャンスです。「群衆の中に紛れ込み、うしろから」近づいて行ったのはこんな状況であったと思われます。

3.信仰のタッチ

1)臆病で大胆

 彼女の接近はおずおずとした臆病なものでした。でも彼女の心は大胆にさえなって行きました。ここ迄来てしまったのだから、やれるだけやろう、と言わば開き直った気持ちで近づき、イエス様に触ろうとしました。本当はイエス様の御手に触りたかっただろうと思います。でも、汚れた自分にそんな事はできない、でもイエス様の力と愛に触れたい、それを頂きたい、という思いが「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」という思いになったのでしょう。その思いを「言い続けていた」とマルコは現在形で表しています。

2)着物のふさにでも

 着物というのは、日本の着物のようなものではありません。文字通りにはgarment(外套)です。薄い生地を巻き付けたその外にごわごわの麻で出来た外套を纏っておられた、その端っこに触ろうとしたのです。ルカは、衣の裾にでも、という表現を加えています。ユダヤ人は衣の四隅に房を着けてそれに紐を着けねばなりませんでした。それは房を見る度に神の律法を思い出すためであったと民数記は記しています。

 「イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行なうため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行ない、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。」(民数記 15:38-40)

 この女性は、お体に直接触れるのは申し訳ない、でもイエス様の力を頂きたい、その謙遜な気持ちとと大胆な信仰とが入り交じった行動でありました。私達の経験に翻訳しますならば、こんな汚れた私が赦されるなんて勿体ない、でもお約束ですから、イエス様、あなたの十字架の血潮の一滴でも注いで下さい、という気持ちでしょうか。それをも主は喜んで受け入れて下さいます。

3)直ったという自覚

 その信仰を働かせたその時、彼女は自分が直った、「すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。」のです。すぐにです。徐々にではありません。痛みが無くなり、気持ちの悪い湿潤の感覚も無くなりました。本当に直ったのです。直った事を感じたのです。

 ジョン・ウエスレーのメッセージの大切な部分の一つは、クリスチャンは自分が救われた事を知る事ができる、それは聖霊の証と言うものだ、という点でした。父である、サムエル・ウェスレーは、臨終の床で子供達に「聖霊の証、聖霊の証、これこそあなたの求めるべきものだよ」と言い残しました。それから約10年後、アルダスゲ−ト街の小さな集会でジョンはこの聖霊の確証を頂き、それをイギリス中に広めて行きました。そこのメソジスト運動の強さがあったのです。


C.イエスの問い掛け(30-32節)

30 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。

31 そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも「だれがわたしにさわったのか。」とおっしゃるのですか。

32 イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。

1.力が出ていく

 主イエスは、癒しの業をなさる時、ご自分の身を削る思いでその業をなさったことが「自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて」という表現の中から伺えます。マタイは大勢の癒しを記録した後で「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8:17)と注釈しています。つまり、主イエスは魔術的な力で病人を癒されたのではなく、その病を身に負う事によって癒しの業をされたのです。私達の悲しみをも、心の傷をもその身に背負って下さる救い主、何と素晴らしいことでしょう。

2.だれがわたしの着物に

 イエスは、「群衆の中を振り向いて、『だれがわたしの着物にさわったのですか。』と言われた。31そこで弟子たちはイエスに言った。『群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも「だれがわたしにさわったのか。」とおっしゃるのですか。』 32イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた(直訳=見回し続けられた)。」

 イエスは全能のお方ですから、それが誰であるか本当に分からなかったと言う訳ではないと思います。でも、主はじっと周りを見回り続け、質問を継続されました。私は誰であるか分かっている、でも本人に私ですと名乗り出て欲しい、自分の過去も、なされた業についても証しして欲しい、その為にチャンスを提供しますよ、という愛の招きが、ここに込められているように思います。


D.イエスの確証(33、34節)

33 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

34 そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

1.女性の告白

 この女性はイエスの前に恐れと戦きを感じつつ出てきました。平伏した状態でした。まだ恥ずかしさ、相応しくなさといって引け目に囚われていたのでしょうか。しかし、引け目だけではなく、彼女はもう一歩進んで真実にありのままを告白しました。「真実を余すところ無く」という表現が素晴らしいですね。取り繕った告白ではなく、自分の恥ずかしい病気も何もかもありのまま告白したのです。しかも大勢の人が聞いているところで。何という正直さ、何という素直さでしょうか。

2.「あなたの信仰があなたを直した」

 主はこの素直さの中に純粋な信仰を見て取ったのです。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と救いの確証をお与えになりました。何よりもあなたの信仰があなたを救ったのだ、と。彼女の信仰に栄光を帰したのでもありません。信仰の力があなたを救ったとも仰いません。飽くまでも、救いは神からだけ来ます。でもその神の力をもたらす手だては信仰だけです。それも誰か他の人の信仰ではありません。あなたの個人的な信仰、救いをもたらす為の信仰です。

 黒人の賛美の中に < It's me, O, Lord > と言うものがあります。< Not my father, not my mother, it's me O Lord, that stands before you. >と言った歌詞でしたか。お父さんでもお母さんでもない、私があなたの前に立つのです。

 主イエスは、あなたの個人的な信仰の告白を、しかも主に対する絶対的な信仰の告白を期待しておられます。多くの人がイエス様を取り囲み、イエス様に触った人も沢山いたでしょう。でも明確な目的と必要と祈りをもって触ったのは、この女性一人だけでした。今日、この会衆は二百人位かも知れません。他の人は兎も角、切なる願いと祈りと信仰を持って主に触れる方はいらっしゃいませんか?

3.イエスの保証

 「安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と最後に語られました。「安心して」と言う所は直訳しますと「平安に向かって行きなさい。」です。彼女の為に蓄えられている平安の中に入りなさい、という素晴らしいお約束です。病気の癒しも、魂の癒しも全部含んだ健康状態の約束です。それを今日、主は約束しておられます。


終わりに

1.信仰の手をイエスに伸ばそう

 私達も、この女性のように助けなく、望みなく、何の価値もなく、それどころか、清い神の前に出るのに恐れと戦きとを覚えねばならない存在であるでしょう。そんな相応しく無さを全部抱えたまま、いな、相応しくないからこそ、イエスの恵とイエスの力に、ただ信仰の手を伸ばして近づこうではありませんか。

2.イエスの約束を握ろう

 あなたの信仰があなたを救った、という力強い約束はこの女性にだけ向けられたのではありません。信仰の手を伸ばした私達一人一人に与えられています。それを確信して、今日、心の平安を頂いてこの場所を立とうではありませんか。お祈り致します。

 


Written by I. Saoshiro and Edited by N. Sakakibara on 2003.11.16