プレイズ・ワーシップ メッ セージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年12月7日

「今こそ、平和のメッセージを ・・・」

竿代 照夫 牧師

新約聖書 ルカの福音書 2章8-16節

該当聖句

Lk 2:14 

ルカ 2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるよ うに。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

(ルカの福音書 2章14節)


1.クリスマスの物語に登場するのは、キリスト誕生の夜、ベツ レヘム郊外で羊を飼っていた羊飼い達です。彼らは、普通の羊飼い達であり、普通の 仕事をしていただけなのですが、キリスト誕生の生き証人として特別な役割を与えら れるようになりました。

2.彼らが野宿していたと聖書は語っています。イスラエルの気 候は日本よりやや暖かいのではありますが、12月に野宿は出来ません。キリストが 12月25日に誕生したというのは、この出来事から見ると考えられません。これは ヨーロッパの冬至のお祭りから来ていると言われますが、今日はその論議には入りま せん。

3.ともかく、この羊飼い達はキリスト誕生のニュースを最初に 聞き、最初に幼子キリストに出会い、そのニュースを広げるという特権に与った人々 です。そのニュースが届けたのが、天使であり、その天使の告知の後に聴いたのが天 の軍勢の大合唱でした。どんなメロディで歌ったのか、記録には残っていませんが、

ルカの福音書 2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるよう に。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

という言葉が繰り返されたのです。

4.前半は、救いの計画を成就された神をのすばらしさ、後半 は、その救いの結果として与えられるであろう地上の平和への期待が歌われていま す。今日はその後半をともに考えましょう。

5.今日ほど、地に平和と言うクリスマスのメッセージを必要と する年はありません。 2003年はイラク戦争に始まり、それが泥沼化しながら終わろうとしています。パ レスチナ和平も希望が見えかけては消えるという状態が続いています。日朝関係も拉 致問題が喉に刺さった骨のようにして何の解決もないまま一年が過ぎました。

国際関係だけではなく、国内でも政党同士の対立、同じ党内でも 亀裂、対立が進んでいます。社会における対立も貧富の差の拡大という形で深刻化し ています。

家庭はどうでしょうか。親が子を、子が親を殺してしまうような 事件が余り珍しくない者として報道されています。報道されるほど深刻でなくても、 小さな形での対立、不信、ひいては家庭崩壊は本当に深刻です。ですからこそ、「地 に平和」というこのクリスマスのメッセージが必要なのです。

6.地に平和と天使達が歌った、その真意はどこにあるのでしょ うか。単なるgood wishなのでしょうか。そうではないでしょう。

これは、キリスト誕生によっても たらされる本当の平和が実現するようにという力強い、確信に満ちたメッセージ なのです。

聖書が語る平和とは、第一義的に、人間と神との和解です。人間は神と敵対関にある、つまり持っ て生まれた性質は神に逆らうと聖書は言っています。

人間は権威に従うことが嫌いで、神を認めたくない、もっと言え ば、自分が神でいたいのです。 その結果、真の神に背いた人生を歩んでいます。で もこれはちょうど、子供が親に逆らって幸福な人生を歩むことが出来ないように、人 間に大きな不幸と悲しみをもたらします。

まずこの神との不幸な敵対関係から直さねばなり ません。そのために仲介者となって下さったのがキリストです。私達罪を犯した人類 に代わって罪を引き受け、父なる神にごめんなさいと謝って下さった、それがキリス トの十字架です。それによって人が神と和解する事ができました。私達は神に受け入 れられ、神の子とされるのです。

7.その神との和解が成立すると互い同士の和解も成立します。

自分の罪も赦されたのだから、互いの罪も赦して上げましょうと いう大きな広い心が生まれてきます。自分のような者が愛されたのだから、自分に意 地悪をする人をも愛して上げましょうという心になります。そこに互いの和解、平和 が生まれます。

その平和を取り仕切る平和の王様の誕生がクリス マスです。そうは言っても平和が一辺に降って湧くのではなく、地道な、それこそ草 の根レベルでじっくりと始まるのです。

8.今日のメッセージは二つです。

世界の紛争地域、社会の紛争領域のために、この 天使にならって祈りましょう。神は祈りに応えて下さいます。

もう一つは、平和を造り出す具体 的なステップを踏みましょう、ということです。

私達の周りに敵対的な態度を取る人がいませんか。あるいは私達 自身がそういう態度を生む原因となっていませんか。神が私を愛し、赦して下さるという神の愛の大きさを私のものにさせて下さ いと祈り、その愛をもって努めてすべての人と和解を始めましょう。

うまく行く場合と行かない場合があるでしょうが、それでも たゆまずに平和の種を蒔き続けましょう。 それこそが「神の喜びなさる人」です。お祈り致します。


Message by Rev.Isaac T.Saoshiro, senior pastor of IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/December 7,2003