礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年12月7日 待降節第三講壇

「神を崇め、讃美しながら」

井川 正一郎牧師

ルカの福音書2章8−20節

中心聖句

ルカ 2:20  ルカ2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったの で、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

(ルカの福音書 2章20節)


はじめに

新約聖書ルカの福音書2章20節をお読みします。

ルカ2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話 のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

クリスマスを来週に控えた大切な時、きょうはルカの福音書をお 開き致しました。ルカの福音書には6つの賛美歌・賛歌が数えることができます。1 章30節−天使の賛美歌、1章41節−エリサベツの賛美歌、1章46節−マリヤの 賛美歌、1章68節−ザカリヤの賛美歌、2章14節−天使の賛美歌、2章29節− シメオンの賛美歌であります。多くの賛歌が記されているのがルカの福音書でありま す。

サムエル・チャドウィックはきよめの成長のために初代メソジス トたちの讃美を黙想することを勧めました。「それは互いの霊的なものを豊かにする ものだからである」と言いました。その6つの中には数えられていないが、きょうお 開きした羊飼いの讃美−2章20節であります。

ルカ2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話 のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

羊飼いはクリスマスの出来事に直接触れることができ、神を崇 め、讃美しながら帰っていきました。この羊飼いたちが神を崇め、讃美しながら帰っ ていくことができた理由を考えさせて頂きたいと思います。きょうは短く四つの理由 を挙げ、メッセージとします。

1)第一の理由:天使から聞いたことが事実だか ら

まず第一に「天使から聞いたこと が事実だから」であります。出来事として、目の前に起きたのが救い主 の誕生であります。

天使からの突然の知らせがきました。恐れることはないと言って 下さいました。それは何ごとが起こったのかといぶかり、驚き、また恐れを生じるで ありましょう。そこに、恐れなくてよいとのメッセージが聞こえてきます。

ダビデの町に主イエス様がご誕生。民全体を救う喜びの知らせを この耳にきくことができました。これは事実なのか、本当にこの地上で今、起きたの でしょうか。必ず救い主はやってくるとの信頼を持ってはいたが、それが今起きたの でしょうか。

羊飼いたちはこの天使の知らせを疑うことなく、即刻に、直ちに 行動を開始しました。

ルカ2:15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼い たちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が私たちに知らせてくだ さったこの出来事を見て来よう。」

ルカ2:16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけ に寝ておられるみどりごを捜し当てた。

言われた通りに、それは事実でありました。クリスマスは、この 地上に現実起きた出来事、事実であります。

2)第二の理由:言われた通りであったから

第ニの理由として、同じようなことですが、それは「言われた通りであったから」であります。知ら されたメッセージの通り、その言葉通りであったからであります。ここで、クリスマスの出来事を知らせる方法手段は言葉であった という点に注目したいのであります。

言葉とは本来、人と人との間をつなぐ人格的媒介となるもの、そ の言葉通りの内容と実体が伴うものです。そこに力があります。それ故に信頼があ り、責任もございます。先週のヨハネの福音書の箇所−「はじめにことばは−」ある いは創造の始めに「光あれ」との言葉によって、創造、また救いの実現があります。

神の言葉は真実であります。神の語り給うことば は必ずその実体、内容が伴っています。だからこそ、力がそこにあるのであります。

聖書のこの言葉の意義を考えるたびに、改めて深い思いを持たざ るを得ないのであります。なぜなら、人間の世界で一番あてにならないものは言葉と いえるからであります。

人間の心に満ちる偽りのために言葉が本来のもつ働きが機能しな くなってしまいました。しかし、羊飼いに伝えられた言葉。それは直接には天使の言 葉だが、神のことばであり、その言葉は真実であります。それゆえにその言葉通りの 内容、実体が伴い、力をもって、それが実現されています。言葉通りに行われたのあ ります。

3)第三の理由:羊飼い達自身に直接関わったも のだから

そして第三の理由ですが、クリスマスの出来事が「羊飼い達自身に直接関わったものだから」であ ります。自分達の直接体験となったからであります。

全く自分にかかわりのないものでなかった。この私の、この私た ちに関わるものです。救い主のご誕生されました。この出来事が羊飼いたち一人一人 にとって救いとなるものです。自分になされた神のみわざ。それ故に、神を崇め、讃 美しつつ帰っていきました。この経験がこのような貧しく乏しい羊飼いのうちになさ れるのであります。奇跡であり、神のわざとしか考えられない。感謝、ハレルヤであ ります。

加えて、この出来事が羊飼いたちの普通の仕事をしている日常生 活の中で起きたと言うことも示唆しております。

神は人間の日常の中に介入されてみわざを行われます。日常生活 の中で、神と出会い、神からの語りかけを頂戴して、新しい歩みに進むということが あります。神が私たちに近く会って、関わって下さり、救いのわざを示して下さいま した。感謝感激したいものであります。

第一の理由は「天使から聞いたこ とが事実だから」、第ニの理由が「それ は言われた通りであったから」、第三の理由が「羊飼い達自身に直接関わったものだから」であります。

4)第四の理由:他の人に伝えることができたか ら

そして第四の理由は、それは羊飼いたちが意識してかしらずか、 そのすばらしい体験を「他の人に伝えることができ たから」であります。

人によって反応の違いはあるでしょう。みずからの目撃、体験、 経験がすばらしければすばらしいほど、まれに隠しておきたいという人もいますが、 人に伝えたくなるものであります。そしてさらにすばらしいことは、

ルカ2:2b 賛美しながら帰っ て行った。

とのおことばに含まれている事柄です。これがメッセージの中心であります。

それは彼らが再び、羊飼いとして の通常の日常の営みに戻っていったと意味されている事柄であります。 そうです、羊飼いたちは自分達の持ち場に戻っていったのであります。

あの東の博士たちも自分達の国に帰っていったとマタイの福音書 にあります。現在の私たちがちょうど、この場所で礼拝をささげ、格別なる神の臨在 と祝福を頂く。その後、それぞれの家などに戻っていく。羊飼いたちが主のご誕生の 感動と喜びをもって帰っていったように、私たちも 自分の持ち場にその感動と喜び、体験を持ち帰っていくのであります。

言葉に出して、あるいは体で表現することもあるでしょう。伝え る喜び、感動。これからの日常にもつながっています。人は生きる目的使命があると 生き生きとするものです。神からの感動をどのように、みずからの経験として持ち続 けるかと同時に、その感動を伝える喜び。その目的に日常の羊飼いのお仕事をしなが ら証ししたであろう羊飼いたちです。

終わりに

きょうはしめくくりに二つのことを心にとめ、生活に表したいと 思います。

1)まず、神を崇め、讃美がでて くる今週でありましょうということです。出てくるためにはそれなりの 経験、感動が必要であります。救いの経験−主イエス様を信じているという経験を 持っているでしょうか? あるいはこれから持ちたいという方もいらっしゃることで しょう。また、外れるということもあり得るわけです。これらの経験を新しくする、 賛美に溢れる一週とさせて頂きましょう。

2)もう一つは、それぞれの持ち 場でその喜びの体験を証しするものでありましょうということです。生 き生きと日常を生きるものでありたく願います。お互い、賛美にあふれる一日一日で ありたいと思います。  

「神をあがめ、賛美しながら帰って行った」、 これがきょうのメッセージです。ご一緒にお祈りしましょう。


Message by Rev.Shoichiro Ikawa,pastor of IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/December 14,2003