礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年12月23日 キャンドルサービス メッセージ

「グッドニュース No.1」

竿代 照夫牧師

ルカの福音書2章8-12節

中心聖句

  ルカ2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民 全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

(ルカの福音書 2章10節)


はじめに

1.みなさんクリスマスおめでとうございます。今日は、ベツレ ヘムの野原で羊を飼っていた羊飼い達に与えられた主の使いのメッセージから 「大きな喜びのおとずれ」についてお話ししま す。

2.そのような時代に、もう一度、キリストの誕生を祝うクリス マスが巡ってきました。彼は、「世を照らすまことの光として来られた」と記されて います。さらに、ヨハネの福音書12章46節には、

ヨハネ 12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信 じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。

とも語っておられます。光なるキリスト来臨の意味を、ヨハネの 福音書1章に心を留めて考えたいと思います。

A.物語の背景

1.キリスト誕生という驚くべきニュースを最初に受け取ったの は、世の指導者達ではなく、学識者でもなく、金持ちでもなく、貧しい名もない(名 前も残されていない)卑しい(と当時は考えられていた)羊飼い達でした。

2.何故こんな人々にでしょうか?答えはわかりません。考えら れる理由の一つは、彼らは普通の羊飼いではなく、エルサレムにいけにえとして捧げ られるはずの羊達の見張りをしていた−それゆえ特別に宗教的な関心があった−とい うものですが、これもやや想像のしすぎでしょう。ダビデの子孫として、ダビデのよ うな心をもって羊を飼っていたからかも知れません。そうした理由はすべて想像の域 を越えません。言えることは、彼らが職務に忠実であったということです。

3.その夜旅人としてベツレヘムに訪れていたマリヤに赤ちゃん が産まれました。休むべき所もない雑踏の中、動物小屋の飼い葉桶に寝かされていま した。そのニュースは誰にも知らされていず、この羊飼い達に天使が告知するという 特別な方法が取られた訳です。

4.そのメッセージが10−12節です。

ルカ2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありませ ん。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

ルカ2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主 がお生まれになりました。この方こそ主キリストです

ルカ2:12 あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられ るみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

このメッセージのうち、10節の喜びに焦点を当てたいと思いま す。

5.新改訳聖書で「今、私はこの民全体 のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」と訳されています が、直訳すると「私はあなた方に、この民全体に至るはずの 大きな喜びを宣べ伝えます。」となります。喜びについての知らせでは なく、喜びそのものを伝達します、というのが天使のメッセージの趣旨です。その喜 びの知らせとは何でしょうか。

B.喜びの知らせ

1.恐れではなく喜び:天使は先ず「恐れてはいけない」と語り ました。それは、天使の出現によって、羊飼い達は非常に恐れた、と記されているか らです。それを見て取った天使は「恐れることはない。喜び の知らせを齎したのだよ。」と彼等の心を静めました。

今ごろになると「今年の十大ニュース」が出てきます。不況は続 き、世界情勢もイラク戦争など不安材料を多く抱え、政治も閉塞状態でした。明るい ニュースといえば、阪神タイガースの優勝や松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース) の活躍ぐらいでした。どこにも良いニュースが見いだせない中でしたが、私達はキリ ストの誕生という「グッドニュース」に喜ぶことができるのです。

2.キリストを主題とする喜び:この良きおとずれとは、すばら しくまた驚くべきものでした。ですから、『見 よ』という言葉がそのまえに置かれています。羊飼い達の特別な注意を 喚起するためでした。処女マリヤから生まれたキリストはその喜びのおとずれの主題 でありました。しかも、突然の出来事ではなく、旧約聖書が 書かれた始めからなされた神の約束と預言の成就そのものだったので す。キリストの中に神の赦し、正義、平和、義、神がなさろうとしておられる救いが 籠められていたからです。

3.永続する喜び:キリストの与える喜びは肉的なものではな く、霊的でありました。肉的な喜びは、環境や感覚に左右されます。ですから一時的 です。

いかに現代の私達はこうした一時的な楽しみを求め、それに動か されて生活していることでしょうか。それらは過ぎ去るもの、なくなってしまうも の、そして、過ぎ去った時により大きな虚しさを生むものです。

しかし、キリストの与える喜びは、彼が永遠的なお方ですから、 永続的なものであり、栄光に満ちた言い尽くし難い大きなも のです。

2)その状態に光を照らす者として、真の光を携えて主イエス様が世に来られました。それがクリスマスです。

4.全ての民に与えられる喜び:キリストの与える喜びは、民の 全てに至るものです。でも残念ながら、文字通りの全てではありませんでした。ヘロ デやその取り巻きはキリストの出現にとまどいました。ユダヤ人の大部分の人は彼を 受け付けず、彼を退けました。大祭司、パリサイ人等の宗教指導者は彼の出現に脅威 と嫉妬を感じて 十字架に付けました。彼らにとっては喜びの知らせではなかったの です。

5.しかし、イスラエルの贖いを待ち望んでいた全ての人のため であり、罪人であることを自覚しているすべての人のためには喜びの知らせでした。 なぜ喜ばしいのでしょうか。

1)神が生きておられるという メッセージが含まれているからです。クリスマスのプレゼントはなく なってしまいます。しかし、神は信じる者の心の中に永遠に生きておられます。

2)神は救い給うから です。人々の望みは政治的な経済的なまた、社会的な変革であったかも しれません。しかし主イエスのもたらすものは、より根元的な、完全な救いでした。

3.神は干渉し給うから です。神は世界の問題に無関心でありません。神は世界と歴史に干渉な さいます。神の最大の関心はそのひとりごを世に遣わすことによってあらわされたの です。

4.神はへりくだったお方だから です。神はその高貴なひとりごを私達と同じレベルの貧しい、汚い馬船 に生まれさせなさったのです。このメッセージが私達に喜びを与えないでしょうか・ ・・、与えるはずです。

おわりに

このメッセージは、羊飼い達によって事実として確かめられまし た。彼らはベツレヘムの動物小屋に生き、そこで生まれたばかりのイエスを見、全て が天使のみつげの通りであったことを見て大いに喜び、神の皆を讃美しつつ家に帰り ました。

今日このメッセージを聞くだけでは不十分です。 それを自分の目で確かめ、馬小屋のイエスを礼拝して、そのお方を心に迎え入れて、 喜びをもってこの場所をたちあがろうではありませんか。

ああ良いメッセージだった、ああ良い音楽だっ た、だけでは不十分です。棄てるべきものを棄て、行くべき所に行き、礼拝すべきお 方を礼拝し、新しい生涯を始めようではありませんか。お祈り致します。


Message by Rev.Isaac T.Saoshiro, senior pastor of IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/December 23,2003