プレイズ・ワーシップ メッ セージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2003年12月28日 山上の垂訓(説教)から

「地の塩」

井川 正一郎牧師

マタイの福音書5章13節

中心聖句

マタイ5:13   あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけ るのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけ です。

(マタイの福音書5章13節)


はじめに

みなさんこんにちは。この教会の牧師の井川と申します。10月に メッセージの機会があったのですが、その時は青森にいっておりましたので今日が初 登場ということになります。

ワーシップリードの方から「野球の話を聞きますので」と野球の 話が出ました。私の出身校では勝つことが大きなニュースとなるくらいでした。

当時は法政大学が強く、山本浩二(広島東洋カープ監督)、田淵 (幸一=前阪神タイガース打撃コーチ)、富田(勝−とみたまさる)の三羽ガラスが いました。

今年は阪神タイガースが18年ぶりの優勝ということで賑いまし た。星野仙一(前監督、現シニア・ディレクター)が男になりました。星野とは私が 一年のとき、彼は明治大学4年でエースでした。

それはともかく、阪神が優勝して大きなニュースとなりました。 実は、18年まえにタイガースがリーグ優勝、日本一となりましたが、その時の監督 は吉田義男でした。サードの三宅(秀史)とともに三遊間を守りました。シ非常に小 柄で160センチあるかないかで「牛若丸」と呼ばれ、その俊敏さで鉄壁の守りを示 しました。しかし、俊敏で、また打撃もしぶとく一番バッターとして名をはせ、小柄 でも十分に通用しました。国鉄スワローズの金田正一(かねだまさいち)が一番苦手 に していたのが吉田であります。

今の時代、松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)を筆頭にして 大柄な選手がほとんどで、相撲なども曙(元横綱、現格闘家)、武蔵丸(元横綱、現 親方)に代表されるような大きい力士がほとんどで、大型化になっています。昔は小 兵、小柄の力士が活躍する余地があった。最近では寺尾(元小結・現親方)がそうで あります。まさに、小粒だが、ピリリとするような働きをする人は魅力があります。 たとえ小粒であっても、それ相当に役に立つのであります。

きょうはマタイの福音書5章13節をお開きしました。皆さんでご一 緒にお読みしましょう。

マタイ5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなく したら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられ て、人々に踏みつけられるだけです。

「あなたがたは地の塩」とあります。主イエス様が山上で説教さ れた箇所の一節であります。

塩はご存じの通り、粒が小さいです。でも、なくてならぬもの、 大いに役立つものであります。クリスチャンも、そのようにこの地上において塩のよ うな存在であると述べられています。

きょう、短く、塩がどのような特徴をもっているか、どのような 効用があるか、三つの点からお話し、それによって、私たちクリスチャンはいかなる ものである必要があるか、考えたいと思います。

1)まず、塩は、味付けとして効 果、効用があるということであります。

聖書の中に、塩はしばしば、登場してまいります。旧約聖書、新 約聖書時代、塩は生活の必需品であり、いろいろな目的のために使われました。穀物 のささげもの、全焼のいけにえにも用いられました。神殿のための必需品の一つに数 えられています。

また新生児のからだを塩でこすりました。医学的薬としての価値 か、宗教的きよめの意味なのか定かではありませんけれども、用いられたのでありま す。また、旧約聖書の中で、エリシャがエリコの水を塩できよめ、

列王記第二 2:21後半 『わたしはこの水をいやした。ここか らは、もう、死も流産も起こらない。』」

とありますように、また塩けを保ちなさいというみことばがある が、いやし、あるいはきよめとして、きよい生活の象徴として用いられました。旧約 聖書 ヨブ記6章に、

ヨブ6:6 味のない物は塩がなくて食べられようか。

とあります。その他にも効用があるが、ともかくも第一に申し上 げたいことが、味付けとしての効用であります。

こどもの頃、あの甘いおしるこを作るとき、おいしくするために 隠し味として塩を入れるということを知って、驚いたことがありました。食べ物をお いしくするのが塩であります。そして新約聖書コロサイ人への手紙4章に、

コロサイ4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味 のきいたことばであるようにしなさい。

とあります。「塩味のきいたことば=知恵、賢明、健全さを持つ ことば」であります。

クリスチャンは地の塩というとき、味付けとしての存在。砂漠の ようなかさかさとした味気の全くない世の中にあって、これは良いものとの味付けが あり、そして愚かでない、知恵と賢明さを持っているのがクリスチャンです。世の中 にあって、地にあってなくてはならぬ存在であります。

2)二番目に、塩は、腐敗から守 る防腐剤としての効果、効用があるということであります。

世の中の腐敗、特に道徳的にも、宗教的に堕落、腐敗から守る防 波堤のような存在がクリスチャンであります。終わりの時代の様相を呈している今、 ますます悪は進んでまいります。その中にあって、ストップをかける存在がクリス チャンであります。

3)この文脈から、この地の塩と の直接的意味は、いわゆる主となる食べ物とは違う、異質なものとしての塩 の意味であります。違うということであ ります。気なんとかのきじるしの違いでなく、良い意味での違いであり ます。

世と隔絶して仙人みたいな者でなく、世のただ中にあって、世の 人と違うものを持っています。魅力があり、違う輝きがあります。その秘けつはどこ にあるのか。隠し味があります。人はその輝きの源を知りたいのであります。それ は、イエス・キリストにあるのであります。主イエス様に結びつくとき、違い、魅力 があります。塩として役に立つのであります。

マタイ5:13 …もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けを つけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられる だけです。

とあります。お互いに塩けを失わない、それでいて目立つ人にな る必要はなることなく、小粒で小兵でいいのであります。

小粒でぴりりとする存在、お互い地の塩でありたいものでありま す。職場、学校、家庭、親子関係それぞれで輝きを失わないものでありたいもので す。

最後にマタイの福音書5章13節をご一緒にお読みしましょう。

マタイ5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなく したら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられ て、人々に踏みつけられるだけです。

お祈りいたします。


Message by Rev.Shoichiro Ikawa,pastor of IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/December 28 ,2003