礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年1月25日

教会総会礼拝 「時を知って従う 」

竿代 照夫牧師

歴代師第一 12章23-38節

中心聖句

1 Chronicles 12:32  イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのか しら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。

(歴代誌第一 12章32節)


はじめに

1.今日は教会総会を含む礼拝です。総会においては、昨年の回顧 と今年の展望が具体的な数字も交えてなされることであり、その中にも主の語りかけを 伺いたいと思います。

2.総会に臨む私達のあるべき姿勢について思い巡らしておりまし たとき、与えられた聖言が、冒頭の文節の中の32節でした。

3.3.歴代誌第一12章は、ダビデが長い間の流浪の生涯から、 パレスチナ南のユダの王となり、やがて全イスラエルの王となる過程を描いています。 ダビデがユダの王となり、サウルの息子イシュボセテが治めている北イスラエルと南北 戦争が起きるのですが、段々と南が優勢になり、最後は雪崩を打ってイスラエル12部 族がダビデのもとに駆け寄ってくる様を記録しています。この辺をひとめでわかるよう に表しますとにしますと次のようになります。年代は推算に基づいていますが、10年 プラスマイナスの誤差は有り得るものと見て下さい。

年代(BC) 出来事

1050 サウル、初代イスラエル王として即位

1020 ダビデ、ゴリヤテと戦う(その後サウルの迫害で流浪)

1010 サウルとヨナタン、ペリシテ人に破れ、戦死 ダビデ、南ユダの王となる(ヘブロンが首都)

1005 イシュボセテ、北イスラエルの王となる(南北戦争始まる )

1003 イシュボセテとアブネル、謀殺される

1003  ダビデ、統一イスラエルの王となる

970 ダビデの死。ソロモンが第三代の王となる

4.32節の記事は、その12部族の中のイッサカル族がどのよう にしてダビデのもとに馳せ参じたかを示しています。

歴代誌第一12:32 イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが 何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従 った。

この言葉から、時を悟ることの大切さ、何をなすべきかを弁別する ことの大切さ、それによって行動することの大切さを学びたいと思います。

A.時を悟る

1.「カレンダー」の民

タルグムというユダヤの伝承によりますと、イッサカル族は天文に 秀でていたと言われています。一年の始まり、月の始まり、閏(うるう)月の制定、を 告げる仕事をしていたのもイッサカル族でした。太陽や月の動きを学び、全イスラエル に対して、農業カレンダーを提供し、祭の時期を告知しました。指導者は僅かでしたが 、人々を良く組織化し、全体が統一ある行動を取るように日頃から訓練していました。

2.神政政治的な洞察

1)時代の変化の察知:それにも増してイッサカル族は政治情勢に 明るく、国の内外の政治的な動きを素早く察知して、どのように行動するかを全イスラ エルに告知する指導性をも持っていました。彼らは、イシュボセテとアブネルが死んだ というニュースで、ダビデ王国の到来を察知しました。彼らは政治の時を読むことでも 長けていました。彼らは外国の動きにも通じており、国内の政治情勢を見るのに敏でし た。彼らはいわゆる中央政治に巻き込まれない立場の者たちであったが、客観的に物事 を見ることもできたのです。

2)神政政治の角度から:実はダビデ王国の到来は、その20年以 上も前、預言者サムエルが少年ダビデに次期の王様として油を注いだことから預言され ていました。これが、23節の「主の言葉の通り」という意味です。日本で政治的に目 敏いと言いますと、節操もなく勝ち馬に乗る、風見鶏といった悪い印象を与えます。実 際、そういう政治家−政治屋と言った方が正確でしょうか−で満ちていることは残念で す。でもイッサカルの場合には、神の言葉に基づき、神の摂理と支配を信じることから 来る洞察でした。これを神政政治的な洞察です。イッサカルの人々は神の国の天気予報 を見るのに聡かったと言うべきでしょう。

3)抵抗勢力の存在を計算:しかし、ダビデがすんなりと全イスラ エルの王となったのではなく、サウルの周りにいた人々が既得権益を放すまいとしてダ ビデと戦った南北戦争で北側についた勢力は未だ残っていました。全ての部族代表がヘ ブロンに来てダビデに全イスラエルの王となるように懇願したのですが、それに反対す る勢力があればいつでも備えは出来ているという意志表示に武装してやってきたのです 。サウルの同族であるベニヤミン族が多くはなかった事実が、その雰囲気を物語ってい ます。

B.なすべき事

1.ダビデ政権の樹立と民族統一のために旗色を明らかに

イッサカル族は最小の人数であったが、政治的な指南役の彼らがダ ビデへの帰属をいち早く明らかにした事は効果的でした。というのは、彼らは時を知る 民族であったからであるイスラエルにとって今大切なのは、長い間の内戦の矛を収め、 統一イスラエルを打ち立てることです。それが23節の「サウルの支配をダビデに回そ うと」という言葉に現れています。政権の交代、民族の統一ということですが、それを 待つという受身の姿勢ではなく、回転させるという積極姿勢が求められていました。そ の流れの主導権をイッサカル族が握っていたと思われます。イスラエルの諸部族がおの がじし動いていたとき、ここに進むのだという方向を示す声が必要だったのです。

2.他の部族を巻き込む

この分節には全イスラエルの諸部族が糾合している様を見ます。地 理的に言いますと、近くにいるユダ族、シメオン族、それから旧政権を支えていたベニ ヤミン族は少なく、遠いところの部族が大勢武装して馳せ参じていました。これはバラ ンスを考えてのことと注釈されています。近くから馳せ参じた者が、他の部族をもてな したというのも美しい絵です。旅行のために骨を折る必要の少ない者たちが、遠くから 来た人々の世話をするというのは当然といえば当然ですが、麗しい配慮です。そして王 国が樹立されたとき、三日がかりの大きな宴会が催されました。イスラエルにとっては 喜び、ダビデにとっては大きな光栄だったことでしょう。この軍勢が大挙してヘブロン に押し掛けたことにより、ダビデ政権がしっかりと確立しました。

C.実行

1.指導者の明確な方向指示

この文節に述べられている〇〇族何万人というリストの中で、イッ サカル族はたった二百人と極端に少ないのです。でもそれは浮き上がった少数ではあり ませんでした。ギデオンの三百が一致して戦った時に、ミデアンの何万と言う大軍を撃 ち破ったと同様に、この二百は統制の取れた一人のような集団でした。明確な指示を全 部族に与えるような訓練を普段から積んでいました。この時にも、時代を読み、なすべ き事を知り、全部族に明確な指示を出した事によって行動が始まりました。

2.全部族の一致と団結

他の部族にはない独特の言い方がここでなされています。「彼らの 同胞はみな、彼らの命令に従った。」この指導層は同族によって信頼され、尊敬され、 従われたのです。イッサカル族の特徴の一つはその団結にありました。士師記5章15節 に、

士師5:15 イッサカルのつかさたちはデボラとともにいた。イッ サカルはバラクと同じく歩兵とともに谷の中を突進した。

このリーダー達はどのように部族を治めるかを知り、人々もどのよ うにして従うかを弁えていました。指導者達が公正であり知的であり、一般の人々が慎 み深く従順であるという社会は何と幸せでしょう。軍隊では当たり前かも知れませんが 、軍隊だけでなく同胞が皆、と言う所に意味深長なるものがあります。刀と槍をもって 戦う前線だけでなく、物資等をもって支える後方部隊も一般市民も一つ心で戦いました 。それも、一億一心と言うような掛け声で全体主義的に強制された一体ではなく、皆が 喜んで指導者達をサポートした雰囲気が39節から伺えます。

歴代誌第一12:39 彼らはそこに、ダビデとともに三日間とどま り、飲み食いした。彼らの兄弟たちが彼らのために用意したからである。

12:40イッサカル、ゼブルン、ナフタリに至るまで、ろば、らく だ、騾馬、牛に載せて食べ物を運んで来た。小麦粉の菓子、干しいちじく、干しぶどう 、ぶどう酒、油、牛、羊などがたくさん運ばれた。

イッサカルだけ200人で運んだと思いますか。いいえ。200人 の指導者に従って、多くの軍勢がやって来た事、輸送部隊も大勢であった事、出発前に 同胞がみんなやって来て動物や食べ物を献品した事が伺えて微笑ましいですね。

D.私達にとって、時と使命と実行とは?

1.私達にとっての「時」

私達はこの出来事の三千年も後の、全く違った時代に生きています 。でも、イッサカル族が示した原則は今でも確かです。私達は先ず、時を悟らねばなり ません。私達の時とは何でしょうか。それは、

1)キリスト支配の始まっている時:主イエス様はマタイの福音書 16章3節で、

マタイ16:3 朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょう は荒れ模様だ。』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時 のしるしを見分けることができないのですか。

と語られました。この場合は、メシアであるキリストの来臨の事実 を見せつけられながら、それを受け入れようとしないかたくななパリサイ人やサドカイ 人に向けて語られました。

2)反抗と背信の時:今日の時代を聖書の預言から見るとどうなる でしょうか。

テモテへの手紙第二3章1節以下を見ると「自己中心的精神」、テ モテへの手紙第一4章1節以下を見ると「背信」がその特色です。21世紀の時代を社 会学者はポストモダンに入った時代と評していますが、まさに聖書の預言と符合します 。

ポストモダニズムについては別の機会に述べたいと思いますが、大 きな特徴は、その極端なまでの個人主義です。社会よりも自分の家庭、自分の家族より も自分という存在を大切に、中心的に考える生き方で、自分の上にある権威は認めない 、過去の権威である伝統にも縛られない、自分は自分だという生き方です。それは、快 楽至上主義−働くのは生活を楽しむ糧と資力を得るためで、働きが生き甲斐なんて古く さいという考え方、人生は楽しむためにある・・・−にもつながっています。私達はそ の思想的な力、影響が子供達の生き方にまで及んでいて、抗しがたい流れとなっている のを感じます。

3)キリスト再臨の近いとき:今の時代は、キリストの再臨に向か って舞台が整えられつつある時代と言えます。キリストが再び来られるその前兆(マタ イ24章)が悉く深刻かつ具体化しています。イランの地震は過去数十年の最大規模で あった由ですが、これに限らず、マタイ24章に記されている現象はその数を増し、規 模を拡大しています。イスラエル民族と国家の動き、周辺諸国の動きを見ても、最後の 戦いへの舞台作りという印象を強くします。時を悟らねばなりません。私達クリスチャ ンも、ダビデが象徴するキリストの王国の実現のために戦ってます。それも、自然にそ れが転がり込んでくるの待つと言った受身の姿勢ではなく、「サタンの支配をキリスト の支配に回転させようと」する積極的な姿勢です。

2.私達の使命

1)福音を伝えること:これ以上の急務はありません。多くの人が 滅びるのを臨み給わない主の心を心とすると、福音を伝えることは緊急の仕事です。社 会の歪みが修復不能なまでに進んでいる今、その根本問題を解決する福音を伝える事は 何より勝る癒しです。時代によって変わらない伝道姿勢については、テモテへの手紙第 二4章2節に明らかです。

Uテモテ4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くて もしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさ い。

いつの時代にも困難はあり、いつの時代にも無関心はあり、反対や 迫害は絶えません。それらによって動かされない伝道姿勢をパウロはテモテに勧めてい ます。一面、伝道の内容と姿勢は時代によって変わりませんが、その方法に於いては大 いに変わりうる、また変えねばなりません。それは一言で言えば柔軟性、相手への思い やりの姿勢です。パウロはコリント人への手紙第一9章19−23節において、

Tコリント9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人 を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。

Tコリント9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。そ れはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはい ませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得す るためです。

Tコリント9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々 を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして 、幾人かでも救うためです。

と語っています。あらゆる方法で福音を伝えましょう。

2)時代を転換させる事:何としても、神なく望みなく暗黒の度を ましている社会と時代を、主を畏れる社会に転換して頂く必要があります。もちろん、 主の再臨によってすべてが完成される事ですから、私達が完全な理想社会を実現する事 は不可能です。終わりは近い事は確かですが、何時であるかは秘められています。私達 のなす事を一心不乱に成し遂げる事が大切です。レフェリーの笛を持つ手ばかり見てい てはサッカーで負けてしまいます。アメリカのシカゴで話題を呼んでいるウィロークリ ーク・チャーチ(私も何度か出席して大きな光を与えられました)のビル・ハイベルズ 師が著した『教会の再発見』という本が 邦訳されました。その序文にこう書かれています。

「人々は教会を必要としている。それは命をなくし 形骸化した組織としての教会ではなく、『使徒の働き』二章に出てくる真の教会である 。この真の教会のほかに、個人の生活や国の方向性を変えることができるものはない。 私達は、人間関係を導く方法、社会の不正に対処する方法、地球環境を保全利用する方 法、また富める者や貧しい者、そして胎児等の弱者に接する方法を変革する、真の心の 刷新を必要としているのである。」

正に同感です。現在の日本で私達が見聞きしている、貧しいとしか 言いようのない政治状況、絶望的な経済状況、道徳的状況を嘆く前に、私達の教会が、 国を変革する力を持つような

「真の聖書的な教会」 となるように祈りたいと思います。

3)再臨の待望:しかし、世界の「改善・改良」には限界があり、 ( それに向けてベストは尽くしつつも)一切の解決は主の再臨によることをわきまえ、待 ち望むことが教会の基本姿勢です(ペテロへの手紙第二2章11−13節、テトスへの 手紙2章13節)。主の来るのを待ち望み、そのお出でを早くするためにも伝道に励み たいと思います。

3.私達の実行

1)今まで:これからの総会議事で詳しく説明されます。まとめて 言いますと、「善かつ忠なる僕」としてベ ストは尽くせたとお誉めを頂いて良いのではないでしょうか。しかし、と黙示録2章3 章に主イエス様が言っておられるように、その動機において、行動において、欠けが多 くあった事を認めねばなりません。主の前に率直に謙って、新しい心でスタートを切り たいものです。

2)これから:今年の末に、あるいは来年の教会総会が答えであり ます。去年より今年、今年より来年と進歩があきらかであることを期待したいと思いま す 。お祈りいたします。


Message by Rev.Isaac T.Saoshiro, senior pastor of IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/January 25,2004