礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内 容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第ニ 版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年2月8日 第一礼拝

「神のみわざの始まり」

井川 正一郎牧師

ネヘミヤ記 1章1-11節

中心聖句

Nehemiah 1:11  ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしも べたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いをみせ、 この人の前に、あわれみを受けさせてください。」そのとき、私は王の献酌官であった 。

(ネヘミヤ記 1章11節)


はじめに

旧約聖書ネヘミヤ記1章11節をお読みします。

ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで 敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしも べに幸いをみせ、この人の前に、あわれみを受けさせてください。」そのとき、私は王 の献酌官であった。

ネヘミヤ記をお開きしました。いわゆるバビロン捕囚終了後、エル サレムに三回にわたって帰還します。第一次はゼルバベルによる帰還、第二次はエズラ による帰還。そして第三次はネヘミヤによる帰還であります。第一次は神殿再建、第二 次は宗教、信仰再建、第三次は石垣、城壁再建であります。

このネヘミヤ記一章は、まだネヘミヤがまだペルシャにいた時であ ります。エルサレムにいる民が困難の中にあり。またそしりを受けています。そのうえ 、石垣が崩されたままになっている。

その知らせを聞かされたネヘミヤは、まず彼は神にお祈りをささげ ます。その後、王の前でエルサレムへ戻ることを願い、それがゆるされて戻るネヘミヤ であります。

ネヘミヤはすぐに事にあたるのではなく、じっくりと調査をしまし た。そして城壁再建に取りかかります。外側からの妨害、圧力もありました。また内側 の問題もありましたが、それを乗り越えてついに52日間で城壁、石垣は完成します。

神の大事業は見事に完成しました。神のみわざは見事に成し遂げら れたのであります。神のみわざがこのように完成した理由はどこにあるのでしょうか。 神の御旨だから、人々の協力を得られたからとか、いくつもの理由をあげることができ ますが、きょう、その一つとして(一番大きい理由と考える)一人の人物が備えられて いたという点を取り上げたいのであります。すなわち、ネヘミヤという人物の存在があ ったということであります。神の大事業が始まるためにも、また進むためにも、またそ れが見事に完成するのも、カギとなるひとりの人物の存在があります。ネヘミヤがどう いう特徴をもっている人物か、箇条書き的に4つ取り上げさせていただき、きょうのメ ッセージとしたいのであります。

1)ネヘミヤは明確な重荷をもっていた

まず第一に「ネヘミヤは明確な重荷 をもっていた」のであります。一人のはっきりとした重荷を持っている人 物によって、こういう人物によって、神のみわざは始まるのであります。

彼はたしかな重荷をもっていました。祖国エルサレムをいつも心に かけていました。彼はこの知らせを聞いた時、初めて重荷を感じたのではありません。 遠い国にあっても、王の献酌官の立場であっても、エルサレムのことは一日たりとも忘 れたことはないのであります。普段から、常日頃から持ち続けていた重荷であります。

2)そこに厚い祈りがあった

第ニ番目に「そこに厚い祈りがあっ た」一人の祈る者によって、神のみわざは始まるのであります。

彼は祈ることを知っていました。知っていたばかりでなく、それを 実践できる人物であります。今耳にしたニュースを聞くや否や、飛び出したのではなく 、まず祈りに身を置いたのであります。5節に彼の祈りが記されています。

祈りは神を動かします。神はひとりの人物の真剣なお祈りによって 、みわざを始めなさり、進めなさるのであります。そしてこの国の祈りに神は心を動か されたのであります。

3)みずからを神にささげた

三番目に、「みずからを神にささげ た」のであります。一人のみずからを神にささげ、提供した人物によって 、神のみわざは始まるのであります。本当に捧げ切った人物がいるとき、神はその事業 を始めるのであります。献身であります。

4)きょうのこの日に賭けた

そして第四番目に、「きょうのこの 日に賭けた」のであります。11節。きょうに賭ける人物によって、みわ ざが始まるのであります。

きょうとは、きょうだ。すぐにとの意味です。しかし、もしそれが 御旨とすればそのきょうが10年後でもよいのであります。彼はいつもきょう、実現す るようにと必死に祈りました。もし、それがいわゆるきょう実現せずとも、あせらず常 に希望をもって、また次の日、きょうとお祈りする平静さ、落ち着き、絶対的な信頼を もってお祈りし続けることであります。

終わりに

きょうはしめくくりに二つのことを心にとめ、生活に表したいと 思います。

1)まず、たしかな重荷を持ってい るか。私の重荷とは何か」、もう一つは、

2)それにみずからを投げ出すこと ができるか。私にしかできないことがあるということであります。  

「神のみわざの始まり」、これがき ょうのメッセージです。ご一緒にお祈りしましょう。


Message by Rev.Shoichiro Ikawa,pastor of IGM Na kameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/February 8,2004