プレイズ・ワーシップ メッ セージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第二版 =著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年2月8日

「神様は不公平?」

竿代 皓子牧師

新約聖書 コリント人への手紙第二 5章21 節

該当聖句

2Cor 5:21 

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされ ました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

(コリント人 への手紙第二 5章21節)


1.不公平な現実の生活と世界

「神は愛であり、良いお方であるのに、何故この世の中は悪と悲惨 に満ち、人々は苦しい人生を送らなければならないのでしょうか。世界を見るときに、 貧しい人々や食べるものもない人々に満ちている一方、有り余る食料を捨てている国も ある。本当に神様は人間に対して公平なお方であるのか疑問です。」という質問が聖書 を学ぶ小さな集まりでありました。この質問をなさった方は未信者の方で忠実に聖書を 学んでおられる方です。

当然の質問です。誰でも自分は不当に扱われている、不公平な目に あっていると思っています。このことは人生の中で大変大きな問題です。人は皆平等な どと謳われていますが、現実は本当にそうでしょうか。不公平がまかり通っています。 富める者と貧しい者、健康なものと病に苦しむもの、力のある者と弱い者などです。だ から神様はこの世には存在しないと言う口実に良く使われます。「神も仏もあるものか 」と言うわけです。

2.それでは本当に不公平の根源は神様でしょうか?

1)悪い者の存在

いいえ違います。それは悪い者(サタン)です。

善なる神様がいらっしゃるのに何故この世は悪と悲惨と不公平に満 ちているのでしょうか。神様は悪と悲惨の根源でしょうか。当然違います。それでは何 なのでしょう。その答は聖書にはっきりと書かれています。ヨハネの手紙第一5章19節 に「全世界は悪い者の支配下にある」からなのです。不公平の根源は「悪い者」であっ て、その「悪い者」がこの世を支配しているからなのです。

悪い者とは聖書では「サタン」(悪魔)と呼んでいます。サタンと は神に敵対する者のことです。彼の本質は高慢と嫉妬と偽りです。神よりも誰よりも自 分が最高であろうとし、自分を第一としないものを激しく嫉妬して、自分に引き寄せよ うとするのです。彼の最も嫌うのは彼の支配から人々が引き離され、別の支配者に行っ てしまうことなのです。彼の用いる手段は自己崇拝と富と権力です。サタンが主イエス を誘惑した所を読んで見ましょう。

マタイの福音書4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連 れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、

マタイ4:9 言った。もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部 あなたに差し上げましょう。」

このことから私達人間の現状が非常によく説明されないでしょうか ?この世はサタンの原則によって支配されているという事実が、この世のあらゆる悪を 説明するでしょう。人はサタン王国の支配下にある奴隷であると聖書は位置付けていま す。

2)神の国の出現

それでは、神様はどの様にこの世に公平を表しているのでしょうか ?

悪の支配下にある人々に神は関心を持っていないのでしょうか。い いえ、計り知れない愛を持って関心を表しておられます。人は元々神によって神の愛の 対象として創られ、神との麗しい人格的な交わりを持っていたのです。しかしサタンに よって誘惑され「自分も神のようになろう」としてその戒めを破ったことにより、神と 断絶され、神の支配から追い出されました。神の戒めを破った結果の断絶が「死」です 。人間の肉体の死は、神とのかかわりのあった霊的死によって齎されたものです。(= 創世記2:17、3:5)

これが人の堕落と言われていることです。それ以来人は知識によっ て文明を発達させて来ましたが、死を克服することは出来ませんでした。死は神からサ タンの支配に移ったことの証拠です。これが人間の歴史です。神はこの世を支配する悪 魔の王国から、何とかして人をご自分の愛と義による支配領域に取り戻したいと願って おられます。私たち人間は親に叱られて家を飛び出した反抗期の若者のようなものです 。家に帰れずにウロウロしているうちに、極悪なグループに捕まって出るに出られず、 ますます悪にはまっていくようなものです。このようなグループから抜け出ることは大 変な代価を払わなければならないことは当然で、しばしば命がかかって来るものでしょ う。神も人間をサタンの支配から神の支配に取り戻すために、大きな代価を払われたの です。すべての人のために代価を払うということで神は神の公平を表しなさいました。

3)神の御国

神の公平は最も理不尽で不公平な扱いをご自分が一手に受ける事に よって表されました。私たちは考えるでしょう。「私ほど不幸で、惨めな人生を送って いる者はいない、神様は不公平だ」と考えるでしょう。しかし神は「キリストの十字架 の死」を示されます。十字架の上で、イエス・キリストは「見てごらん。私は何の罪も ないのに人々の悪のために身代わりになって死んだのだよ。こんなに不公平なことが他 にあるだろうか。私は最も理不尽な扱いを受けているのだよ。あなた一人一人のために 。こうしなければサタンの支配からあなたを取り戻すことは出来ないから。私は命をか けてあなたのために代価を払っているのだよ。」とおっしゃっておられます。今日引証 した御言葉の様に私たちが「義」(罪のない者)とされるためです。死んで再び甦るこ とによって「死」に打ち勝ち、今は天にて神とともに御座についておられます。イエス ・キリストは「私がこの世に来たことによって天の御国(支配)がはじまりました。だ から悔い改めて(方向転換をして)私の支配の中に戻ってきなさい。」と招いておられ るのです。

3.おわりに

神の支配にもどることによって、神の愛と善を信じ、誤った不公平 感から解放されてはいかがでしょう。神の御国では、神は誰にでも公平であることを発 見することでしょう。なぜなら神の愛を知るとき、一人一人が誰でも自分の最善を見出 すからです。


Message by Rev.Hiroko Saoshiro, pastor of IGM N akameguro Church ; Compiled and edited by K.Otsuka/February 8,2004