プレイズ・ワーシップ メッセ ージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第三版 =著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年4月4日

イースターを前に−「十字架を担いだ男 」

竿代 照夫牧師

新約聖書 マルコの福音書 15章15-18節

該当聖句

Mk15:21 

そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンと いうクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、む りやりに彼に背負わせた。

Lk 9:23 

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしに ついて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについ て来なさい。

(マルコの福音書 15章21節、ルカの福音書 9章23節)


1.今週お話しするのは、春うららかなエルサレムでの出来事です 。紀元30年のことです。ここで登場するの は、クレネ(エジプトの西隣のリビア、ベ ンガジの近く)在住のユダヤ人(名前から の推定)、シモンという男です。過越の祭に上京した巡礼者の一人でした。

2. 彼はアレキサンデルとルポスの父で、後にローマに移ったよう で、彼の妻はパウロにとって母の様に彼を大いに助けました。このシモンが何故十字架 を担ぐような羽目に陥ったのでしょうか?

1)好奇心をもって群衆に割り込んだ:「なんだなんだ!?」とい う野次馬精神があったのでしょう。

2)イエスに引き付けられた:なぜかはわからないが、可哀相な男 だという同情もあったかも知れません。

3)屈強な若者であった:頑丈さでは誰にも負けない、ローマ兵の 目に留まるような強さがあったと思われます。従って、ローマの兵隊に容易に徴用され たのです。ローマ兵はそうする権利を被征服民に持っていました。

3.ここでシモンの気持ちを考えてみます。

1)辛さ:やたらに重くて、ごつごつしていて、肩にのめり込む様 な辛さを感じたこ とでしょう。

2)疑問:「なぜ私が?」という気持ちがみなぎったことでしょう 。

3)恥ずかしさ:みんなが私に注目している、しかも罪人の仲間と 誤解している人々 も大勢いたでしょう。「本当は俺の十字架ではない、他人の十字架を担いでやっている のだ」と説明したかったでしょう。でもポスターを書いて背中に貼り付けることもでき ず、ただ我慢の連続だったことでしょう。

4.このシモンでしたが、時間の経過と共に、心が変わっていくの を感じました。

第一はイエスの魅力です。罪なき人という印象を彼は持ちました。 罪人にしては余りに静かで、純粋に見える不思議な人だ、自己憐びんはなく、呪もなく 、周りの人を労り、慰めている不思議な人堕、という印象です。魅力は理解へと導きま した。

騒いでいる周りの群衆は二色である事が分かりました。一方の群衆 は、惨めで力なき救い主として、彼を罵り、他方の群衆は、本当の救い主と信じて、同 情の叫びを挙げていました。

「どっちが本当だろう?後者が正しいのではないか?」−−−イエ スの心臓の鼓動を聞きつつ、彼はそんな考えを持ち始めました。

5.シモンがイエスを救い主と信じた時は分かりませんが、彼の理 解が確信に至った のは十字架を目撃したからと考えられます。十字架刑の責任者である百人隊長は、「本 当にこの人は神の子である。」と信じたと記されています。ほぼ同時にその信仰を持つ ようになったと信じるのはごく自然でしょう。その後故郷に帰ったシモンは、その信仰 のための証人となりました。子供達を導き、妻を導き、多くの人を主に導きました。

6.シモンの恵みは十字架を担うことから始まりました。十字架と は、苦しみと辱めの 象徴です。苦しみを担うことによってイエスの心が理解できます。十字架を担うことに よって大きな恵みを蒙るのです。

7.シモンの場合には、降って湧いたような災難であったかも知れ ません。でも、それをかけがえのない人生の糧とするか、忘れてしまいたい過去の歴史 の一コマとするかは、私達の態度次第なのです。

      

8.従ってどんな十字架をも避けて通ってはなりません。むしろ喜 んで十字架を担うものとなりたいと思います。ルカの福音書にあるように、

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々 自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

ということであります。

9.私にとっての十字架とは何でしょうか。

それを喜んで担いでいるでしょうか?それとも振り払ってしまいた い災難と思ってはいないでしょうか?

この日、心に問うてみたいと思います。私達が喜んで十字架を担ぐ 決意をすると、主イエスが、片棒を担いで下さる、それどころか私達自身を担いで下さ います。お祈りいたします。


Message by Rev.Isaac T.Saoshiro,senior pastor o f IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/April 4,2004