礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年5月16日

「神の全能の働き

井川 正一郎 牧師

エペソ1章15-23節

中心聖句

19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

(エペソ1章19節)


始めに

 エペソ書1章19〜21節をもう1度お読みいたします。

19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、

21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

 ペンテコステが間近になってきました。聖霊なるお方に心を向ける時です。聖霊とは生命の付与者であり、救いをもたらすお方です。神の命をもたらして下さいます。同時に聖霊は聖化する臨在として、きよめのみわざと信仰者の心と生活、生涯に力を与えるお方です。使徒1章8節の通りに力を受けん!力に満たされる経験です。

 きょうは神の全能の力に注目したいと思います。ペンテコステ聖会のような午前、午後としたいと願って思っております。

 エペソ1章19節は、パウロのお祈りのことばの一つです。エペソ書は、ある特定の教会宛てというよりも回覧用の手紙と言われております。叱責がありません。開拓間もない教会というよりも、ある程度成長、成熟した教会を対象としています。

 エペソ書は、およそ次のような構成となっております。

@キリストの体なる教会とはいかなるものであるかが示されている。1〜3章教理的部分、4〜6章実践的部分。

A恵みの高嶺を目指す信仰の目当て、道程を示す書簡。歩け、歩け。歩みがキーワード。

B1章=三位一体の神が教会の起源、二章=教会の構成員(ユダヤ人だけでなく、異邦人も含まれる)、三章=教会の奥義(ユダヤ人と異邦人が一体となること)、四章以下、歩み(具体的生活の勧め)、四章=その召しに相応しく歩みなさい。以前のような罪人、異邦人のように歩むなとの警告、五章=愛の中に歩め、光の子供らしく歩め、賢い人のように歩め、六章=教会の戦い、血肉の戦いではなく、霊的戦い。

 恵みの高嶺に進む信仰者として、霊的戦いに直面する信仰者として成長していくために必要なこことは何でしょうか。具体的な歩み方の勧めと共に、パウロは最初にお祈りをもって、それを示しています。与えてくださいますように。また見えるようになって、知ることができますように。@…望み、A…受け継ぐもの、B…神のすぐれた力。力を知るように。改めて神の全能の力、その働きに注目するのです。そもそも、力。これもキーワードの一つです。


A.神の全能の力の働き(みことばから見る)

1)キリストの復活に働く

 キリストの復活に働くのです。死からよみがえらせたところに働いた全能の力です。死に打ち勝つ、勝利する力です。これ以上の力はありません。奇跡のみわざ、奇跡の力です。みなさんのお手元にも持っているウェスレアン聖書注解は、このように述べています。

 「人間にとり最大の敵である死に打ち勝つ神の力を知ることは、信仰者がキリストを信じて救われ、保たれて行く信仰に欠かすことのできないもの。十字架でキリストが死なれたことがこれまでに人間に与えられた神の愛のうちで最大なものとすれば、死者の中からキリストが復活されたことは人間に与えられた神の力の最大なもの」

この力こそ、信仰者のうちに働き、罪に打ち勝つ力を与え、現在のために活力を与えて元気づけ、終わりの復活に保証を与えるものなのです。

2)罪人一人一人に働く

 2章1節以降です。罪に死んでいた者を生かす者とします。それに働く力です。キリストを死からよみがえらせた同じ力をもって働いて、罪の死から生かします。力を節約することなく、キリストに用いられた同じだけのものを注がれたのです。

3)個人的召命(賜物)に働く

 パウロの個人的召命(賜物)を与えるために、全能の力をもって働かれました。福音に仕える者とするためにです。伝道者、ある人をこの職業に、といった召命の道を示すためにも、全能の力をもって働かれるのです。

4)内なる人の強化に働く

 三章後半。内なる人の強化です。きよめのわざについても、同じだけの力が注がれるのです。

5)悪魔(の策略)との戦いに働く

 六章。悪魔との戦いです。これに全能の力をもって働かれるのです。

 みことばから見るように、個人個人一人一人の心、生活、また全生涯にわたって働かれるのが理解できます。信仰者に働く神の力とありますが、個人個人すべてに働いて下さるのが、神の全能の力です。


B.偉大なものであるかを知るように(そのように祈られる理由:3つ)

1)神の力を必要としているから

 人間一人一人、例外なく神の力を必要としているからです。それを必要としていない者は一人もいないのです。力を受けんと使徒1章8節にあるように、主の証人となるためにはどうしても力を必要とします。力がほしいのです。腕力、肉体的力というよりも、霊的力です。きよき力、人格的力、魅力、変貌する力、奉仕するための力です。やり遂げる力、忍耐する力、待ち望む力、等々。そのすべてを合わせ持つ神の全能の力を必要とするからです。

2)ケタはずれに大きいものであれから

 ケタはずれに大きいと知ってほしいからです。力=ダイナマイトを意味することばです。偉大=メガトン級の大きさを意味しています。それを経験してほしいのです。今までそのようなメガトン級の力を味わったことがないでしょう。桁外れにでっかいのです。罪に打ち勝つために、悪霊との戦いにおいてもそれほどの桁違いの力が働くことを経験したいのです。もっと知るように。経験できるように。パウロはお祈りをささげるのです。

3)偉大な力を妨げないため

 そのように桁違いに大きい神の全能の力が働くことを妨げてはいけません。神の全能の力はむやみやたらに働かれるものでないのです。常に効果的なもの、有効とみなされるものに働かれるのです。それには一つの例外もありません。永遠の観点から見て、神の観点から有効、このことに全能の力を働かせたら、人のたましいの課題に有益、永遠の角度からみて有益とみなされるものに、力は注がれるのです。

 そうでない場合は働かないのです。例えば、スプーンを曲げるとか…。働きたいと思われても、働かせないものが人間側にあると、働かないのです。神の全能の力が十二分に働かれるように、こちら側の整えの必要を考えさせられます。


しめくくり

 神が全能の力を働かせて下さるということは、私たちが問題に立ち向かう力、乗り越える力を、与えてくださるということです。そして、それもキリストの復活と同じレベル、力で、です。

 しめくくりとして2つ述べさせていただきます。

1)神の偉大な力を体験しよう

2)その力が働くように整えて頂こう

19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

 これが今日のメッセージです。お祈り致します。


Written by S. Ikawa and Edited by N. Sakakibara on 2004.5.16