礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の 内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(=改訂第三 版 著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年5月23日

「御使いの顔のように」

竿代 照夫牧師

使徒の働き 6章8-15節 

中心聖句

2 議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。する彼の顔は御使いの顔 のように見えた。

(使徒の働き 6章15節)


はじめに

 ペンテコステに向かって進んでいる季節です。この三週間、聖 霊なる神のみ業について聖日毎に聖言の学びがなされました。今日は、聖霊に満たされ た人がどうなるかの実例として、初代教会の最初の殉教者であるステパノを取り上げた いと思います。


A .ステパノの登場

1.出身

名前は、ギリシャ語で「冠」を意味するステファノスです。ギリ シャ名がずっと使われていたことから、パレスチナ以外の所で生まれ育ち、ギリシャ語 を語り、ヘブライ語も充分こなせるユダヤ人であったと考えられます。自由な雰囲気の 中で教育された知識人でありつつも、ユダヤ教の教えをしっかりと守っていた敬虔な人 でした。

2.福音に触れる

そのステパノがペンテコステのためにエルサレムに詣で、そこで 福音に触れ た、と考えられます(ある学者は主イエスの70人の弟子の一人と考えますが、その雰 囲気から見てぴったり来ない推測です。)いずれにせよ、そのままエルサレムに残り、 エルサレム教会の設立と成長に貢献しました。忠実なクリスチャンとして良い評判が立 っていました。

3.エルサレム教会の執事に

エルサレム教会においては、給食の分配を巡って、ギリシャ的ユ ダヤ人とヘブル的ユダヤ人の対立が起きました。その解決のために選ばれた7人の執事 の筆頭がステパノでした(使徒の働き 6:3−5)。この執事に選ばれた基準は、

使徒6:3 御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち

でした。しかも、7人の名前から、少数派で冷遇されていると思 われるギリシャ的ユダヤ人ばかりが選ばれたようです。ここにも初代教会の知恵を見る 思いです。さて、その7人の中でも傑出していたのがステパノで、「御霊と知恵に満ち た、良い評判」という7人共通の表現に加えて、「信仰と聖霊に満ちた人」であったと 特別にステパノを名指しで形容されています。

B.ステパノの活躍

1.大きな奇跡としるし

ステパノが執事として選ばれたのは、教会給食の経営のためでし たが、段々その枠からはみ出して、伝道を始めました。力強い説教も勿論、大きな奇跡 、特に病人を癒す働きを行ったようです。

さきほど彼の信仰が傑出していたと言いましたが、その信仰とは 、神の約束に対する無条件的な信頼のことです。ステパノはその全面的な信仰を行使し て、多くの奇跡を行いました。聖霊の賜物の一つに奇跡を行う力が含まれています。病 を治す力、弱いものを強める力、自然界に働きかける力、それらに満たされていました 。ステパノはそれを信仰をもって行使したのです。

2.力強い説教と論証

ステパノは、聖霊に満たされた説教者、論客となり、反対者の存在 を恐れな い大胆な証人となりました。

ここで「リベルテンの会堂」の人々が立って、ステパノと論争した 、と記されています。この会堂は、外国出身のユダヤ人と改宗者が出入りする特殊な会 堂であったと考えられます。特に祝祭の時期には巡礼の人々で賑わっていました。リベ ルテンとは、ユダヤ人奴隷が釈放された感謝で建てられた所から付けられた名前という 説もありますが、確かではありません。

いずれにせよ、ステパノは、新しく生まれたキリスト教を大胆に述 べ伝え、反対者を恐れず説教、論争を試みました。彼の議論には誰も真っ正面から立ち 向かえなかった、と記されています。

使徒6:10 しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、 それに対抗することができなかった。

のです。御霊の知恵と、力が背後にある議論は、人間の知恵によ る議論にはない大きな力を与えるものです。

C.ステパノの説教

1.議会の証言台へ

1)リベルテン会堂で論争に負けてしまった人々は、

使徒6:11 そこで、彼らはある人々をそそのかし、 「私たちは 彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせた。

使徒6:12  また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼 を襲って捕え、議会にひっぱって行った。

のであります。議会というのはユダヤの内政と宗教的事項に自治権 を委ねられていたサンヒドリンというユダヤ人評議会のことです。

議長は大祭司、議員は70名で、宗教的にはサドカイ派と呼ばれる パリサイよりは進歩派、対外的にはローマと融和的で、ローマ政府と事を起こすことは 嫌いでした。

2)そこで、彼らは、

使徒6:13 偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人 は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。

使徒6:14 『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モ ーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』

と彼が言うのを、私た ちは聞きました。

のであります。

彼らの論点は二つ、ステパノはモーセの律法を蔑ろにしている、そ れから、神殿を壊すというイエスの主張を繰り返している、というものでした。まさに これはステパノの主張の歪曲でしかなかったのですが、ともかく、ステパノは人々の視 線に耐え、じっと証言台に立ち続けました。

2.御使いの輝き

1)特に、自分が神を冒涜したという全く根も葉もない偽りの非難 ・中傷を受けるとき、普通の人間は平静を失って怒りで顔が真っ赤になるか、声が震え るか、そう言うたぐいの反応をするものです。

しかしながら、ステパノは至って平静にその非難に対面しました。 恐らく怒りとか、復讐心とか、自分の面子が傷つけられたとか、そう言った自己中心的 な感覚はなかったのでしょう。もっと言えば、そんなことは十字架につけていたのでは ないでしょうか。

2)神の神殿を壊すと言った破壊的な言葉をステパノが言ったはず はありませんが、ものすごい曲解を加えて、それを彼の発言だと非難されたのです。

皆さんがステパノの立場にあったらどんな気持ちがするでしょうか 。どんな態度を取るでしょうか。ステパノのその時の表情は、透き通っていました。正 に御使いの顔のようであったのです。

誰がこの観察をしたのでしょうか。サウロ(後のパウロ)だったの でしょうか。 それとも使徒の一人だったのかは分かりません。

しかし、この御使いのように透き通った、輝いた顔は、荒れ狂う聴 衆を一瞬でも静まらせる効果を持つ素晴らしい光景であったことは確かです。これこそ 主イエス様の持っておられた品性の輝き、モーセが持っていた栄光の顔と共通するもの でした。

モーセとアロンがパロの前から出てきたとき、神の御顔の前で 使える天使のようであった。彼らの姿は大きく見え、彼らの顔は日のように輝いていた 。その目は太陽の輪のようであった。彼らの声は雷のようであり、人々は地に平伏した 。

内なる物が外に輝き出たものと考えられます。

3.洞察に満ちた説教

1)ステパノがもたらした一瞬の静寂は、大祭司の質問によって破 られました。これ は本当でしょうか?

2)そこでステパノは、最初からユダヤ教への攻撃をするという手 法を取らず、イス ラエルの歴史を静かに振り返り、その出来事の中に神の摂理の御手をともに見ていくと いう穏やかな手法を取りました。

3)モーセの律法や神殿制度は、神の永遠のご計画から見れば過ぎ ゆくもので、キリ ストによって始められた新しい宗教運動はユダヤ教を乗り越えるものだ、という洞察が ステパノの特徴です。

十二弟子をはじめエルサレム教会の指導者やメンバーのほとんどは 、キリストの救いを捉えてはいましたが、それをまだユダヤ教の枠の中での出来事と捉 えていて、キリスト教の革命的な正確を充分には呑み込めていなかったようです。そこ にステパノの先見性があり、また、ユダヤ教徒によって迫害されてしまうような、危険 性があったのです。ステパノの神学は、ある意味で、パウロ神学の萌芽とも言うべきも のでありました。

4.鋭い切り込み

たぶん途中から、聴衆のざわめきを感じてのことでしょうが、論調 を急に変え、矛先を聴衆に向けた攻撃を始めました。

使徒7:51 かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち 。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

使徒7:52 あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれか あったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺した が、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

使徒7:53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法 を受けたが、それを守ったことはありません。

誠に手厳しい攻撃です。これが引き金になって石打ちという結果に なるのですが、ステパノはある意味でこの結果を覚悟していたのではないかと思われま す。

D.ステパノの殉教

1.人々の激高

使徒7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、 ステパノに向かっ て歯ぎしりした。

使徒7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見 つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

使徒7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神 の右に立っておられるのが見えます。」

使徒7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいに ステパノに殺到した。

人々は自分達の不服従の罪を指摘されて激高しただけではなく、イ エスをキリストとして神の座に見ているステパノの言葉を冒涜とみて、石打の挙に出ま す。ローマ帝国支配下のユダヤでは当局での死刑は禁じられていたのですが、彼らはリ ンチならば良かろうという正当化で、ステパノに向かいます。

使徒7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。

のです。36,37年の頃と考えられています。 2.キリストの持っておられた愛

使徒7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。 証人たちは、自分 たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。

使徒7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、 ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」

使徒7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ 。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。

石が雨霰と降ってくる中で、彼は活ける主イエスを見つめ続けてい ました。そして主イエスの心を持って祈りました。「父よ彼らを許し給え」と祈った同 じスピリットをもって「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と祈ったので す。その石打の最中にも、ステパノの顔にあった御使いの輝きは消えなかったことでし ょう。

3.感動的な死

ステパノの高潔な勇気、清い生涯、キリスト的な祈りは人々に強い 印象を与えました。特にパウロ(その時のサウロ)に拭いがたい印象を与え、後になっ ての回心に結びついたと考えられます。

彼は「証人達の着物の番をしていた」ということは、当局からお咎 めがあった場合にはこの事件について全責任を取るという象徴的な行為だったのです。 そのサウロは、このステパノの姿を見て、気違いじみた迫害にと驀進するのですが、そ の心の奥底に、「あのステパノの輝きは何だったのだろうか、あのステパノの見たイエ スとは実存のお方ではなかったのか」という微かな、疑問が消えませんでした。それが サウロの回心に繋がったのです。その意味では、ステパノは偉大な宣教師であり神学者 であるパウロを生み出した霊の親となりました(使徒の働き22:20)。

結論

1.「平信徒」ステパノの挑戦

ステパノは平信徒であったことを覚えたいと思います。私達もその 置かれた場所でキリストの証人になることが期待されているのです。聖霊の満たしこそ がその鍵なのです。

2.御霊の満たしの表われは多様

御霊に満たされたとしても、皆がステパノのような表れをするとは 限りません。ですから、今日のメッセージから、ああ、私はステパノからは程遠いなあ 、という失望感を持たないようにしていただきたいのです。ただ、聖霊に満たされると き、私達が本来持っているものでない力、知恵、恵がそれぞれの形で与えられ、人々の 認めるところとなるのです。

3.御霊の主導権を!

ステパノはどこかで、自分の主導権ではなく、聖霊に明け渡す時を 持ちました。それを継続しました。そこに見習いたいと思います。お祈りいたします。

Massege by Rev.Isaac T.Saoshiro,senior pastor o f IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/May 23,2004