プレイズ・ワーシップ メッセ ージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第三版 =著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年7月25日

山上の説教シリーズ−「結実によって木 の性質が表れる 」

竿代 照夫牧師

新約聖書 マタイの福音書 7章15-20節

該当聖句

Mt 7:15-20 

15 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のな りをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることが できます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけが ないでしょう。

17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は 悪い実を結びます。

18 良い木が悪い実をならせることはできないし、ま た、悪い木が良い実をならせることもできません。

19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に 投げ込まれます。

20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼ら を見分けることがで きるのです。

(マタイの福音書 7章15-20節)


1.主イエス様の山上の教えも最後のほうに来ました。沢山の良い 教えを残した主の最後の関心事は、私達がそれをどう行うかという一点でした。

2.格好だけ敬虔な信者で、信者らしい言葉遣い、態度、振る舞い 、行動、活動をする人は多くいるかも知れないが、それが心からのものでなければ偽預 言者だと主は言われます。誠に厳しい言葉です。

彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

ここでの「うちは」とは心、内面、品性を示します。外側は信者( つまり羊)のなりをしているが、内側は偽りと貪欲に満ちていて、羊を食い物にする狼 なのだ、というのです。

3.これは当時の宗教指導者、特にパリサイ人達を指しているもの と思われます。彼 らは、神の名前によって語るのですが、心から神を畏れているのではなく、それによっ て人々から尊敬を得たり、最終的には利得を得たりすることが目的だったのです。

彼らは清く正しく、謙遜で、礼儀正しく、しかも自己否定の精神に 富んでいるように考えられた人々でした。しかし実際は、偽善と悪と圧迫と貪欲に満ち ており、宗教の衣を着ていて貧しい人々から金を巻き上げるような人々でした。

今の日本でも、宗教というとこういう類の偽預言者が多く満ちてい ます。ですから、少し頭の醒めた人々は、「宗教には凝るなよ、ほどほどにしておけ」 といった態度を取ります。残念です。

4.さて、主イエス様は、ある人が本当に神に喜ばれる人物である かどうかを知るのは、その格好ではなく、その人生の結実だ、と言われます。

実によって知られる木の性質、という譬えは大変分かりやすいもの です。葡萄の木は葡萄を、アザミはアザミを生じる。無花果(いちじく)はアザミから は取れません。この一見当たり前と見える譬えで、何が強調されているのでしょうか。

5.「木」という譬えで指さしているのは、その人の本質、性質、 あり方です。これはほとんど異論のないところでしょう。それが「実」に表れる、と言 われていますが、実とは何を指すのでしょう。

6.これには解釈が二つに分かれます。

ある聖書学者は、行い、言葉、態度のことと考えます。つまり、よ い人間の心にあるものは、よい行い、よい言葉、よい態度に表れる、悪い人間の心にあ るものは、悪い行い、悪い言葉、悪い態度に表れる、というものです。

でも、これはちょっと当たり前すぎて、何でここで繰り返し語られ なかったのか説明が付きません。また、悪い人間でも、良い人間の振りをする人は大勢 いますから、行動や言葉だけで人間を判断することも難しいのです。偽善者というのは 、誠に人前を繕うことが上手なのです。なめらかな言葉、上品な振る舞い、愛情に満ち たような仕草、でも、心は全然違うことがあります。

もう一つの解釈は、「木と実」の譬えが15節の偽預言者への警告 の続きであるという角度から、預言者の心にあるもの(木)がその教え(実)に表れる というものです。ある宗教指導者が何かを語るとき、その言葉によって、その人の本質 を見分けられるという訳なのです。

7.私は、その双方が含まれていると考えます。

つまり、「ある指導者が、真実な指導者かどうかは、彼が語る言葉 が本当に実現するかどうか、つまり、人を悪の道から正しい道へ、希望の無い人生から 希望の人生へ、変える力があるかどうか、それによって見分けられるのだ。同時に、そ の語る人自身が、自分の語った通りに生きているかどうか、それによって彼の真実さが 見分けられるのだ。」という二重の実を表していると考えます。言葉が生み出す実、そ の人自身の清いそして愛に満ちた生活態度に表れる実、その二つの実のことです。私達 は指導者を見るときに、この二つの物差しで正しく判断し、偽物に騙されないように注 意が必要です。

二週間前に参議院議員選挙が行われました。候補者は、いろいろな マニフェストを掲げて戦いました。でも選挙が終わるとマニフェストはどこへやら、全 く違ったことを永田町で行っていて平気な顔をしているという政治家も大勢います。も っと悪いのは、「年金は大事だよ」と言いながら、自分は一向に納めないで平気でいる 人々です。

8.指導者の事はさておいて、私達はどんな実を結んでいるでしょ うか。これについて、私が以前教えられた「4つのテスト」というものを紹介します。

1)それ(あなたの語る言葉)は真実ですか?(噂話や憶測でもの を言うことはありませんか)

2)それは公平ですか?(一方に偏った意見ではありませんか)

3)それは行為と友情に基づいていますか?(あなたの語る言葉に よって誰かが傷つくことはありませんか)

4)それはみんなの役に立ちますか?(その言葉によって、なにか 有益な結果を期待できますか、それとも単なる気分の発散ですか?)

5)それは実現していく言葉ですか?(つまり、単なる希望とが願 いではなく、自分自身が実行するという意味で実行の伴うもの、他の人々を励まして実 行させるという意味で力あるものでしょうか。)

6)それは神の恵によって潤された言葉でしょうか?(私には実行 する力もないが、 神の恵みと力が加わることによってそれは実現可能となる、という神の恵みへの信仰に 基づいた発言でしょうか。)

私達は口を開くとき、このような自己反省をもって有益な言葉を語 る者でありたいと思います。

9.主イエス様は、「善行が人を良くするのではない、神の恵みに よって心が作り替えられて、その良き性質の表れが良い行動なのだ」と語られました。 また、「杯の外ではなく、内を浄めなさい、そうすれば外もきよくなります」とも言わ れました。私達の心を点検し、神の力と愛とが私の自己中心的な心を砕いて、真に神を 愛し、人を愛する人間に作り替えて下さるよう祈りましょう。

10.ここで終えてもいいのですが、主イエス様の教えは警告をも って終わっています。

19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれ ます。

私達が自己反省をし、神の力に縋って自己改革をするチャンスを与えら れていながら、それを敢えて無視するならば、神は私達の責任を問い、処罰を与えなさ るという厳粛な事実を覚えつつお祈りしましょう。

Message by Rev.Isaac T.Saoshiro,senior pastor o f IGM Nakameguro Church ; Compiled by K.Otsuka/July 25,2004