プレイズ・ワーシップ メッセ ージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年9月26日

出エジプト記・十戒から−−−「聖書が言う『敬親』とは」

竿代 照夫牧師

旧約聖書 出エジプト記 20章12節

該当聖句

Exodus 20:12 

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしてお られる地で、あなたの齢が長くなるためである。

(出エジプト記 20章12節)


1.はじめに

今日は十戒のうちの第五戒、両親を敬うというテーマでお話ししま す。「そんなこと は言われなくたってわかっているし、実行している」という人もおりましょう。中高年 以上の方はそうかもしれません。反対に、「そんな古くさいことを教会でまで言われる のはまっぴらだ」という若い人もいるかもしれません。どっちにしても、あまり魅力の あるテーマではないようです。 そこで、私は料理の方法を少し変えて、今日は聖書全体からこの問題を扱ってみたいと 思います。あちこち聖書を開くのは面倒だという人々のために、該当聖句をご紹介しま す。

2.なぜ父と母を敬うのか?

まず、何故父と母を敬うのでしょうか。これも当たり前と言えばそ うですが、聖 書が示している限りの理由を挙げましょう。

1)それは神の喜びなさることだからです。

コロサイ人への手紙3:20 子どもたちよ。すべてのことについて 、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。

と記されています。父も母も喜ぶでしょうが、それにまさって、神 はその敬親の心と行為を喜ばれます。

2)それは私達に幸福をもたらします。

エペソ人への手紙6:3 そうしたら、あなたはしあわせになり、 地上で長生きする。

という約束です。地上的な祝福、長寿、そして永遠の命が約束され ています。もちろん、親孝行の息子でも、花時にするというケースもありましょうから 、100%とは言えないまでも、その生涯のすべてに神の祝福が注がれることは間違い ありません。

3)主イエスが模範を示されたからです。

少年イエスが初めてエルサレム詣でをなさった時、両親との行き違 いがあったのですが、その後故郷の

ルカの福音書2:51 ナザレに帰って、両親に仕えられた。

のです。さらに十字架上でイエスは、母を弟子ヨハネに向かって

ヨハネの福音書19:27 そこに、あなたの母がいます。

と老後の世話を託されました。両親が私を愛して下さったからとか 、他にも理由はありましょうが、上の三つで十分納得できましょう。

3.敬うとは何をすることなのか?

1)従うことです。

敬うけれど従わないということはあり得ないと思います。新約聖書 では、従うということについて、

エペソ人への手紙6:1 主にあって両親に従いなさい。

と、「主にあって」を付け加えています。主イエス様に従うように 、そのスピリットをもってと言っているのです。こうなると単なる道徳訓ではなく、私 達の心や信仰のあり方を問う基本的な問題となってきます。しかも同じ著者が、

コロサイ人への手紙3:20すべてのことについて、両親に従いなさ い。

と言っているのです。これは尋常なことではありません。両親の命 令はどう見ても間違っていることはあるし、適切でないこともあるでしょう。腹立ち紛 れの命令だってあるでしょう。でも、キリスト者は、主にあって、すべてのことにおい て従うことが出来るのです。このことは後に触れます。

2)尊敬することです。

箴言23:22 あなたの年老いた母をさげすんではならない。

3)喜ばせることです。

箴言23:25 あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽し ませよ。

肩をたたくことでも、足を揉むことでも、温泉に連れていくことで も、花見に連れていくことでも、どんな小さな事でも、親は喜ぶものです。

4.両親を敬わないとどうなる?

1)恥を見る

箴言 19:26 父に乱暴し、母を追い出す者は、恥を見、はずかし めを受ける子である。

親にも恥をかかせ、自分も恥を見ます。

2)命が消える

箴言 20:20 自分の父や母をのろう者、そのともしびは、やみが 近づくと消える。

自分の命の灯が消える、つまり、暗闇の中を歩むものとなるのです 。

3)刑罰を受ける

箴言 30:17 自分の父をあざけり、母への従順をさげすむ目は、 谷の烏にえぐりとられ、わしの子に食われる。

と、目が抉られる位ならよいのですが、永遠の死罪に当たるとも聖 書は記しています。

ローマ人への手紙 1:30-32 そしる者、神を憎む者、…親に逆 らう者。…そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定め

レビ記20:9 だれでも自分の父あるいは母をのろう者は、必ず殺 されなければならない。彼は自分の父あるいは母をのろった。その血の責任は彼にある 。

とも記されています。その刑罰の実践の方法は、

申命記21:18 かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、 母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは、

21:19 その父と母は、彼を捕え、町の門にいる町の長老たちの ところへその子を連れて行き、

21:20 町の長老たちに、『私たちのこの息子は、かたくなで、 逆らいます。私たちの言うことを聞きません。放蕩して、大酒飲みです。』と言いなさ い。

21:21 町の人はみな、彼を石で打ちなさい。彼は死ななければ ならない。

と記されています。厳しいようですが、大切な戒めです。

5.ここから二つ、実際的な問題をお話しします。

第一は、尊敬に値しないと思われる親の存在です。すべての親が、 子供を愛し、献身的な愛を注ぎ、適切な助言や命令を与えるとは限りません。親という 言葉を聞いただけで、身の毛がよだつというようなトラウマを持っておられる方もある でしょう。どうすればよいのでしょうか?

1)そのようなトラウマに真正面か ら対面し、その一つ一つの悲しい思い出に対して、主イエス様の赦しを宣言し、乗り越 えることは可能であり、必要です。易しいことではありませんが、適切な カウンセリングを受けつつ、これを行うことをおすすめします。

と記されています。厳しいようですが、大切な戒めです。

2)そのような尊敬に値しないような親であったとしても、何か感 謝することが一つもないということはないでしょう。

そのポイントについて感謝し、神の恵みを数えましょう。

3)悪しき模範については、

自 分が親となった場合に、それを繰り返さないように神の助けを求めましょう。

それは可能です。

6.親を尊敬できない自分に対決しましょう。どんなによい親であ っても、それに反 発したり、逆らったりする自分を発見します。その時こそ主イエス様の福音が必要にな ります。

親を素直に尊敬できない最大の原因は自己中心、我 が儘です。それを真実に悔い改め、神の赦しを求めましょう。

ある牧師先生は、死の床にあったお母さんが「水をくれないか」と 願ったときに「後で」と答えて将棋に夢中になっていたその自己中心を罪として示され て、クリスチャンとなったそうです。真実な悔い改めは、赦しと釈放をもたらします。 お祈りしましょう。


Message by Hiroshi Watanabe,preacher of IGM Nak ameguro Church ; Compiled by K.Otsuka,September 26,2004