礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年10月17日

教団創立記念礼拝

「兄弟のひとりを残せ」

井川 正一郎 牧師

創世記42章24-38節

中心聖句

33 こうすれば、あなたがたが正直者かどうか、わかる。あなたがたの兄弟のひとりを私のところに残し、飢えているあなたがたの家族に穀物を持って行け。

(創世記42章33節)


はじめに(ヨセフの物語)

 33節をもう1度お読み致します。

33 すると、その国の支配者である人が、私たちに言いました。「こうすれば、あなたがたが正直者かどうか、わかる。あなたがたの兄弟のひとりを私のところに残し、飢えているあなたがたの家族に穀物を持って行け。」

 ヨセフの物語です。創世記37章から始まります。はじめに物語のあらすじを見てみましょう。

 ヤコブはヨセフを偏愛していました。そしてヨセフは、自分の見た夢を兄たちに話したことにより、兄たちはヨセフを憎み、穴の中に入れ、商人に売ってしまいました。ヨセフはエジプトへ連れて行かれました。

 ヨセフはエジプトで、パロの家来であるポティファルのところに奴隷となりました。しかし、神がヨセフと共におられた故に、主人の厚意を受けてその家の管理人、家司として奉仕するようになりました。そしてすべての財産を管理するだけの信用を受けて、責任をになうようになりました。しかし、ポティファルの妻の誘惑に合い、それを退けたことによって、主人の誤解を受けて投獄されてしまいました。

 その獄中にも、神はヨセフと共にいて下さいました。その獄中に二人のパロの家来がいたのです。調理官長と献酌官長です。その二人が夢を見たのです。その夢を解き明かしたのがヨセフでした。調理官長はパロによって殺されてしまうのですが、献酌官長はパロに再び仕えるようになったのです。

 しばらくの期間(二年)、ヨセフは忘れられてしまいます。そうした時、パロが夢を見たのです。まず肉付きの良い七頭の雌牛が出て来ました。その後に醜くやせた七頭の雌牛が出て来て、前の肉付きの良い牛をみな食い付くしたとの夢です。もう一つ同じ趣旨の夢を見ましたが、その意味が分からないのでした。

 「誰かその夢を解きあかす者はいないか。」「あ、そうだ、知っている」と先にヨセフによって助けられた、あの家来が申し出ました。「ヨセフを召し出して下さい。そうすれば・・」。

 ヨセフは王の前に召し出されました。そして、王の夢を解き明かしたのです。七年の豊作、その後七年のききんがやってきます。だから、豊作の期間に十分に食糧をためておくように。そして備えるように、と。王は大いに気に入り、ヨセフをエジプトの総理大臣としました。その政策を採用したのです。

 果たして、夢の通りになったのでした。七年の豊作、そして世界は大飢饉になりました。イスラエルの国も例外ではありません。

 ヤコブとその子供達家族も飢饉にあったのです。食糧を求めねばならない。エジプトに食糧があると聞いて、兄弟たちはエジプトに下ることになりました。ヤコブは、実はここでもあの昔と同じ問題となるようなことをしたのです。彼はヨセフなきあと、最も愛している末の息子ベニヤミンをエジプトには行かせなかったのです。旅の途中で危険な目にあってはいけないと片寄ったところの愛でした。

 他の兄たち10人でエジプトに行って食糧を求めてきて来ることになりました。兄たちは総理大臣ヨセフのもとに召し出され、食糧をわけてくださいとお願いしたのです。兄弟たちは目の前にいる人がまさか弟で、自分達が売り飛ばしてしまったヨセフだとは分かるはずもありません。でも、ヨセフはすぐに自分の兄たちと気付いたのですが、知らないふりをするのでした。

 懸命にお願いする兄弟たち。ヨセフは意地悪をしているわけではありませんが、荒々しい態度をもって接します。今の兄たちの心がどうなっているかを知りたい。どういう人間になっているのか。

「おまえたちは間者だ、スパイだ。」「いいえ、違います。私たちは間者ではありません。ただ食糧を恵んで欲しいがためにやって来ただけです。」疑いをかけられた兄弟たち、必死に身の証詞をたてようとする。身元も話しました。そして過去のあの秘密に触れざるを得なくなったのです。末の弟は今、父のもとにいるが、もうひとりは失いました(13節)。

「ひとりを残せ。そして末の弟ひとりを連れて来い。そうしないと罰する。」兄たちは迫られました。

 今日のメッセージは「兄弟のひとりを残せ」です。ここから、3つのことを学びたいと思っております。


1.人は自分で生きているのではなく、生かされている

 人が生きていくことができるのは、自分一人の力ではないのです。自分の力で食べていける、生きていけると考えることは大きな間違いなのです。七年の豊作の時代、エジプトはもとより、この時代の世界は大いに豊かであったのでしょう。食糧も余る程、毎日の食事には殆ど困らない。いくら食べても大丈夫。食べて食べての飽食の時代。肥満の人が沢山いたかは歴史は語らっていませんが、好きなだけ食べることができる時代でした。豊作の七年であります。

 この七年はまた、食べ残すのも自由でした。好き嫌いをして食べたいものはいっぱい食べる。食べたくない嫌いなものは、何でこんなものつくったのだ、何でテーブルに出すのだと言って、みんな捨ててしまう。十分に食べることのできる状態にもかかわらず、嫌いだ、食べたくないといった理由でどんどんと捨てられて行く。食べ物のごみがいっぱいとなる時代でした。からすのえさになったかどうか知りませんが、豊作の七年はこうであったのです。

 食べ物に限らず、この豊作の七年は物質的にも経済的にも繁栄した時代でもあったことでしょう。バブルの時代であったかもしれません。豊作は永遠に続くかと思われたのです。しかし・・である。そのあと飢饉がやって来たのです。きちんと節制し、備えてきたエジプト以外は、すべてといってよい国々、人々は困ったのです。食糧がない、みんな食べてしまった。あるいは備蓄しようなどとは考えずに、何とかなるさと思ったか、みんな余った食糧を捨ててきてしまった。大飢饉となった。どうしよう、どうしよう!!

「あ、エジプトに食糧がある」。みんな、エジプト詣でとなりました。人は生きて行くために食糧を必要とするのです。その食糧は天候気候という自然状況に左右されます。自分の力ではどうしようもないところで食糧の生産は左右されるのです。この食糧という一つだけをとっても、改めて人は自分の力では生きていけないことを知るのです。人はこの地上に生まれてきたとき、親の愛といつくしみをもって育てられ、生きて行くのです。自分の力ではないのです。


.人は誰かの犠牲によって生かされている

 兄たちは、自分達の家族が生き延びるには兄弟のひとりを残さねばならないあるいは末の弟を連れてこなければならない。シメオンを犠牲とせねばならない。またひょっとすると末の弟も犠牲にせねばならない。そうしないと生き延びることができないのでは・・。エジプトの総理大臣は脅迫してくる、迫ってくる。兄弟のひとりを残せ!

 兄たちは飢饉からその飢えの問題で食糧を求めてきたのでした。深刻な問題です。それがその問題と関連しておまえたちは何ものかとの問題がでてきたのです。身の証詞をせよ。おまえの真実はあるのか、正直者かどうか。おまえたちの真実をためす、と迫られているのです。そのテストにはひとりの犠牲をもって試すというのです。兄たちがどんな人間なのか、その本当の心をためされるためにひとりの人が残される。

 兄たちは否応なく、あの昔の出来事を思い起こさざるを得なくなったのです。あの時もひとりを置き去りにした、残して来た。それによって、自分達はのうのうと、今まで生きて来た。あの時、兄たちはヨセフというひとりを残し、売り飛ばした。21節のことばが兄たちから出るのです。罪の告白です。それをヨセフが聞いています。


.本当の悔改めに導かれて、人は生かされる

 18、28節のヨセフの提案の背後に神が働いておられるのです。ヨセフの態度は厳しいように思えます。しかし、その厳しさの背後に悔改めを待つ神がおられるのです。神は二十数年、悔改めを待ち続けたのです。涙し、忍耐して。兄弟のひとりを残せ。これが兄たちの罪の深刻さを示したのです。

 ひとりの人を苦しめた。それは死に追いやったといってよいでしょう。そのひとりの人の苦しみが本当にわかる時、人は悔改めに導かれるのです(21節)。

 ヨセフの心の苦しみ。それは死ぬと同じ苦しみ。また今残されるシメオンの心はいかに。もし、兄弟たちが昔のように見捨てたとしたならば、首をはねられるかもしれない。死の恐怖です。ひとり残される悲しみ、辛さ。残された者だけが味わう苦しみ。その苦しみを与えているのは、我らだ。兄たちは思うのでした。


しめくくり

1.生かされている者との思いを持とう!

2.主の十字架の意味を悟る者となろう!

 申し上げたいことは、私たちは生かされている者であるとの思いを持ち、主イエスさまの十字架の意味を悟る者、すなわち、主の苦しみ、また人々の苦しみをわかる者となろう、ということです。

 「こうすれば、あなたがたが正直者かどうか、わかる。あなたがたの兄弟のひとりを私のところに残し、飢えているあなたがたの家族に穀物を持って行け。」

 お祈り致します。


Written by S. Ikawa and Edited by N. Sakakibara on 2004.10.17