礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年12月19日

聖誕節礼拝

「最高の捧げものを!」

竿代 照夫 牧師

マタイ2章1-12節

中心聖句

11 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

(マタイ2章11節)


はじめに

 クリスマス聖日を迎えました。先週はマタイ1章からインマヌエル予言を学びましたが、今日は、その幼子イエスを礼拝した博士達から、礼拝者の捧げた捧げものについて学びます。


A 物語の背景

11 そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

1.いつ頃?:クリスマスの1年後(?)

 1節に「ヘロデ王の時代に」と記されています。ヘロデの在位期間は、37−4BCでしたから、主イエスの誕生は、彼の死の前、つまり5BC位ではなかったかと考えられます。というのは、このマタイ2章の記事はクリスマスの夜ではなくて、誕生から1年くらい経過していたことが幼子の表現から伺えるからです。

2.どこで?:ベツレヘムの一軒家

 11節に「その家に入って・・・」と記されています。この「家」というギリシャ語(オイコス)は動物小屋とは違います。つまり、ヨセフとマリヤは、イエスをお生みした馬小屋にずっと留まっていたのではなく、ベツレヘムの町の一軒家を借りて、暫く滞在したものと思われます。エルサレムでの神殿行事を含む何かの必要からだったのでしょう。どうやって生計を立てていたのかは分かりませんが、手に職のある大工さんですから、ものすごく大変だったとは考えられません。

3.誰が?:東方の博士(マゴイ)達

1)マゴイとは

 「博士」とは言っても、今日のような大学の博士課程を修了した博士とは違います。ギリシャ語のマゴイとはペルシャ地方の祭司階級で、自然の秘密、天文学、医学などを学んだ人々を指していました。その中にはいわゆる魔術的な業に携わる者もおり、そこからマジシャンとヨーロッパでは言われるようになりました。この人々は、火を拝むペルシャの宗教を持っていたと思われますが、同時にユダヤ教の影響も受けていました。ですから、メシヤ待望もユダヤ人と同じように強かったと推測されます。

2)東で見た星

 東とは、星を見た博士達がエルサレムから見て東の方面であった、と思われます。この星が、全く超自然的な主の栄光であるのか、彗星であるのか、新星のことを指すのか諸説ありますが、ともかく、明るい不思議な星であったというだけで充分です。

3)ユダヤの王

 これはメシヤの称号ですが、その元は民数記のバラムの預言と考えられます。「私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。」(24:17)ユダヤ人はこの預言をメシヤ出現と結びつけていました。ヤコブ(即ちイスラエル)から星が出現するときに、杓を持つ者(王様)がイスラエルから起きる、と言う内容でした。バラムはイスラエルの東に住んでいましたが、この預言は東方に広く行き渡っていたようです。

 そこから生まれた伝説があります。「天に起源をもつ一人の子がパレスチナ地方に生まれる。その子に世界の多くの人々が従う。その現れの印はこうである。あなたは不思議な星を見る。その星はあなたを彼のいる場所へと導く。その星を見たら、黄金、乳香、没薬を携えて彼の所に行き、彼を礼拝し、そして帰って来なさい。そうしなければ大きな災いがあなたに臨む。」もしこの様な伝説が広まっていたとしたら、博士達がやってきたことに大きな不思議はありません。

4.誰を?:母マリヤに抱かれた幼児イエス

 11節に「母マリヤとともにおられる幼子」と記されています。この幼子は、ルカの物語に記されている「嬰児(ブレフォス)」とは異なって、「子」というギリシャ語(テクノン)が使われていることも、イエス誕生から少し時間が経っていたことを例証いたします。

5.何を?:礼拝をした

 子供をなれなれしくあやしたのではありません。「ひれ伏して拝んだ」のです。この礼拝する(プロスキュネオー)という言葉はプロス(前に)キュオーン(犬)と言う言葉の合成語です。犬が主人の前にふせをするように彼らの顔を地に付けてひれ伏したのです。彼らは、理屈抜きで靴を脱ぎ、帽子を取り、額も、手も、胸も、足も、皆触れられる所は全部床に触れて礼拝しました。幼子イエスの頭の上にはリング上の輝きはなかったでしょうが、博士達は全き信仰をもって幼子を礼拝しました。

 その対象は他の子供と変わらない、ひ弱な、普通の子供でした。王宮に住む王子としての神々しさも、神秘的な雰囲気も何もありませんでした。でも博士達は信仰をもって、幼子イエスを救い主、神の子と仰ぎ、礼拝したのです。[彼らの礼拝の様式は、ペルシャの王や皇后に対するもののそれを反映していました。クセノフォンはクロス王に関してこう記しています。「人々がクロス王を見たときにその偉大さと美しさに感動して思わず彼を礼拝してしまった。それ以来王を礼拝する習慣が継続されるようになった。」]

 さて、博士達は礼拝の後で、捧げものを捧げたのですが、今日はその捧げものに焦点を絞って見たいと思います。


B.博士達の捧げもの

1.捧げものの内容

1)黄金(gold):王としてのキリストに相応しい

 黄金は今でも昔でも最も価値高い金属でした。産出量が少ないこと、錆びないこと、独特の光沢があることがその理由でした。特に王様に関する器具、装身具として用いられましたので、キリストを王として認めるのに相応しい贈り物でした。

2)乳香(frankincense):神として来られたキリスト

 乳香とは、その文字が示すように、乳頭に似た物体で、良い香りのするものです。かんらん科の植物の幹を傷つけると乳白色の半透明な樹脂が出てきますが、それを集めて固めたものです。それを焚くと非常に香ばしい香りを放つことから、エジプトでは神に捧げる薫香として使われ、王にしか使用が許されていませんでした。イスラエル民族の間でも非常に貴重なものと考えられていました。ヨセフがエジプトに売られたとき、イシュマエル人が扱っていたのは乳香でした(創37:25)。乳香の煙は、礼拝に於いて、拝する人々と神とを結ぶものと考えられていました。幼子として生まれなさった主イエスの神たる性格を顕わすものとして用いられたというのは、肯ける見方です。

3)没薬(myrrh):贖い主キリストに相応しい

 没薬も、その漢字が示しますように、人間の死後との関係が深い物体です。乳香と同じようなかんらん科の樹液から取られる液状の物体で、強い殺菌力と芳香を兼ね備えたものです。古代エジプトではミイラ作りのために欠かせない薬品で、胃薬、うがい薬、皮膚薬、麻酔薬(マルコ15:23)化粧品としても用いられていました。キリストが十字架で息を引き取られた後、人々は没薬とアロエを混ぜた香料を塗って亜麻布で巻いたと記されています(ヨハネ19:39-40)。キリストの贖いの死を予言するものという捉え方も決してこじつけではありません。

2.その意味

1)考え抜かれた捧げもの

 この三つの捧げものが、今までお話ししたような意味づけ、つまり、黄金は王としての尊敬、乳香は神に捧げる祈り、没薬は死への備えという意義を博士達が本当に理解して準備したかどうか、私には良く分かりません。少なくとも、彼らは聖書に通じていましたから、イザヤ書60章6節の言葉は知っていたのではないでしょうか。「らくだの大群、ミデヤンとエファの若いらくだが、あなたのところに押し寄せる。これらシェバから来るものはみな、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。」これは、イスラエルの隣接諸国がメシア的な王に貢ぎ物を収める光景です。メシア的な王への贈り物はこれしかない、と考えたのでしょう。

2)最高の価値のあるもの

 詳しいことは分かりませんが、これらの宝物が、彼らが手にしうる最高価値の宝であった、という点は確かです。デパートに行っておもちゃ売場を眺めながら、今年のあの子のプレゼントは何にしようかと考える親よりも遙かに深い思案の挙げ句のプレゼントでした。この三つの宝物はその目的に適って使われたでしょうか。多分そうではなくて、ヨセフ一家が急にエジプト行きを告げられたときの引越の資金、エジプトでの数年間の滞在費となったことは、多くの聖書注解者が 
指摘しているとおりです。

3)大きな犠牲を伴う捧げもの

 メシヤの来臨が確信された時、博士達は恐らく持てる物を全部売って、旅行の支度をし、贈り物を準備したのではないかと考えられます。彼等は故郷に帰った時には、殆ど無一物になっていたかも知れません。彼らはそれでも良いと考えたのです。礼拝というものをそれだけ価値或るものと考えていたのです。

 礼拝には犠牲が伴います。環境的にそれしか道がない人はともかくとして、楽をして家でテレビ礼拝をしようなどとは考えない方がよいでしょう。一家を引き連れ、遠い道を毎週旅することは、博士達にも勝って大きな犠牲でしょう。しかし、主はその犠牲を見、報いて下さる方です。

4)彼ら自身の献身を表す捧げもの

 博士達はそのもたらした最高のものを惜しげもなく保留しないで捧げました。本当の礼拝とは、ローマ書12章1節に記されているように、私達の「からだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげる」ことです。それこそが私達の「霊的な礼拝」です。博士達はこの黄金、乳香、没薬を捧げたとき、自分自身を救い主に捧げました。私達も礼拝において、王の王、主の主の前に出ています。礼拝の時には献金が捧げられますが、これは会費でも説教の聴講料でもなく、私達の神への貢ぎ物、私達の全身を捧げる象徴なのです。


終わりに(ベツレヘムの幼子イエスに対して、真実な礼拝をささげよう)

 最後にこの様な礼拝をささげた博士達は、喜びと満足をもって、この地を去りました。私達の礼拝も、その営みを終えたとき、今日も主に出会った、主に自らをおささげしたと言う喜びと満足を持って立ち上がりたいと思います。今日そのような献身を主に捧げようではありませんか。お祈り致します。


Written by I. Saoshiro and Edited by N. Sakakibara on 2004.12.19