第一礼拝メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第三版 =著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年12月26日

「主イエスよ、来てください」

井川 正一郎牧師

ヨハネの黙示録 22章1-21節

中心聖句

Revelation 22:17 

これれのことをあかしする方がこう言われる。「 しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

(ヨハネの黙示録 22章20節)


A.はじめに

今年も最後の礼拝を迎えました。この1年どのようなものでありま したでしょうか。改めて聖書の締めくくりのヨハネの黙示録、それも最後の章の最後の おことばを取り上げます。

「主イエスよ、早く来て下さい」、これは人間にとっての願い、望 みを集約したものであり、最後はこれにまとまるのではないでしょうか。詩篇も最後の 150篇の位置、意義を考えるときも同じようなことが言えます。

なぜ「早く来て下さい」というのか、このことばが聖書の最後のこ とばになるにはそれなりの理由があります。

(1)聖書の最初からのお話のすべてを受けたことば、(2)黙示 録全体を受けてのもの、(3)黙示録の最後の22章全体を受けて、であります。ただ 、きょうはこの22章あるいは前の章21章に限定した形で、このことばの出て来る理 由を考えたいと導かれています。この章から箇条書き的に3つ申し上げ、今回のメッセ ージとします。

B.早くキリストの王国を見たいから

まず一つめは、早くキリストの王国を見たい からということであります。

22章1節から5節にありますように、のろわれるものも、死もありま せん。直接に神と顔を合わせることが−しかも直接的な交わりが許されます。

もはやそこには夜もなく、暗さがありません。したがって、常に明 るく輝いています。暗さを明るくする材料はもはや必要ありません。あかり、照明、太 陽の光も必要ないのであります。これは太陽がなくなるというのでなく、主の栄光の輝 きが明るく、もはや太陽の光など役に立つ余地がない程だとの意味であります。そんな 世界が実現する、それを早く実現してほしい、見せてほしい、ということであります。

それがまもなく実現すると信じて待ち望んでいるのが、キリスト者 であります。ヨハネに向かって、御使いがつぎのように言われました。22章6節と7節、 前に戻って21章4節をご覧下さい。

黙示録22:6 御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべき ものであり、真実なのです」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御 使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。

22:7 「見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅 く守る者は、幸いである。」

21:4 彼らの目の涙をすっかりぬぐいとってくださる。もはや死 もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったか らである。

ヨハネの状況はどうでしょうか。パトモス島に流されているではないか 。ローマ帝国による激しい迫害の中にあるではないか。−−−しかし、彼はパトモスの 島にあっても、この幻の実現を疑わなかったのであります。信仰を持ち続け、彼はその ときを信じ、今眠っています。我らはいかにあるべきでしょうか?

C.早く、神の正しい審判を見たいから。

二つめは、早く、神の正しい審判を見たいか らということであります。

黙示録22:10 また、彼は私に言った。「この書の預言のことば を封じてはいけない。時が近づいているからである。

22:11 不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますま す汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるも のとされなさい。」

22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわ ざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、 最後である。初めであり、終わりである。」

22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与 えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。

22:15 犬ども、魔術を行う者、不品行な者、人殺し、偶像を拝 む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。

21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行 う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ること ができる。

お読みした10節から15節−−−とくに14節は正しい者への報い、15節は 悪者への報いであります−−−と21章27節にありますように、きよい者と汚れた者との 違いが、ますますはっきりしてまいります。正しい者はいよいよ正しく、正しくない者 はますます正しくなくなります。ハッキリとします。 そして、神はそれぞれのわざによって、報いると語られます。すなわち 、正しい者には正しくそれに応じて、また悪者にはそれに応じて罰するとの報いであり ます。主は最初で最後であり、最後の審判者−裁判官であります。善と悪を見定め、さ ばかれるのであります。そんな正しい者が正しく報いられ、悪者が悪くさばかれる時代 がやってきてほしいということであります。

D.この私をどうにかしてほしいから

三つ目は、この私をどうにかしてほしいから ということであります。

黙示録22:17 御霊も花嫁を言う。「来てください。」これを聞 く者は、「来てください。」といいなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者 は、それをただで受けなさい。

お読みした17節のように、一人一人、個人個人が受け取るものであ り、必要とするかどうかであります。

主の王国の実現、それを見たい。神の正しい審判、それが正しく公 平になされる世界が早く実現するように、素晴らしい世界が実現してほしい。それは良 いことでありますが、実は人間の心の底からの叫び、訴えは広い意味での世界がよくな るように、生きている社会に公平の考え方が行き渡るようにとか、あの人この人の課題 も大きなものではありましょうが、実は人間、他のことよりもこの私が問題ということ が一番であります。

誤解のないように付け加えますが、私の言いたいことは政治問題、 社会問題を度外視してよいと言っているのではありません。正しい意味で自分のことを 早く決着させ、目を他の人々の救いや政治社会の救いの道や、宣教に目を向けたいので す。ただ、まずは速やかに自分のことを正しく決着させたいのが 、人間の本質であるということであります。

E.おわりに−−−しめくくり

メッセージがはっきりしてまいりました。今回は2つのことを申し上 げて終わりたいと思います。まず、

主は速やかに来て下さると心から信じ、待ち望も う!ということであります。もう一つは、

信じ待ち望む者らしく、今を生きよう!

ということであります。

「しかり、わたしはすぐに来る。」−−−主イエスよ、来 てください−−−これが今回のメッセージです。ご一緒にお祈りしましょ う。


Message by Shoichiro Ikawa,pastor of IGM Nakam eguro Church

Compiled by K.Otsuka/December 26,2004