プレイズ・ワーシップ メッセ ージサマリー

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第三版 =著作権・日本聖書刊行会)によります。

2004年12月26日

「全宇宙的な賛美」

竿代 照夫牧師

詩篇 150編1-6節

該当聖句

Psalm 150:1-6  

ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力 の大空で、神をほめたたえよ。

その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。 そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。

角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の 琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。

タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。 緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。

音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響 くシンバルで、神をほめたたえよ。

息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレル ヤ。

(詩篇150篇 1-6節)


A.はじめに

詩篇は旧約聖書時代の賛美歌集です。イスラエルがバビロン捕囚か ら帰還した後、学者エズラが編纂したと言い伝えられています。その賛美歌集に収めら れている150の歌の最後がこの歌です。

賛美歌集のしめくくりとして、頌栄(しょうえい)が収められてい るのは相応しいことです。「神をほめたたえよ」が僅か6か節の中に11回も繰り返され ています。徹頭徹尾、賛美を神に捧げている歌です。

あえてこの11回の賛美の冒頭部分を分類してみますと、 Where?(1節)・Why?(2節)・How?(3−5節)・Who?(6 節)となります。

B.Where? Why? How? Who?

(1)Where?

1)神の聖所で:今日の言葉で言えば教会堂で、となりましょうか 。教会堂は神を賛美するための場所であり建物です。賛美するに一番相応しい場所です 。

私達がこの建物を建てたときも、音響効果をよく考えました。デザ インも賛美に相応しく考えました。教会堂は、音楽を育んだ揺りかごのようなものです 。教会での賛美を大切にしたいものです。

2)大空で:神の創造になる全ての空間を指しています。

賛美するのは、教会堂だけに限られません。家庭でも、会社でも、 電車の中でも、山の上でも、海の上でも、散歩をしながらでも、運転をしながらでも、 あらゆる所で神を賛美しましょう。神はあらゆる空間をお造りになったお方だからです 。

(2)Why?

1)その大能のみわざのゆえに:神の業は素晴らしく、大きな、知 恵に満ち、愛に満 ちたものです。

この一年を振り返ってみましょう。私達の健康一つを取っても、神 はどんなに大きな業をもって私達を支えて下さったことでしょう。

経済を見ましょう。その必要を満たして下さったことでしょうか。

魂の必要を見ましょう。孤独や落胆や失望から私達を回復させて下 さったことでしょう。

私達個人から目を離して、周りを見てみましょう。回りの社会に対 して、教会に対して、国に対して、世界に対して、神は確かに働いておられます。大き な大きな御手をもって、全てを動かしておられます。賛美しましょう。

詩篇の中には「神のみわざ」という表現が沢山出てきますが、多く はその創造に関わるみわざ、出エジプトに関わる大きな奇跡に現れたみわざが歌われて います。 私達にとってのみ業とは、キリストの贖いに関するものが主だと思います。こんな私を も目を留めて下さった、救いの力をもって変えて下さった、これがみわざの中心であり ましょう。主を賛美しましょう。

2)そのすぐれた偉大さのゆえに:神が何をなさるかを考えること も素晴らしいですが、どんなお方であるかを思うことは、もっと素晴らしいのです。

神は愛に於いて偉大です。大きな包む愛をもって私達を愛して下さ います。清さにおいて偉大です。知恵において、力においても偉大なお方です。神を賛 美しましょう。

(3)How?

1)ここに出てくるのは、ありとあらゆる楽器を動員してというこ とです。

角笛とは、今日のラッパですが、当時は雄羊の角に穴を空けて吹い ていました。強 い振動音で、戦争に使われる方が多かったそうです。

十弦の琴とは文字通り10本が弦四角い箱の上に張られた楽器です 。

立て琴とは今のハープに近い琴です。

タンバリンは踊りと対になっています。踊るときに楽しい気分を盛 り上げるための楽器でした。

緒琴とは弦楽器一般を指す言葉です。

笛とは、木でできた横笛のようなものです。

シンバルにも種類があったようで、カスタネット型の小さくて音程 の高いシンバル、深い鉢の形をしていて、大きくて振動も豊かなシンバルといろいろで した。

2)こんないろいろな楽器がいわば管弦楽団のような形で神を賛美 するのです。音量も大 きく、音色もバラエティに富んでいたことでしょう。

私達の賛美も、良い声の人、私のようなしゃがれ声、大きな声の人 、小さな声の人、トーンの高いソプラノ、低いベースなどなど、色々な声が入り混じり 、ハーモニーを作って、そして神を賛美する、 それを神は喜ばれるのです。

このプレイズ・ワーシップも1年と2ヶ月の歴史を刻みました。賛 美は神の喜びのために歌います。そして、神の喜びは私達の喜びへと帰ってきます。そ こに素晴らしい喜びのエコーが生まれるのです。

(4)Who?

1)「息のあるもの」とは、生きているものはみんなということで す。人間だけではなく、鳥も、虫も、四つ足の獣も、みんなで歌うのです。アッシジの 聖フランシスは、小鳥に向かって、神をよりよくほめたたえよと説教し、それに応えて 鳥達は声を挙げて囀ったと言われています。心暖まる話です。

2)もちろん、神の像に造られた人間は、もっと意識して神を誉め 称えます。クリスチャンと言われる人だけでなく、人間だれでも神を賛美したいという 根源的な欲求を持っています。

最近流行しているゴスペルを歌っている人々のほとんどはクリスチ ャンでない人々です。その人々が涙を流しながら讃美歌やゴスペルを歌っている姿を見 ると、不思議な気が致します。

歌っている内容が本当に分かれば素晴らしいなあと思う反面、完全 にわからなくてもいいから、歌っているうちにわかってくればそれでよいのではないか とも思います。神様は大きなお方ですから、そのような賛美も受け入れなさることでし ょう。

3)でも、願わくは、私を信仰によって本当に救って下さった素晴 らしい恵みだと歌い、また、イエス様と出会って、イエス様によって罪を洗って頂いた と本当に自覚しながら歌うならばもっと幸いだと思うのです。

そんな意味で、このプレイズ・ワ−シップがますます祝福され、ど んな人々でも各々の理解の深さに応じて喜んで加わり、神を賛美する楽しさ、賛美する 喜びを知り、賛美によって人生の充実が得られるように祈ります。

C.おわりに

7.最後に、「息のあるものはみな、 主をほめたたえよ。ハレルヤ 。」という言葉 に合わせて「ハレルヤ」と歌おうではありませんか。お祈りいたします。


Message by Isaac T.Saoshiro,senior pastor of IG M Nakameguro Church

Compiled by K.Otsuka/December 26,2004