プレイズ・ワーシップ メッセ ージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2005年1月2日

「恵みの一歩」

井川 正一郎牧師

ルカの福音書 4章17-21節

該当聖句

Luke 4:17-21 

すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、そ の書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。

「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧し い人々に福音を伝えるようにと。わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わさ れた。捕らわれ人には赦免を。盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげら れている人々を自由にし、

主の恵みの年を告げ知らせるために。

イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた 。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。

イエスは人々にこう言って話し始められた。「き ょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

(ルカの福音書 4章17-21節)


A.はじめに

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致し ます。

新年を迎え、新しい気持ちをもってスタートを切りました。今年こ そ、良い年にしたいと願っている方もおられるでしょう。この年頭のプレイズ・ワーシ ップから恵まれ、励ましを受けてスタートできれば幸いであります。始めよければ終わ りよしです。

みなさん、『だるまさんころんだ』という「はじめの一歩」から始 まる遊びをご存知ですか?今回とりあげたルカの福音書四章は、主イエス様のご奉仕の 始め頃、特に生まれ故郷ナザレの町での最初のご奉仕の記事−−−「はじめの一歩」の 頃の記事であります。

いつものように安息日に会堂に入られ、まず聖書を朗読し、そして 話し始められた。人々はその口から出ることばが恵みのことばであったことに驚きまし た。ナザレの人々はイエスという男が大工の息子と知っていたから、「あれは大工の息 子ではないか」という驚きに満ちたことばが口に出ます。

主イエスのご奉仕、メッセージの特徴は、一言で言えば、恵みであります。

恵みのご奉仕。恵みのメッセージ。主イエス様は最初のご奉仕とし て、ご自分の生涯がいかなるものであるか、ご自分が伝えていくメッセージがいかなる ものか、最初からはっきりとその特徴−−−恵みを打ち出されたのであります。

このプレイズ・ワーシップの最初のメッセージ−−私たちに必要な メッセージは恵みであり、その恵みに満たされて今年も第一歩を進めたいのであります 。「恵みの第一歩」=恵みとはどういうことか、3つのことを箇条書き的に申し上げた いと思います。

B.受けるに値しない者に対する神のあわれみ、恩顧

まず一つめ−恵みは、受けるに値しない者に 対する神のあわれみ、恩顧であるということであります。

私のようなものがあわれみを受けるはずがない、このように足りな い、乏しい者が愛を受けるには全く相応しくない、そんなはずがない。いや、そのよう な者に神は哀れみを注がれる。恵みとはそういう意味であります。

18節に「貧しい人々に福音を伝えるように」とあります。イエス 様は救いのメッセージを伝える場所、それをエルサレムの都市、王様のいる宮殿、貴族 などのいるそのような場所から始めず、ガリラヤ地方から始めました。

実はガリラヤ地方は異邦人が多く住む所で、いわばそれほど社会的 地位の高くない、経済的にも貧しいと言われる人々が多くいました。主がわざわざ、王 宮、宮殿からご奉仕をスタートせず、ガリラヤからスタートされた意味が理解できるの であります。神の恵み、あわれみを本当に必要とする人々とはそのような人々であった のであります。

恵みとあわれみの違い−−ほとんど意味は同じです。 ただ、違いをはっきりすると、あわれみとは対象に対する反応であり、その人を見て、 かわいそうだな、同情するといった心の反応であります。

恵みとはその心の反応にしたがって何かをしてあげよう、あげたい 、実行にうつそうとの動機であります。つまり、あわれみ=リアクション、恵み=アク ションであるといえます。

主イエス様のもたらすものは、あわれみの福音、恵みの福音であり ます。誰彼の例外はありません。すべての人に恵みは注がれます。受けるに値しないと 自分自身が確信しているような人にも注がれるのであります。

C.変貌・変化をもたらす

二つめは、恵みは変貌・変化をもたらすということであります。

18節にありますように。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開か れることを、しいたげられている人々には自由を、というように、変貌、変化をもたら すのであり、これが恵みであります。主の恵みの年を告げ知らせるためにそのような変 貌があると、主イエス様はその奉仕の最初に伝えられたのであります。

この年、私の性格品性に、生活のあり方に、 生涯の歩み方において一つでも変化が与えられたならば、そして恵みによって溶かされ ていくことによって人は変わるのであり、無理強いや強制、人からの脅しなどでは人は 決して変わらないのであります。

主の恵みによって、心が溶かされて行くことによって変貌。恵みに よってなされる事は、神がして下さったと、神をほめたたえることにつながるのであり 、私がやったとか、人間が誇るようなことにはならないのであります。

D.自発的に、喜んで何かをしようとの実行をもたらす

三つ目は、同じようなことですが、自発的に 、喜んで何かをしようとの実行をもたらすということであります。

変化、変貌する、それだけでなく、それに基 づいて生活や態度にあらわしていく。変化したように、変貌に相応しい生活がスタート する、ということであります。

恵みは変貌とともに、これからの生涯の活力 、動力になり、実行となるのであります。四章の後半では、主の恵みにあ ずかった人々がその生涯を全く変えられ、新しい出発をする記事を見ます。

教会員の体験談からですが、ある当教会員はクリスチャンになって1 0年ぐらいしてはじめて祈祷会に出席し、以後欠かさないといいます。当初、「私のよ うな者が出席するのはいいのだろうか」と思ったそうですが、その日ふと出席しようと 思いたって出席し恵まれ、以後「生活の一部に組み込まれ」ていると証しされています 。

また地方でクリスチャンになった方は、自宅の隣が教会で「クリス チャンでない自分が教会に行っていいのか」と思っていたそうですが、思い切って教会 に行き、その後洗礼を受けました。お二人とも「はじめの一歩」を踏み出したのであり ます。

「だるまさんころんだ」−−「はじめの一歩」 であります。恵みによって、今年も一歩一歩歩みたいと思います。お祈りしま す。


Message by Shoichiro Ikawa,pastor of IGM Nakam eguro Church

Compiled by K.Otsuka/January 2,2005