第一礼拝 メッセージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日本聖書刊行会)によります。

2005年1月23日 教会総会礼拝

「志を一つにして」

竿代 照夫牧師

ピリピ人への手紙 1章27章-2章4節

該当聖句

Philippians 2:3 

私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致 を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

(ピリピ人への手紙 2章3節)


A.はじめに

1.教会として57回目の総会を迎えました。創立以来半世紀あまり を経過した訳です。これまで私達が頂いた主の恵みの大きさを改めて感謝し、群の建て られた使命と方向性を再認識して新たな進発をさせて頂きたいと思います。

ピリピ人への手紙は、紀元前60年頃ローマに囚われていたパウロ が、ピリピ(ギリシャ北方のマケドニヤの中心地)の教会にあてて書いた手紙です。

ピリピの教会が牢屋にいるパウロのことを聞き及んで慰問物資を集 め、エパフロデトを代表にローマを慰問したその愛の行為に対するお礼として書かれま した。

お礼の手紙ではありますが、その中にピリピ教会が陥っていた分派 的な対立を是正して、一致を勧めるという目的も含めて書かれたのがピリピ人への手紙 です。

B.一致の必要

1.敵に対する戦いのため(1章27-28節)

1:28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚か されることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっ ては救いのしるしです。これは神から出たことです。

ナポレオンの海軍と戦ったイギリスの海軍提督ネルソンが、甲板の 上でつかみ合いの喧嘩をしている士官を見つけました。彼は両方の肩を持って海の彼方 にいるフランスの艦隊に向けました。「敵はあっちだ。あっちと戦うんだ。」という具 合に喧嘩を諫めました。

クリスチャンは「福音の信仰のために 、ともに奮闘」しています。福音を広めるために、福音の真理を擁護する ために、反対の勢力と戦っています。エペソ人への手紙6章にあるように、人間を相手 としている訳ではなく、その背後にある悪の霊と戦っています。

戦いにおいて一番してはならないことは内部分裂です。同じ教会に いて、同じような働きをしていると、意見の衝突が起きたり、どっちが上かというつま らない競争心が働いたりするものです。でも私達は共同して悪の霊との戦いにあるとい うことを忘れてはなりません。

2.ピリピ教会の生みの親であるパウロを喜ばせるために、とパウ ロは一致の必要を語っています。親が何よりも悲しいのは、同じ腹から生まれた兄弟同 士が仇同士のように喧嘩することです。パウロも実は悲しかったのです。4章2-3節では ピリピ教会の二人の女性指導者を名指して、一致を勧めています。

4:2 ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あな たがたは、主にあって一致してください。

4:3 ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みま す。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされてい るクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力し て戦ったのです。

競争心のゆえでしょうか、この二人の対立、それに従う分派という ものがパウロの心の憂いだったのです。

私達が一致することは、教会指導者の喜びであるだけではなく、教 会の頭である主イエス様の喜びでもあります。ピリピ教会は、福音のために熱心に活動 し、乏しい人々に愛を示し、互いに祈り合う素晴らしい教会でした。

しかし、すぐれた賜物のゆえに指導者間で不一致や対立の兆しが見 え隠れしていました。こんな素晴らしい教会でも弱さに陥ったとするならば、私達も同 じ過ちに陥りやすいのは当然です。その教会に対してパウロは、徹底的にへりくだった 主イエス様の模範に倣いなさい、と勧めています。

C.一致の前提(1節)

2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって 励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、

日本語の訳では「もし」は一回しか出てきませんが、パウロはこの 「もし」を4回も使っています。新共同訳ではそれに加えて「幾らかでも」という言葉 を付け加えていますが、原文のニュアンスを良く表わしています。「もし(幾らかでも)キリストにあって励ましがあり、もし(幾らかでも)愛の慰めがあり、もし(幾らかでも)御霊の交わりがあり、もし(幾らかでも)愛情とあわれみがあるなら」とい う具合です。

幾らかでも、という言葉の背景には、「これらの特質はクリスチャ ンならば不十分だったとしてもないはずはない、でも それを再認識することから始めましょう」という意味合いがあります。

1.キリストが励ましてくださる:「キリストが苦しみを耐え抜き なさったその模範 によって、苦しみの中にあるあなた方を励ましておられるならば」ということです。

これはもしという言葉を使ってはいますが、本当は事実そうなので すが、そのことをよくわきまえて下さい、という意味です。

2.キリストの愛に基づいた励ましの言葉:「パラミュシオン」と は「傍らの言葉」という意味です。ちょうどマラソンランナーの側にコーチが併走しな がら、励ましの声をかけ続けるのと似ています。

3.御霊との交わり:御霊が私達と物語り、私達も御霊と共に歩む という、神との交 わりの生活を意味しています。

4.他人の痛みが分かる心:文字通りには「腸と憐れみの心」です 。分かりやすく言いますと、他人の痛みが分かる血の通った人間の心を持っているか、という質問です。

この四つがスタートラインです。クリスチャンとしてごく初歩的な 資質を持っていることを前提として、これから勧告をしますよ、と言っているのです。

D.一致の必要(2節b)

2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致 を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

1.キリストと同じ考え方:同じように思いなさい(フロネオ−と いう言葉ですが、5節のキリストと同じ思いを抱きなさい、といわれている言葉と同じ です)。考え方の傾向性が同じようになりなさい、はっきり言えばイエス様の考え方を自分の考え方にしなさいということです。

2.神が与える愛を共有:人間本来の愛情を越えた、神の与える愛 情を共有しなさい、ということです。

3.互いの心の調律:互いに調律しなさい。別々な音色が出ないよ うに、互いの音を 聞いてそれに合わせなさい、ということです。

4.同じ目標を共有:志を一つにする:同じように思いなさい(フ ロネオー)という言葉が繰り返されていますが、もう一つ積極的に、同じ目標、神の栄 光と人の救いのために心を合わせよう、とパウロは語っています。

心を一つにするとは、意見が同じになることではありません。個性 や趣味や物の考え方が同じになることでもありません。目的と動機が同じになることで す。協力的な精神、助け合う心、互いを尊敬する心、 自分を中心に考えない真の謙遜です。それこそが心の一致です。

ラグビーのスピリットは「ワン・フ ォー・オール、オール・フォー・ワン」というモットーで表わされます。 皆で球を運び皆でトライする。トライをした選手が、サッカーでゴールしたフォワード のようにガッツポーズをすることはありません。自分がたまたま前にいただけで、皆で トライしたという意識が強いからです。

E.一致の秘訣(3、4節)

3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へり くだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みな さい。

1.競争心や虚栄から卒業:新改訳で「自己中心」と訳されている 言葉は、分派的競争心(ギリシャ語でエリセイア)という言葉です。デニス・キンロー 博士はこれについて「自分の思いに固執して人と争う 性向こそが、肉の思いに他ならない」と注釈しています。

虚栄とは、文字通り、虚しい(過ぎ去ってしまう、内容のない)栄 光のことです。人間 の本質は全くこの通りでして、行動の動機が分派的競争心と虚栄である事が多い、いや ほとんどといって差し支えないのです。

実は教会の営みでも、教勢とか財勢とか、立派な会堂とかが人間の 誇りとなってしまう場合が多いのです。それをひっく り返すのが主イエス様の福音です。イエス様ご自身がその模範を示されま した。ご自分をいつでも無にして、仕える姿を取りなさいました。そして私達に、この 道を歩みなさいと挑戦しておられます。

2.他人の価値を認める:他人の考え、他人の生き方、行動という ものを私達は自分よりも劣ったものという前提で批評したり、噂しやすいものです。議 論をするときでも、自分は正しく、相手は分かってくれないだけだ、という前提に立つ と、生産的な議論は成り立ちません。

自分の立場に対して確信は持っても良いのですが、もしかしたら自 分は間違っているかも知れない、という幅を認めながら話し合うのとそうでないのとは 雲泥の差があります。

3.他人の利益を求める:私達の注意を他人の利益に向けなさい、 ということです。

こんなことが出来るでしょうか。出来るわけがない、そう思った翻 訳者は、自分のこと 「だけ」を顧みないで、他人の事「も」顧みなさい、と訳しました。 でも原文に忠実と思われる写本では、この「だけ」も「も」(カイ)も無いのです。「自分のことではなく、他の人のことを顧みなさい。」というのが忠実な翻訳です。強い て言えば、ある写本には「も(カイ)」だけはありますが・・・。再びキンロー博士の 言葉を引用します。

「恐らく、現代のキリスト者は、主が私達を利己主 義から解放して下さるなどとは信じていないのです。その前提が聖書翻訳にも反映され ているのです。」

彼は更に論を進めて、自己中心こそが罪深い人間の典型的な特徴で あるといい、キリストが与える贖いの目的は、折れ曲がってしまった思いを元に戻すこ と、即ち私達が自分自身にではなく、他者の幸福に思いを馳せるように、外へと方向を 変えさせることだ、と言い切っています。

自分のことを顧みず、他人のことを顧みなさい、というのがパウロの語勢です。この精神が徹底する所に本当の意味での教会 の一致が得られるのです。

そんなことは可能なのか、これは非常に大きな質問です。聖書は無 理難題を私達に課しているのでしょうか?

理想像を描いてともかくそれに一歩でも近づけと尻をたたいている だけなのでしょうか?

そうではありません。私達の肉性を 十字架に付け、イエス様を心に宿す時に、イエス様がそれを可能にして下さいます。

F.おわりに

1.共通の目標を確認しよう:神の 栄光を顕わすこと、福音を広く伝えること、キリストの体である教会を建て上げること 、これがキリストによって贖われたクリスチャンの目標です。

具体的には、今年は、家族、隣人、 友人のどなたかに焦点を絞って、その魂の救いのために祈り続けましょう。教会全体としても、魂の救いのためにその活動を集中しましょう。伝道は、牧師とか 伝道委員会だけに任せることではありません。分野は違っていても、寝ても醒めても魂 の救いのためにみんなで心を合わせましょう。

2.建徳的なスピリットを育てよう:教会の営みの中で一番悪いの は、そしてサタンが喜ぶのは、足の引っ張り合いです。誰かのどこかの仕事にけちを付 ける、そこまでいかなくてももうちょっとこうすべきだとかああすべきだと、陰で言う 、これはいけません。

欠けたところを見つけたら祈る、どうしても必要な らば本人に優しく勧告する、その時でも、自分は正しくあなたは間違っているという高 飛車な心と態度を取らずに、もしかしたら自分も違っているかも知れないけれどという ゆとりと幅をもって勧告する、こういった小さなことの積み上げが教会の一致と建徳に 役立つのです。

3.互いに祈ろう:お互いの魂のためにもっと祈りの時を持ちまし ょう。

指導者のために祈りましょう。

個人的に祈り合う習慣を育てましょう。

一緒に祈る祈祷会を重んじて、励みましょう。 特に、今年は祈祷会への出席を皆さんの目標・課題として真剣に取り組んで 頂きたいのです。ともに祈るところに初代教会の力があり、喜びがありま した。

現代社会の忙しさや地理的困難さを重々わきまえつつではあります が、あえて、月に一度でも、二ヶ月に一度でもと努力 をして見ましょう。

4.自分の役割を見つけて忠実に励もう:置かれた立場で精一杯、熱い心をもって主に仕えるように奉仕しましょう。

今日は役割についての任命が発表されます。役職に就く人つかない 人、大きな仕事を担う人、小さな仕事を担う人、目立つことをする人、目立たないこと をする人、いろいろ違いはあるでしょうが、主の前には全く関係ありません。 「良いかな忠実な僕よ」と主のお褒めを頂ければそれで充分な のです。お祈り致します。


Message by Isaac T.Saoshiro,senior pastor of IG M Nakameguro Church

Compiled by K.Otsuka /January 23,2005