プレイズ・ワーシップ メッセ ージの要約

(教会員のメモに見る説教の内容)


聖書の言葉は新改訳聖書(改訂第三版=著作権・日 本聖書刊行会)によります。

2005年2月6日

「教会を知る(3)−−キリスト にあって一つ」

竿代 照夫牧師

エペソ人への手紙 4章3-7節

該当聖句

Ephesians 4:3-7  

平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ち なさい。

からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召 されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。

主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、 すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物 の量りに従って恵みを与えられました。

(エペソ人への手紙 4章3-7節)


A.はじめに

いま読みました僅か5か節の中に一つという言葉が8回も出てきま す。中でも意味深いのは4節の「体は一つ」という言葉です。

私達は一つの大きな体−これを教会という−の一員なのです。「私 達が一体である」と言うことは素晴らしいことです。一体であるということの意味、素 晴らしさを今日は考えましょう。

B.共通の要素が沢山ある

一体であるということは、ものすごく多くの共通要素を持っている ということです。

1.所属している教会(からだ)は一つです。中目黒教会という意 味ではありません。世界中どこの教会でもみんなキリストのからだの一部です。そんな 大きな共同体にいるということを考えるだけでも興奮しませんか。

2.私達の命の源(御霊)は一つです。切れば赤い血が流れると同 じように、キリスト者の命は御霊から出ています。

3.私達が目指している目標(望み)は一つです。再び主が来られ 、世界を一新して下さいます。

4.私達が崇め、より頼むキリスト(主)は一つです。自分により 頼むクリスチャンはいません。他の誰かにより頼むクリスチャンもいません。クリスチ ャンというのは、人間の弱さ、醜さ、愚かさを本当に認めて、イエス様以外に頼るお方 はいないという共通の信仰で結ばれています。

5.私達が信じていることの内容(信仰)は一つです。聖書を信じ 、聖書の中に記されている神のみ心を私達の生活の規範と信じている点もクリスチャン は皆同じです。

6.形は違っても、キリストの死に与る信仰を告白する洗礼(バプ テスマ)は一つです。父と子と聖霊のお名前でバプテスマを受けたのがクリスチャンで す。それによって、私達はキリストが十字架で私達の罪のために死なれたように、私達 も罪について死んだものとなります。そして本当に死にますと、キリストが墓の中から 甦ったように、私達も新しく神の子どもとしての生活を始めるようになるのです。

7.私達が天のお父様と仰ぎ礼拝する対象(父なる神)は一つです 。お父さんが一つですから、一つの家族のようなものです。

「わあ、こんなに共通のものがあるんだ」と思うだけで一体感が湧 いてきます。お互いの違いを意識する前に、共通点を認め合うことから始めましょう。

C.違う要素も沢山ある

共通点はものすごくあるのですが、それでも、私達はお互い皆違っ ています。

1.もともと違う個性で作られている:私達はみんな違う風に造ら れています。私達は世界中でオンリーワンとして神様に造られています。これって素晴 らしいことではありませんか。

私とあなたとは違う。DNAが違います。だから顔も違うし、性格 も違うし、育った背景も、教育環境も何もかも違います。学力も違うし、体力も違いま す。

でもどちらがすぐれているということはありません。そのように神 が造られ、神がそのようなものとして愛しておられるのです。

2.「聖霊の賜物」も各自異なる:もっと素晴らしいのは、私達は 自然的な個性の上に、神の子どもとして受け入れられた時に、神に使えるための特別な 力が加えられます。これを「聖霊の賜物」と聖書は言っています。

たとえば、説教をする力、教える力、賛美する力、管理・運営をす る力、サポートする力、仕える力、何らかの力が与えられます。今回とりあげているエ ペソ人への手紙4章の7節と11節で、パウロは次のように記しています。

エペソ人への手紙4:7 しかし、私たちはひとりひと り、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒 、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったの です。

3.違った肢はみんな必要:私とあなたの賜物はみんな違う。似て いるような賜物でも少しずつ違うのです。これは与え主である神がそうさせたのです。

人間の体にたとえると、体の部分はみな違います。体が全部目で出 来ていたら化け物です。

パウロはユーモラスな人です。足と手、耳と目が喧嘩する話をして 、どちらも必要、どちらがすぐれているということは一つもない、とコリント人への手 紙第一で教えています。

Tコリント12:15 たとい、足が、「私は手ではない から、からだに属さない」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけ ではありません。

12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、から だに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではあり ません。

12:17もし、からだ全体が目であったら、どこで聞く のでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。

12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、 からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。

D.おわりに

前回もこのような締めくくりをしたと思いますが、このプレイズ・ ワーシップ・グループが世界中で一番愛し合っているという様な素晴らしい群れとして いただこうではありませんか。お祈り致します。


Message by Isaac T.Saoshiro,senior pastor of IG M Nakameguro Church

Compiled by K.Otsuka /February 6,2005